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家族が居ない家でみる6月の写真。

仕事に復帰するために家族よりひと足さきに自宅へ帰ってきている。2週間くらい、家族と離れた日を過ごす。

今日で、娘の新生児期が終わった。本当にあっという間だ。そのあっという間のおよそ1ヶ月間を同じ空間で過ごせたことは、こんなにも尊いものなのか。と家族が居ない家でおもう。まぁ、下の階に行けば実の父母がいるわけなんですが。はい、書いている今はひとりで書いているので今この瞬間だけはそういうことにさせていただきたく。

妻の実家がある長崎から自宅のある福岡に戻った次の日、家の外で遊んでいる息子が2階に向かって、ぼくのことを声に出して呼んだ。と妻から教えてもらった。それをきいた時、涙が出そうだった。ちょっとにじんだ。その、御涙をちょうだいしたいわけじゃないんだけど、そうだった。

期間中に息子と乗った長崎バスの車内は、学校や仕事が終わった学生や大人たちで混んでいた。乗り込んだ時に隣になったおばあさんは、持っていたキャリーケースに座っていいよ。と息子に促してくれた。それでも息子は、眠たそうにぼくの腕の中にいたんだけど、数駅して席が空いた時、おばあさんは席を譲ってくれた。みずからも足が悪いはずなのに。学生のひとりは、折りたたんだベビーカーを足元に置いてくれた。

ゴメン電車に乗った時、外国の方から目的地への行き方を尋ねられた。スマホで地図を出して、ここに行きたいんだ。と言うので、どの電車に乗ってどこで降りたら良いかを日本語と数字で教えた。駅名の上にナンバーが付いていて良かった。こういうときのために、ことばを勉強しておかないといけないんだ。と思った。乗りたかった電車は、少し先に出発していた。

次の電車を待っていると、おじさんが乗車を譲ってくれた。にこやかな雰囲気で、「貴方が先に並んでいたからね。」と言ってくれた。おそらくもしかすると、さっきのやりとりを見ていたのかもしれない。まぁその、路面電車はガラガラだった。

そういえば、息子が新生児期の時には足形のスタンプをとっていたんだけど、今回はすっかり忘れていた。こちらに帰ってきたら、ふたりの足形を取ろう。足形も写真も忘れたくないからとる。あの時の手足のサイズ、新生児期の匂い、触れる感触、甲高い泣き声。それらは、すっかりそのまま忘れてしまう。まだその時から2年ほどしか経っていない梛さんのそれですら忘れてしまっているんだから、20年後なんか何ひとつとして覚えてないかもしれない。ひとり目の梛さんと、ふたり目の宇珠さん。どちらの写真を多く撮っていたか。と自分にきいてみると、前者だというだろう。

それは、これまでにかかわった期間と関係性、そして動くパターンや範囲が多様な梛さんに違いない。

末っ子で産まれたボクのアルバムに入っている写真の枚数は、長男や長女のそれに比べて少なかった。末っ子の当事者だったぼくは、それが少し寂しかった。それはさせまい。たぶん、どの家庭もそうだろうと思う。先に産まれた子たちに構っていて、仕事が忙しくて、撮る時間が少なかったんだろう。ただ、彼らが見返すだろうその時に、アルバムに入っている写真が少なかったら、寂しいだろうと思って家族の写真を撮り続けたい。

さっきの、アルバムの写真の枚数が少なかった。には続きがあって、ぼくら子どもたちが成人してから、時間の空いた母が写真を整理してくれてその枚数は思っていたよりも増えていた。そう、撮ってくれていたんだ。あぁ、そうなんだ。撮るだけじゃダメで、プリントして整理して、物としてカタチにしていかないと振り返られなくなるんだな。

いやしかし、はやく帰ってきてほしいなぁ。
ゴメン電車は、梛さんの言いまちがいで可愛くてそのまま書きました。



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