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文化は、誰のもの?#1|文化盗用(cultural appropriation)について

 文化盗用、という言葉を聞いたことがあるだろうか。英語ではcultural appropriation、直訳すると文化流用である。ある人種の民族や文化を他の文化圏のものが用いる行為のことを文化盗用といい、流用の対象となるものには宗教および文化の伝統、ファッション、シンボル、言語、音楽が含まれる。特にアメリカのような多民族国家においては、このような問題への関心はとても高く、しばしば非難が巻き起こる。

 対して、日本は島国で、アメリカよりも人種の混ざり合いが少ないため、「文化盗用」といったことを意識している人は少ないだろう。アジア人でない外国人が日本の着物を着て雑誌の表紙に載っていても、ほとんどの日本人が好意的な見方をすると思われる。しかし海を越えた場所では、それが「文化盗用」であると非難されたりするのだ。この記事では、日本における文化盗用、そしてファッション業界における事例を見ながら、文化盗用というものの概念とその歪な構造について見ていこうと思う。

日本文化における”文化盗用”の例:Vogue、ラ・ジャポネーズ、KIMONO

 まず、実際の例を見てみよう。この写真はVOGUEの2017年3月号に掲載された写真である。これを見てどう思うだろうか?「綺麗」だとか「日本の文化がこうやって海外の有名雑誌に取り上げられて嬉しい」などと思う人もいれば、着物風の衣装を着た外国人モデルの姿に違和感を抱く人もいるかもしれない。

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 この写真を見て何を思うかは人によって様々だと思うが、実際、この雑誌で着物風の衣装を着たカーリー・クロスは多くの批判を浴び、Twitter上で謝罪する事態になった。批判は「日本の文化を盗用した」という海外からの声がほとんどであったが、反面日本人からは、「何が悪いのか」「綺麗だから良い」といった擁護の声も上がった。

 もう一つ、「日本の文化を盗用している」と批判にさらされたケースを見てみよう。クロード・モネの「ラ・ジャポネーズ」と言えば、着物を着た白人の女の子が扇子を持ってポーズしている絵が思い浮かぶだろうか。ボストン美術館は2015年、絵画の前で着物に触れてみたり、試着して絵画の前で記念撮影できるイベントである「キモノ・ウェンズデー」を開催したが、これまた文化盗用であると同様の批判にさらされ、美術館は謝罪したのちにこのイベントを停止した。

 いったい、外国人が日本の着物を着て写真を撮ることの、何が悪いのか?正直、なぜこうまでして非難され、企画者側が謝罪までしたのか腑に落ちない人も多いかもしれない。

 着物関連で、もう少しわかりやすい問題を挙げよう。2019年にキム・カーダシアンは自身の補正下着のブランド名を「KIMONO」と名付け、「着物に下着の名前をつけるなんて」と多くの反感を買った。(#KimOhNo というハッシュタグまでできた)「文化盗用である」とのバッシングに晒され彼女は結局ブランド名を変更した。しかし、海外での批判のされ方と日本での批判のされ方は質が異なっているように思える。

 日本では、「着物の名前を下着の名前につけるなんて」という、”下着のブランド名”であることに引っかかっている人が多かったが、海外では、「日本の着物の名前をつけるなんて」という、”日本の伝統衣装の名前を冠すること”それ自体に非難が向いていたように思える。もしこれが下着のブランドではなく普通の洋服のブランドであれば、日本人は気にも留めずにスルーしていたのではないだろうか?

