久しぶりの谷崎潤一郎に、再び女性が好きだと告白してみた
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鍵
谷崎潤一郎
1956年に発表された小説。装丁、挿絵が棟方志功だ。
谷崎は、小説の話の筋について、芥川と論争していることを、私は潤一郎犯罪小説集を読み進めて調べている時からこの事を知った。
谷崎は、芥川への反論で
「筋の面白さを除外するのは、小説という形式がもつ特権を捨ててしまふことである」
と反論している。
この論争は、1927年の事だ。芥川はこの年に亡くなっている。
それから、29年という歳月でこの作品を書いている事に感激した。泣きそうになった。
(ちなみに、そんな内容の作品ではありません)
私は、文学の事を詳しく知るわけではなく、勉強してきた訳ではない。だが、谷崎のこの発言はそれを裏付けるように、そして書き続けたように、自分の芯を貫いているように感じて感動した。
この筋の面白さは、小説の特権だ。
読まれる事を前提に内緒にしつつ、夫婦お互いの日記を読み合う物語。そこに書かれる性欲、性癖を満たすために交わす言葉はないけれど、文字で交わし合う日々。秘密は甘いほどその味を知ると抜け出せない。その鍵となるのが日記ということだ。
日記の字体そのものも、夫はカタカナが多く、妻は普通の書き方。
これは読者に対しても視覚から読ませる演出を使っている。言うなれば、読者も日記を盗み見ている感覚になる。これに気付いた時に、他人の性を盗み見る感覚と、興奮に想像が膨らみ、
「イケナイモノを見ている」というあの感じが来る。
どれもこれも全て物語の「鍵」だ。
視覚からの演出だとアルジャーノンに花束をと似ている。内容は全然違うのだが。
相変わらずの女性の描き方、男性の本当のところの女々しさ。嫉妬心。本来、知られたくない部分を日記だから書けるということを前提に書いているので、筋として面白いを越してる。
晩年に書いた事でどこか自分の死への感覚があったとして反映させているのかも知れないと考えると、時間とは無限でないことを改めて感じる。
谷崎に出てくる女性の描き方と三島の女性の描き方。どちらもキレイだが、まだ上手く表現出来ない。これは語れるようになりたい。なる。
そう。女性が好きだから。大きな課題だ。
そしてこの本の内容に触れたくない。
ただただ、谷崎潤一郎の純粋に執拗に面白さを求める姿勢がとても好きだ。
何十年書き続けても、ちゃんとぶれずに描いている。
生きてたらなぁ。とか考える。
しかし、違う時代に生きている私は、谷崎が生きて残し続けた作品を読める幸せを感じる事にしよう。
変わらなかった谷崎潤一郎を尊敬し、
変わりまくってる自分を冷笑し、
どこか共通点はないだろうか考えに考えて、
行き着く先はやはり、
「女性が好きだ」ということになる。
なんのはなしですか
今回もそういう事で私達は繋がっていると解釈しました。
谷崎潤一郎。私大好きです。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。