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自分軸と他人軸 

小さい頃から、親(母親)にいい学校行っていい会社に入ることが幸せだと、そのレールに乗ることが幸せなんだといわれつづけていた。

そのレールから外れると、そうやっていないとホームレスになると脅されたこともあった(高速道路で窓を開けて顔を出すと暴走族に首を落とされると脅されたこともあります。うちの母親は怖がらせて言うことを聞かせる傾向があるみたいだ)。

今考えると、勉強しない、努力しない→いい学校、いい会社のコースから外れる→ホームレスになるというのも極端な話ですし、ホームレスでも幸せな人もいるかもしれないし、逆にいい学校、いい会社のコースで不幸せで自殺する人もいると思ったりする。

それに、就職しないで、会社員にならないで生きると言う生き方もあるって今なら思う。

でも、子供で世界も狭く、怖がりの自分は高校のときに辞めたいと思ったりしてもやめられなかったりして、そのレールから、最初の会社を辞めるまで降りられなかった、外れられなかったし、会社を辞めて、実際外れたら怖くて、不安で、絶望してしまった。

自分自身の物差しでなく、親や世間の価値観で生きている、他人軸でずっと生きてきた。

また、親族を怒らせてに嫌なことをされたり、友人の母が怒っていたと言われて縮こまって顔色を伺うようになったり、同級生の女子に陰口を言われたり…とかいろんなことがあり、自分の行動、言動が変でないか、人に悪く思われないかと気にして生きる、思春期のときの自意識過剰や、親にされた兄弟や同級生との他者との比較の基準も相まって、イケてるかどうか?人に悪く思われないか?が価値基準になっていた、今でもそうかもしれない。それも、自分自身がどう思うかとは別の、他人の目を意識したり、そういう自分が好き…みたいな、自然体なものではない、常に他人からどう映るか、どう見えるかを気にしたりビクビクしたもの、他人軸だった気がする。

でも、会社を辞めて引きこもったり、対人恐怖症になったり、鬱になったり、という経験をして、少しずついろんなろことを諦めたり無理になったりして、だんだん、自分が何が好きか、何が楽しいのか、何が幸せかを考えるようになり、他人や、世間の価値観に合わせる、レールに乗る(それはもう外れてるし戻るのも無理)のではなく、自分の価値観を持ちたいと思うようになっている。

でもそれがなんなのか、どういうものなのかわからない。

それが現状の自分だと思う。





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