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写真展「流れる時間。」

数日前に3日間という短い期間で初めての写真展を開催した。

都合がつかず、写真展に足を運べなかった友人たちに向けて、
本noteで展示をまとめたいと思う。

正直に話すと、展示内容を有料にしようかとか、そもそも載せないでおこうかとか、色々と迷ったけれど、初の写真展ができてよかったね。で終わらせたくはないので、ここできちんとまとめておこうと思う。

無料にしたワケは、有料にしたところで僕の懐にしかそのお金は流れ込まず、いや入ってくる保証もないけど。展示を快く受け入れてくれたholmには一銭も入らない。ならば、無料で公開し、少しでもholmという場所を知ってもらおう。というわけで無料にしている。

プリントした写真を肌で感じたいと思ってくれたなら、今ならholmに足を運べばそれを3枚だけ感じることができるので、このnoteにスキをしてから行ってほしい。ちなみに「noteを見てきました。」とオーナーに話すと僕が喜びます。きっとオーナーも喜んでくれます。開店直後に行くと、焼きたてのフィナンシェの香りでそれだけで幸せな気持ちになれます。

というわけで、画面上では行った気にはなれないけれど、こんな写真と言葉だったのか。なるほど、そんなもんね。と感じていただければ嬉しいです。

それぞれの写真のタイトルの下に続く言葉は、展示中にはなかったものです。
展示に来ていただいた方におかれましては、この言葉も含めて「流れる時間。」ということで楽しんでいただければ嬉しいです。

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流れる時間。


日頃、自然の中に身を置いている。
僕は自然から気付かれないように
呼吸を止めてカメラのシャッターを切った。

その時間は、移ろいゆく空の色のように
長くて待ち遠しくてあっという間だった。

いま過ごしている時間を僕たちは
二度と過ごせない。


佇む山、湧き上がる雲

お店の玄関扉の左手、足元に置いた一枚。
大分県の九重連山の一角、星生山を扇ヶ鼻方面から撮る。
夜が明けて、気温が上昇するのと共に雲は刻一刻とその形を変える。
その雲が湧き上がる様子と、自身の高揚感を重ね合わせて撮った。僕としては、この写真をこの展示の顔のように配置したつもりだったけれど、話してからこの1枚に気づく人も多かった。お店が開くのと、閉まる時にこの一枚を出し入れしていた。展示期間中これが一つのスイッチになっていた。今思うと、人の店で申し訳ないが、暖簾のような役割を感じてひとりでワクワクしていた。

9枚の写真群

ここからは、壁面にA4サイズで展示した9枚の写真群。
額装はせず、マット紙という白枠に貼り付けた写真をステンレスワイヤーとクリップで吊るして展示した。
タイトルは悩みに悩んで前日の夜か当日の朝に決まったものもある。印刷し忘れたものも一枚あったけれど、その一枚だけタイトルがない写真が対話のきっかけになるかもしれないな。と思って、初日はタイトルを貼らずに臨んだ。

「清濁併せ呑む」

福岡県の糸島市に在る井原山で撮った一枚。
清濁併せ呑むという言葉が好きで、この写真をセレクトした。
この言葉は、僕が山仕事を志した時、尊敬する1人の林業家の男性から贈っていただいた言葉。
最終日の夕方、ご夫婦でコーヒーを買いにいらした男性がこの写真のタイトルを見て「大変な会議の後だからこの言葉が身にしみるよ」と話してくれたことがよかった。

「星生の小窓」

先に記した星生山には、「星生の窓」と呼ばれるいわゆる映えスポットがある。ここに初めて登った時、その場所を探している最中、偶然見つけた場所。友人と2人でくまなく岩場をよじ登ってやっとの思いで見つけた。下山してSNSで「星生の窓」を探してみると、全くの別物だった。展示に来てくれた別の友人にこの話をすると、どうやらこの岩場の反対側にそれはあるらしい。

「自然をみつめる。」

杉の木肌を撮った一枚。タイトルを何にしようか、この写真がいちばん悩んだかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
「自然をみつめる。」というタイトルにしたけれど、実はこの杉もある日誰かの手によって植えられたもので、いつかこの木も誰かの手によって伐られる。自然は僕たちが守り、育てていかなければならない。

「浴びる花、浴びない花」

福岡県の糸島市に在る井原山で撮った一枚。
ここは、7月になるとオオキツネノカミソリが見頃を迎える。
名前だけ聞くと仰々しいけど、彼岸花の仲間です。根っこに毒があるからやっぱり仰々しい。
陽の光に当たるものはメキメキ育つけど、その横で淘汰されるものも在る。あたりすぎるとへこたれる植物もいる。養分は光だけじゃない。

