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数日前に娘が産まれた。


数日前に娘が産まれた。
出産に立ち会うことができたことが素直に嬉しい。
息子と娘が寝ている隣で書いている。

長男が産まれた2022年は、まだコロナ禍で出産に立ち会うことができなかった。里帰り出産で妻と僕は離れた場所にいて、電話でやりとりをするも、生まれる瞬間に僕は寝落ちしていた。これには自分自身にしっかり目にがっかりしたのだけれど、それでも息子はぐんぐん成長している。

妻が娘を妊娠してから、息子は数々のガマンを強いられている。妻に抱っこして欲しいときも仕方なしに僕の腕の中にいたりする。臨月に差し掛かったあたりで、もうすぐ赤ちゃんが妻のお腹の中から出てくるよ。と何度も説明して、息子は妻と一緒に陣痛来い体操をしていた。

通っている園の先生に陣痛来い体操を披露したその日の夜、灯りをつける音で目が覚めた。メモしていたから正確なはずだけれど、それが午前2時20分、まだ目が開かないままにあたりを見渡してみると、妻が呆然と立ち尽くしているのが見えた。僕の目にも妻の目にも不安の文字が書いてある。寝ている息子は同居している父母にみてもらうことにして、身支度を整えて家を出る。2世帯で住まわせてもらっている事がありがたい。

身支度を整えたつもりがアクセルを踏み込む足の感触で、サンダルを履いていることに気がついた。サンダルを履いたまま平静を装って病院へ向かう。手にはメロンパンを持っていた。夜の田舎道をクルマで走る。目にしたものは、新聞を配達する人、ネオンが光るコインランドリー、老舗のトンカツ屋、すき家。不安な妻を他所目にとにかく腹が減った。家族を守る防衛本能という事にしておこう。

3時を過ぎるころ、産婦人科へ着いた。ご主人は荷物を持ってきてください、と冷静な対応の助産師さん。ママは頑張ろうね、と手厚い対応。主治医の先生からはいよいよですね。と言葉を受ける。よろしくお願いします。とだけ伝えて僕は車へ戻る。少しだけ緊張が解けたからか眠気が襲ってくる。コーヒーを買ってだだっ広いコンビニの駐車場で仮眠を取ろうとすると、店員さんからコンコンと窓を叩かれて手でバッテンをされた。ネガティブな感情を押し殺して、はい、すみませんでした。と頭を下げて産婦人科へ戻る。

4時30分、クルマで待機する予定だったけれど、助産師さんの計らいで少し早めに分娩室へ入ることができた。手にはホットコーヒーを持っている。助産師さんからは優雅に入ってきたよ。と言われたけれど、あらたな命を前に優雅なんて言ってられる心境ではない。落ち着かせるために飲んでいた。

妻のお腹には、心音を図る機器が取り付けられていたんだけれど、お腹がビヨーンと上に張り出していると勘違いして驚いた。出産に立ち会うのは初めてで、何もかもが新鮮にみえた。隣の部屋からは、産まれてきた他所の子の産声が聴こえる。僕らの元へやってきた産声を聴いて、僕は何を思うんだろう。まだ、その時ではないということで待機部屋へ通された。分娩室からは、妻が叫ぶ声が発せられている。

部屋の外がうっすらと明るくなってきた朝の5時、どこからか産声が聞こえて不安になった。え、もしかすると産まれてきたのか。またも父は呼ばれずして我が子の誕生の時を目の当たりにすることができなかったのか。いや、違うはずだ。もうすぐ産まれますよ!お父さん!と呼ばれ、バクをハツハツをさせながら分娩室に入るのだろう?呼ばれるのか、呼ばれないのか。大胸筋についた僕の脂肪はぴくりともしない。

5時8分、分娩室から痛いという叫び声が強く聴こえてくる。助産師さんからの声に応じ、分娩室へ入ると妻が必死に闘っている。まだ産まれていなくてホッとした。新しく生まれる命には、死が隣り合わせだ。サケやセミは、卵を産むと絶命するらしい。今世が人間で良かったと思った。分娩台でいきむ妻から強く手を握り締められる。締め付けるほどの力強さがあった。僕の手に伝わる痛みのどれくらい強いのか。男には何も推しはかる術がない。東京ドーム何個分の広さみたいに伝わらないくらい痛いのだろう。

娘の頭がみえてきたであろう頃、妻はいきみ方がわからないと呆然とした口調と表情で先生に訴えている。それでもなんとか乗り越えた5時20分、娘が産まれた。産まれた直後の娘は体全体が赤紫がかっていて、思ったよりも黒かった。妻は、声に出して黒っ!と言っていて、予想外の発言が少し笑えた。エクスキューズしておくけど、肌の色でおもしろがってるわけではないよ。わかるよね。

分娩室へ入ってからは、この瞬間を記録するために写真を撮ることで必死だった。目からこぼれる水は、ファインダーで隠しながら堪えた。取り出された娘は、押し込むタイプのスポイトで口の中をシュッとされて産声を上げた。元気に良く泣いている。

この瞬間に立ち会えたことが本当に素直に嬉しかった。ふたりの父になった。産婦人科についてからで数えると、約2時間で出産。だけどそれまでに十月十日、産まれてからの負担も考えると、どれほどか計り知れない。痛感したから何度も書いちゃうけど、出産での立ち会いを通じて、生命の誕生を前に男の無力さを痛感した。

娘の名前は、「宇珠(うみ)」と名付けた。
山で仕事をしているけれど、海も山も好きだ。
大学では海を学んだし、新卒で入社した会社も海の仕事だった。
長男が産まれる頃に海の仕事から山の仕事へチェンジした。そういうと、驚く人も多いけれど山と海は繋がっているし、同じ惑星にある要素だ。

呼んでもらうときにシンプルな名前がいいなと思って、「うみ」と名付けた。アルファベット表記では3文字で書ける。

「宇」という字は広い屋根という意味を持つらしい。屋根のように誰かの雨宿りを助けるような存在にあってほしい。だけど、屋根を支えるためには基礎や柱が必要だ。もっというと、地面が必要だ。そういう部分はこれから生きていく中で、さまざまな過程を踏んでいろんな人と出会って養ってほしい。

「珠」という字は、美しいもののたとえとして使われる。よく調べてみると、この字には、木を切った断面であるコグチの美しさを形容している。木口は、きってみないと姿を現さない。外見的な美しさではなく、内面的に美しい女性になってほしいいう願いを込めて、この字を充てた。

こんな感じで、新しい子が我が家にやってきたんだけれど、今思っていることを人は忘れてしまうからこの場に書きました。

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