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楽しみを構成するほんの一部。

撮った写真を見返していると、あることに気づいた。その写真をいくつか。

何か共通点があることに撮った本人がようやく気づいた。撮っている全てではないんだけれど、意識の集合体としてその点群を見つけた。

いや、薄々もしかしたら、そうかも。と感じていたのだけれど、この際言葉にしておこうとおもう。どの際というと、思いついた今この際だ。

僕は、林業をしている。仕事として山をみている。林業という言葉よりも山仕事という方が良いなとおもうので、なんの仕事をしているの?と聞かれると、山仕事をしています。と言っている。

山の中で、チェーンソーや刈り払い機を持ちながら、4mや3mに切り出された材を搬出するためのフォワーダに乗りながら、山の中を歩き回っている時もあれば、デスク上で山をみていたりする。

生死を伴う危険をはらんでいるわけだから、当たり前に好きでやっている。好きでないとできない仕事だと思っているし、わざわざ嫌々やる仕事ではない。と僕はおもう。ちなみに、1番向かないな。とおもう人は虫が嫌いな人。嫌いでもその存在を割り切って無視できるなら向いているかもしれない。

山では、ずっと山をみている。山というか、杉やヒノキをはじめとする樹木の素性、立っている地形、管理している森の状態を1日、月間、年単位で見ている。思い通りに行かない毎日を過ごしているけれど、それもこの仕事の好きなところで、いかに自分がちっぽけな存在なのかということを山は知らせてくれる。昨日の伐採にしても下手くそな自分にじくじたる思いをしていた。

それで、仕事として日常的に山をみているわけだけれど、山に行かない日でも、写真を見返すとずっと山をみていることに気づいた。

純粋に車の中から遠くの山をみていることもあれば、生活をしていて、息子と過ごしていて、人と接していて、いつでもぼんやり山をみているのだな。と写真を見返しながら気づいた。

例えば、どこかの山に娯楽として登ったとする。
太ももやふくらはぎの筋肉をモッコリさせて、頂上に登る達成感を味わう。というのも、山に登る目的の1つでその全てではない。

頂上を目指すことの他にも楽しみ方はいくつもあるんだ。ということも伝えたい。

家でどこに向かおうかと考える時間、道具を選んで詰め込む時間、向かう道中に出逢う景色、そこへ着いて靴紐を縛る、最中に見つけたリンドウの花、樹木の中心にぽっかり空いている穴、頂上から見渡す景色、用意してたおにぎりを食べる時間、鳥が鳴いているのを聴く、知らない誰かと挨拶を交わす、沢を渡る、のように様々な場面で楽しめる要素がある。

といったようなことが、生活をする上でも在る。いつも山をみているような感覚で、生活をしていたいし、写真を撮り続けたいな。と思っている。

ピークは構成される一部で、寄り道した時のこと、到達したその後の景色を楽しんだり、想像したりする。

その見えそうで見えないところに本当に楽しめる要素が転がっている。と僕はおもう。

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