「1番の景色」

今回の展示した写真で唯一人物が写っている写真。
来てくれた人から聞かれたけど、写っている人は僕じゃないです。仮に僕だとしたら、それに一番の景色と名づけるならとんでもないナルシスト。写真を撮ったり山に登ったり、何かを体験するときに、初めてみる景色や光景に目が行きがちだけど、本当に大切なのは、それを一緒に体験してくれる友達や恋人、家族がいてくれることだろうなと思う。顔はめパネル的に見た人がどんな人を思い浮かべたか聞きたかった。

「静かにその時を終える。」

昼を迎え、山仕事の手を止めて妻が作ってくれた弁当を食べる。この日は道端の現場だったので、少し散歩をしてみる。道路沿いにあじさいが華やかに咲き誇っていた。もう少し歩くと、一輪だけ咲くあじさいが在る。見てみると、葉の数は少なく、幹も痩せ細っている。ポエムっぽくなっちゃうんだけど、それでも咲く花は、最後の生命を振り絞って、その終わりを静かに待っているようだった。

「風の音、歩く音、話す声」

九州地方全域が寒波に見舞われた。
その日僕は友人と2人で熊本県の阿蘇山にいた。
滅多にない阿蘇の積雪に心を躍らせる。2人で過ごす時間は、
凍てつく風の音、雪道を踏む足の音、そして2人の話す声だけが響きわたっていた。

「見えそうで見えない。」

山頂が見える時間を待つ。なかなか展望は開けない。
その待っている時間こそが、必要な時間だということを山は教えてくれる。見えそうで見えない時がいちばんいいよね。ってことは多分いろんなところに転がっている。見えてしまったらあっけなく終わってしまったり。

「視界を受け容れる。」

山頂が見える時間を待つ。この時もなかなか展望は開けない。
書いていて思うけど、展示のタイトルを見える時間を待つ。にしてもよかったんじゃないかと回想したりする。
この視界の先には、九重連山の一角、久住山が在る。自分自身の視界の狭さに落胆せず、その目をこらすと良くなることもある気がしている。

額装した3枚の写真

さて、この展示も終盤を迎えます。
次の3枚の写真は、額装をしてそれぞれカウンターの壁や座席の窓際に配置しました。
額は、妻の兄に作成してもらいました。
兄は、家業として3代続く大工職人をしています。
材料は、築100年以上の古民家を解体した際に出た大和天井を使用しています。
100年以上、人の営みと流れる時間を共にした材料を使ってもらえたこと、それに自分の写真を額装して新しい時間が生まれたことをとても満足しています。

「短くて長い時間。」

旅先の広島にて、厳島から昇る陽の光を撮る。
太陽が山から顔を出すタイミングとシャッターを切りたい気持ちとの折り合いをつける。
この日は、妻の家族とここへ来ていた。その時一緒に旅をした妻の祖父はもうこの世にはいない。祖父と過ごした数年は、本当に短い時間だったけれど、僕の心の中にその時間は今も流れている。

「噛み締めて歩く」

雪山で朝焼けを見終わった。
下山に向かう友人の足跡が光に照らされていた。
一歩一歩踏みしめる雪の音を噛み締めながら歩いた。

「流れる時間。」

福岡県のうきは市に調音の滝という所がある。夏になれば、観光客で賑わい、その隣には天然水を引いたプールがあり、流しそうめんも食べられる。子どもの頃は、よく両親に連れていってもらった。
この写真は、息子を連れてここを訪れた時、滝の近くにある水汲み場で撮った写真。水汲み場もできた当初はただのコンクリートだったと思う。最初から苔は生していなかったはずだ。そこに水が絶えず流れ続け、飛び散った水と陽の光によって苔が生していく。

プロフィール


プロフィールの写真は@go_mitarai
撮ってくれた。

告知用のDMのイメージ


表面はDM、裏面はポストカードに
裏面の写真がいちばん好きと言ってくれた人もいた。

終わりに

最後まで見てくれて、読んでくれてありがとうございます。
展示した3日間、その準備期間と終了後に流れる時間も含めてとても幸せな時間であっという間でした。

展示中に販売していたポストカードは、holmにて販売しています。
コーヒーやフィナンシェと一緒に手に取っていただき、もし宜しければ大切な人への贈り物に言葉を添えていただければ、嬉しく思います。

額装した3枚の写真は、引き続きholmに飾っていただいています。
このnoteをお店の座席でコーヒーを飲みながら読んでくれる誰かが居ましたらご連絡ください。一緒にコーヒーを飲みながらお話ししましょう。


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