見出し画像

【映画評】まるで絵画のような映画。「ざくろの色」と「911」の類似とその芸術性

 京都みなみ会館で上映されていた「ざくろの色」を、昨年12月に観に行った。この映画を観たきっかけは、Lady Gagaの「911」のMVが、本作品のオマージュであるということを知り、興味を持ったからである。



 このMVは短編映画といえるほど高いクオリティを担保しており、彼女の歴代のMVの中でも最高傑作と言っても過言ではないだろう。ひとまず本記事を読む前に動画をみて欲しい。

まず、参照元である「ざくろの色」の映画の魅力について述べていき、その後に、「911」のMVの構造的魅力と歌詞世界へ言及していきたい。

「ざくろの色」の芸術的魅力、絵画としての映画

ざくろの色は、セルゲイパラジャーノフによって書かれ、監督された1969年のソビエトアルメニアの芸術映画である。この映画では、18世紀のアルメニアの詩人でトルバドゥールのサヤトノヴァの生涯が詩的に描かれている。

当時ソ連統治下に置かれていたアルメニアで製作された本作は、鮮烈な色彩と音楽によって象徴的、または耽美的に一人の吟遊詩人の生涯を描きだしたものの、作品完成の68年ごろ、チェコスロバキアで発生したプラハ侵攻の影響により、より一層激しさを増したソ連当局による思想弾圧の標的となった。原題であった「サヤト・ノヴァ」は「ざくろの色」と改題するよう圧力をかけられた他、内容すら検閲のメスによって切り裂かれたことで、本来2時間近くあった内容は2/3まで切り詰められてしまう(現存するもので最長のものは2014年に再編集された78分バージョンで、それ以前は長らくロシアで公開された70分バージョンしか見れなかった)。
こちらのブログより引用)

 この映画の魅力の一つは、なんといってもその鮮烈な色彩だ。ポスターで使われているキービジュアルも赤色が中心だが、砂漠に置かれたざくろの赤、乙女の顔を隠すレースの赤、生贄に捧げられる羊の赤、ありとあらゆる赤が、強烈に目に飛び込んでくる。染められた糸の青、白の化粧を施した女が身にまとう緑、修道院での男たちや詩人の黒、それらの一つ一つの色彩が、画面を豊潤に彩っている。そして黒と白も、この映画では単なる無色としてではなく、画面を彩る一要素として用いられている。

 そしてもうひとつ決定的な特徴と言えるのが、絵画的な構図の連続で映像が紡がれているという点だ。この映画で出てくる人物やモチーフは、総じて正面性が高い。まるで初期キリスト教の宗教絵画を、そのまま「映像化」したかのようだ。だが、ここでいう映像化とは、漫画をアニメ化する、というような意味でいう映像化とは趣が違う。それというのも、この映画を見ていると、何度も「この映像を静止させて、じっくりと見てみたい」という衝動に駆られるのだ。構図や色彩があまりに絵画的に魅力的であるために、動画である映画を、静止画である絵画として捉えたい、と思わせられる。それはある意味、映画をつくるという行為と逆行しているようにも思える。

 絵画は二次元的なものであり、そこには時間は存在しないと言える。しかし、映画は、映像を通して時間を表現する。
 普通であれば、映像にしかできない表現、つまり登場人物のダイナミックな動きであったり、静止画では表現しきれない世界を表現するのが定番の手法であろう。しかしこの映画では、まるで映像を絵画のように扱っている。彼が絵画を描いているということも深く関係しているのだろう。
 登場人物の動きは、一見日本の能や歌舞伎を連想させるような、型にはまった、一見滑稽でもあり、現実味のないわざとらしい動き方である。日常的動作を芝居がかった動きにすることで、舞台を非日常に転換させる仕掛けが施されている。遠い異国の地の映画に能や歌舞伎との共通項が見られるのが興味深い。

 また、アルメニアの民族音楽を下敷きにしたような異国情緒溢れる音楽のみならず、例えば本が一斉にパラパラと捲れる音、糸を地面に打ち付ける際の反響音、修道士たちがざくろを齧る咀嚼音、途中で何度も鳴らされる鐘の音などの効果音が、映像のアクセントとなっている。今でいうASMR的な心地よさがあり、音楽と映像が互いを引き立てあっている。

 この映画には明確なストーリーがなく、時折差し込まれる文章での情報以外は、ほとんど映像と音のみで構成されている。こうしたわかりにくさが映画全体に豊かさを生み出し、その芸術性を増しているとも言えるだろう。

「ざくろの色」のアダプテーション作品:Lady gaga「911」のMVの構造の秀逸さと、歌詞世界とのリンク

 さて、ここからは lady Gagaの「911」のMVの魅力に迫っていこう。

 このMVには、パラジャーノフの映画、その他からのオマージュが多数散りばめられている。わかりやすいところだと、登場人物のまるでロボットのような機械的な動きであったり、1:03のステンドグラスのような衝立、1:35の布をかぶせる動作には、ざくろの色からのオマージュであることがみてとれる。最後の方にチラリと見えるARMENIAN FILM FESTIVAL、という文言は、パラジャーノフの映画からの引用であることを明確に示唆している。

下の三つの画像は、それをわかりやすく比較したものである。(上が911、下がざくろの色の一場面をキャプチャした画像)

画像1

画像2

画像3

 ここからはかなりMVの核心部分に触れた話をするので、未見の人は必ず先にMVを見てほしい。(ネタバレ注意)

散りばめられた無数の伏線

まず、このMVを貫いている大きな構造となっているのが、夢の世界と現実世界の反転だということにお気づきいただけただろうか。後半の衝撃的な目覚めとともに、幻想空間は一気に現実世界へと引き戻される。

