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日本が「ロリコン」である歴史的解釈

日本はよくロリコン文化だと言われ、欧米キリスト教圏に比べれば小児性愛に対する忌避感が少ない。秋葉原みたいな町は欧米では恐らくあり得ない。もちろんそれは法を犯す者を生んでしまう部分はあるものの、それは日本が欧米キリスト教圏よりも歴史的に性に対するタブー感が少ないことにも恐らく由来している。戦国時代に武将が小姓と関係を持ったり、江戸時代には陰間茶屋(男娼)を買う文化があったりと、日本が歴史的に男色文化が盛んだったことは疑う余地がなく、古事記にもそのような記述があるとか空海が唐から持ち込んだとか起源は諸説ある。

仏教はそもそも女性を不浄として、女性と交わることは女犯(にょぼん)として戒律で禁忌とされてきた。じゃあ僧たちの思いはどこへ向かえばいいのかという事で、寺院において僧たちの身の回りのお世話をする稚児(ちご)と交わりを持つことになる。稚児というのは僧たちが読み書きはもちろん、あらゆる教養を教えて育てている、まだ幼さの残るまだ元服前の13~18歳くらいの前髪のある美少年で、それ以上の年齢になると男らしさが目立ってきてしまうため稚児としての寿命は極めて短い。その儚さがまた僧たちを熱くさせたとも言われる。

もちろん仏教自体が男色を容認していたわけではなく、悪見処(地獄)に落ちるともされ、支那・朝鮮では忌避されてきたようでもある。ところが天台宗では稚児灌頂という儀式(頭に水を注ぐ儀式)を行うことでその稚児は観音菩薩の化身となり、その稚児と交わることは戒律を破ることにはならず、むしろ悟りへの近道であるとすら考えられていた。これは、性の相手の男女にこだわらない=執着しない、という事で仏の教えにもむしろ敵っていると見ることもできる。尚、稚児灌頂を受けた者の名前には「丸」が付くとされ、例えば牛若丸なども灌頂を受けた人物であると考えられる。

そういうボーイズラブならぬボーズラブが奈良時代くらいから歴史の中で連綿とあり、その感覚の残滓が「幼児を愛でる感覚」にも少なからず繋がっているように思われる。「幼児を愛でる感覚」が、日本において大人よりも子供がヒーローとして描かれるのにも影響してるようなしてないような。


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