伊勢原が映えるチョークアートは、私に降りた天使からの囁きだった。
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私が11月に伊勢原市でKONISHIKIの来日40周年を祝おうとしているこの企画。
私の圧倒的なビジュアルだけでは、何かが物足りない。それを考えていた。
伊勢原で「物語が始まる店」と噂の眞好味(マコミ)のその男に連絡を取った。
「なぁ。娘さんチョークアートしてなかったかい?」
「してるよ。連絡取ろうか」
まだ何も説明していないのに彼は物語を始めた。その圧倒的なスピードは、さすが火を使う料理人だと思わずにいられなかった。
足りない物を補うものは、自らの行動と意思だ。
この企画に足りないもの。
それは、圧倒的に「映え」だと気付いた。
momi-no-ki CHALK ART
私は、彼のストーリーズにチョークアートが流れ「映えてる」ストーリーズを思い出し、天使の閃きを探しにその教室に足を運んだ。
2018年12月に伊勢原駅前の「いせはらcoma」にてチョークアート教室をオープンしたともみ先生は、幼児~大人まで通う教室の先生だ。
「きっかけは妹の結婚式で飾るウェルカムボードづくりの素材を探していた時にインターネットでチョークアートを見つけ、そこから絵の世界にハマってしまいました」
と優しく私に語りかけながら、
「当時勤めていた会社を辞め、本場のオーストラリアに学びに行ったのです」
と、爽やかにサッとぶっ込んでくるその手法にツッコミたい気持ちを我慢した。
散歩中に赤ちゃんがゴロンとできて、ママがひと息つける場所が欲しい。今それが伊勢原に無いから自分で作ろうと、10月に移転、駅近くの場所に広くなりリニューアルオープンするらしい。
一見すると、穏和な雰囲気が醸し出す姿に気付かないが、先生はとても芯がある。ペラペラな私は取り繕うのに必死になり、逃げたい気持ちを押さえて本題に入った。
「先生、私の天使の閃きを聞いていただけますか?今回の企画に生徒達とKONISHIKIモチーフに制作してくれませんか?出来れば持ち運び出来るもので」
私は、KONISHIKI FESTIVALで作品をKONISHIKIの前で生徒達と除幕してもらい、次の日のコンサートには文化会館の入り口に飾りたいとお願いした。
なんという閃きだ。これは、映える。
閃いた自分が恐ろしい。と震えに震えた。
先生は、私の問いに悩まずに快諾してくれた。
「KONISHIKIさん描いてみたいなと思っていたので楽しみです。ど迫力の何かを作りたいです。momi-no-kiのキッズメンバー達にとっても周りに自慢できる様な作品と経験にしたいです」
とハキハキと答える仕草に私は、私の天使の閃きについてはノーコメントだったショックを隠しつつ笑顔を作り取り繕った。
「先生。持ち運びだとチョークアートは消えたりしますか?」
私は、どう扱えばいいかわからないので聞いた。
先生は、私も生徒だと思ったのか優しく教えてれた。
「チョークと言うと学校で使われている粉の出るタイプが有名ですが、このチョークアートはオイルパステルという画材を使って黒い板に描きます。消えてしまわないタイプの黒板アートです」
なんと。知らなかったのだが黒く塗った木材に下書きをしてそこに色をつけていき、最後にコーティングスプレーをするらしい。激しい雨や直射日光には弱いが屋内だったらずっと消えないとの事だ。
「消えないのはいいですね」
その言葉は、先生の核心に触れたボタンを押したらしい。これは、そのまま先生の言葉だ。
想いはそのまま残すのがいい。
「消えないというのが商業アートというものに繋がります。現代の子供たちが大人になる頃には【商業アート】というもののステータスを上げたい。仕事としてアートに携わる事もお金を生み出す事も素晴らしい事なのに『絵描きになりたい』『お金を稼ぎたい』という夢は見づらいのが今の日本の風土です。そこを変えたい。
また、常日頃思っている身近なところでは教室を人生のスパイスになる場所にしたいです。アートを習うというと【癒し】【老後の趣味】みたいなイメージもあるし間違いではないのですが、私の教室で学ぶ生徒さん達には年齢問わずハングリーに夢を見続け動き続けて欲しい。そうゆう活力を生み出す発信地になりたいです」
私は、軽い気持ちで訪れた自分を恥ずかしく思い、なんとか自分を消し去りたい気持ちを押さえて
「先生の生徒でよかったです」
と一番弟子を装い、元気よく返事しそうになるのを必死に堪えた。
「チョークアート看板は描いた本人だけでなく居酒屋やカフェ/ショップなど依頼した側も売上が上がるので世の中のお金を回すきっかけになります」
カッケェなぁ。と思わずにいられなかったのと、
これも楽しみでしかないと私は、私の周りで起こる事にワクワクしている。もう渦は回り始めている。
「コニシさん。私もあのBBQにいたんですよ」
先生は、最後にKONISHIKIが伊勢原で激励BBQをした2020年の事を持ち出した。
なんのはなしですか
最初からこうなることは決まっていたのか。
物語を始める男は仕込みも仕事も早い。
「それとコニシさん。もしかしてジローのお兄ちゃんですか?私、ジローの同級生なんです」
サッとぶっ込んでくるスタイルに私も最後にやっとツッコミを入れれた。
「君のおかげで38年くらいジローの兄である事を、今思い出したよ。悪くないね」
と急に先輩面して店を後にした。
また一つ楽しみが出来た。
どんな作品が出来るのだろう。
現場で見つけたら、映える写真を撮影してみてね。とても記念になると思う。
こういった想いを持った教室があるのは、地域にとって良いことだ。
いいでしょ。伊勢原市。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。