 MV中にはありとあらゆる伏線がちりばめられており、とても一回では見切れないほどだ。下にその一部を書き記してみたが、これ以外にもたくさんあるので、是非探してみてほしい。

MV中に現れる伏線の一覧
1.散らばるざくろと赤い衣装、赤いアンクレット(0:20)→血のメタファー
2.gagaのつけている目隠し(0:23)→救急隊員が目を覆っている(4:16)
3.冒頭の砂漠での馬に乗った男性(0:27)→事故現場の看板のシルエット(4:27)
4.砂漠に転がる自転車→事故現場の自転車
5.クッションに頭を打ち付けられる男性→事故でエアバックに打ち付けられた男性
6.歌い初めの青い服を着た女性(0:55)→事故現場の発見者
7.包帯を巻いたミイラ?人形を抱える紫位色の衣装の女性(1:07)→事故の被害者を抱きかかえる女性(4:23)
8.その人形をつかむ男性(1:37)→助けようとする救急隊員
9.謎の貝殻を当てる男(1:57)→被害者に呼吸器を取り付ける救急隊員
10.鏡を反射させる女性(1:58)→瞳孔の確認
11.gagaが首を持ち上げる動作(1:14)、苦しそうな表情→気道確保?
女性の胸についた赤い十字架→救急のマーク
12.青い三人があげる棒のついた四角い物体(1:18)→スマホで写真をとる見物人の女性の自撮り棒(4:22)
13.LG(Life’s good)のロゴ(4:28)→酷い惨状にある事故現場との対比?
14.空高く上がっていくのをロープで引き摺り下ろす男(他映画のオマージュ)→生死の淵から救出しようとする救急隊員(生と死の反転)
15.地上に激突(夢の世界での死)→現実世界で息を吹き返す
16.足をおさえる男(2:28)→負傷した足首を固定している
17.顔の目の前に顔を近づける男(2:30)→人工呼吸
18.花びらを散らす司祭?のような人(2:35)→ホースで水をまいている救急隊員
青い四角い衣装を着た男(2:35)→交通整備中の警察官
19.蛇を手にもつ女性(2:44)→呼吸器などの管?をもつ救急隊員
20.2:46からの壁画→実際の事故現場
21.gagaの小刻みな手の動き、胸を押さえる男性→AEDの使用を示唆?
22.金色の盾のようなものを持つ二人(3:10)→担架で運んでいる様子
23.アラビア語のような文字が書かれ他後ろの黄色いテープ→立ち入り禁止のテープ

歌詞と幻想世界を通じて描かれるメンタルヘルス

 夢の世界では、lady gagaが箱と神様の人形?を天秤にかけているような動きをしているシーン(1:28)と錠剤を口に入れるシーン(2:32)があり、以下のような歌詞が流れている。


My biggest enemy is me,Ever since day one,Pop a 911, Then pop another one,
最大の敵は自分、ずっと最初から、錠剤を飲んで、もう一錠飲む

 Lady gagaは精神病の治療のため向精神薬を服用しており、911もそのことが主要なテーマとなっている。最大の敵は自分、というフレーズは「自分ではコントロールできなくなることがあるから、薬を飲んで平静を保つ」という、精神病を患っていた彼女の境遇を端的に言い表している。

 3:58に現実世界に戻ったときに看護師が「今何か薬を服用していますか?」との質問にMVの中で彼女は「何も飲んでいません」と答えている。ここにも、現実世界と夢の中の世界との反転が起こっている。このように、幻想と現実世界が反転しながら行き来する様を描くことで、コントロール不可な精神状況を表しているのではないだろうか。
 夢の中で悪とされていた行為が現実世界では彼女を救う手立てだった、というMVの構造は、薬によって一種の混乱状態にあった彼女の精神状況(自分の味方が敵に見える)と意図的に似通わせているのではないかと考えられる。

 このMVについてLady gagaは、「この短編映画は私にとってとてもパーソナルで、私のメンタルヘルスの経験であり、現実と夢が相互に接続して、私たちのなかや周囲にヒーローを作るというものなの」と説明している。

 夢の中のモチーフが現実世界の伏線となっていることで、単なる伏線としての機能だけではなく、夢や幻視世界としてのリアリティを生み出す機能も併せ持っている。私たちの夢の中の世界も、ある種現実世界の伏線回収のような側面があるからこそ、そうした不可思議なリアリティにもどこか共感を抱いてしまうのかもしれない。

 このMVを監督したターセム・シンは、「The Fall(邦題:落下の王国」などでも、夢と現実を行き来する不思議な鑑賞体験を作り出している。。彼はパラジャーノフの作品と同様、執着的なまでに芸術的な画面作りが印象的である。

 「ざくろの色」からの頻繁な引用は、いかにMVの監督であるターセム・シンがこの映画からインスピレーションを受けていたかが伺えるだろう。MVのメイキング動画では、着想元である映画が明示されている。このMVのリアクション動画を何本も見たが、「ざくろの色」のオマージュであることに気づいている人(Michael MurrayIan Rionなど)は少なかった印象である。しかし、参照元を知らなくても、そのエキゾチックな雰囲気を味わうには十分である。


 「ざくろの色」も「911」も、どちらも一度見ただけでは到底理解しつくせず、だからこそ観るものを惹きつけて離さない。現在京都みなみ会館にてパラジャーノフ映画の特集が組まれているので、未見の方は是非見に行って欲しい。(2021年2月12日現在)その深遠な世界観の一端が味わえるはずだ。

【参考記事一覧】


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?