 他に海外と日本での反応のギャップが見られる事例では、アリアナグランデの七輪タトゥー事件もある。親日家の彼女は、曲名である7ringsをそのまま直訳した”七輪”という文字を手に彫り、それが日本の伝統的な(?)調理器具である七輪を表しているから「文化盗用」であると非難されたのだ。(結局彼女はタトゥーに文字を加えて 七指輪という文字にハートマークを加えた)

 ここまで行くと、もはや笑えてくるし、日本でもこの七輪タトゥー事件は”お笑い”として捉えている人も多い印象だったが、実際こうしたことを「文化盗用だ」と大真面目に糾弾している人がいるのだ。ここでは紹介しきれないが、こうした事例は本当に腐るほどある。加害者である欧米人側が怒り、被害者である日本人が「何が悪いの?」とキョトンとしている構図は、いささか不思議でもある。なぜこのようなことが起こるのか?そこには、文化盗用という言葉のもつ入り組んだ構造がある。

文化盗用におけるマジョリティの概念と隠された傲慢さ

 文化盗用は、往々にして、マジョリティがマイノリティの文化を”盗んだ”ときに起こる。少数民族など社会的少数者の文化に対して行った場合には、特に論争の的になりやすい。

 欧米の文化ではない他の文化は”保護すべき”文化であるから、みだりに用いてはいけない、というのが、文化盗用の考え方の根底にある。
誰かが何かを「文化盗用」であると非難するとき、そこには”強い文化”と”弱い文化”という権力の勾配が起きている。そして大抵の場合、非難は”強い側”から起こる。なぜなら”弱い”側は声を上げることができない、あるいは愛国心から自分の文化が使われていることに満足してしまっている、と思われているからだ。(もちろん、”文化盗用された側”が声を上げるケースもある)

 これはある種の傲慢であると言えるだろう。日本人は日々スーツを着て会社に行き、洋服を着て、ハンバーガーを食べ、日常的に英語を使っているのに、それらは決して「文化盗用」と呼ばれることはない。欧米文化はすでにあらゆる国でスタンダードになっており、それをいまさら盗用だと非難する人はいない。しかしよくよく考えてみると、そこに文化盗用という概念の歪さが見えてはこないだろうか。

 ロンドンで文化および歴史学の講師を務めるセルカン・デリス博士は、文化の盗用は「異なる文化の間に力の不均衡が存在する時」のみ起こるとしている。

「白人やその組織が、黒人や褐色の肌の人やその組織よりもずっと力があるという社会に私たちはいまだに生きている。なので、これ(※白人の文化を利用すること)は文化の盗用ではないのだ。というのも文化の盗用とは、力のある文化が力の弱い文化を利用することを意味するので」

 西洋の文化こそが文明的で他が劣ったものであるとする間違った考え方は、レヴィ・ストロースの『野生の思考(1962)』の時代から何度も警鐘が鳴らされてきており、オリエンタリズム的な発想(※1)への反省にもつながっていった。

 文化盗用はある種、そうした西洋文化における傲慢をなくそうとした動きからなる揺り戻しと見ることもできる。しかし、それがあまりにも過剰になりすぎて、もはや西洋文化以外の文化を流用することが難しくなっている現状がある。ポリティカル・コレクトネス(政治的中立)を重視するあまり、身動きが取れなくなってしまっているのだ。

 文化盗用は、日本のようなもともとが単一民族で、人口の2%程度しか外国人がいない国ではいささか実感の薄い言葉かもしれない。だが、この概念は世界中でかなり浸透してきている。まずはファッションにおける文化盗用の例を紹介しながら、その動向を追っていきたい。

(※1 参考:サイードの「オリエンタリズム」批判)
・西洋「我々」→優れた価値をもつ支配的社会
・東洋「彼ら」→エキゾチックで興味深いが、奇異な文化を持つ後進社会
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 西洋人の、自分中心の歪んだ眼差しで東洋像を作り無自覚に東洋を威圧・支配している、という考え方(=オリエンタリズム)

ファッションにおける文化盗用:
マーク・ジェイコブス、グッチ、バレンシアガなど

 2012年、アメリカで有名な下着メーカーのヴィクトリアズ・シークレットのファッションショーでは、トップモデルがネイティブ・アメリカンのヘッドドレスを被って出場した。

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 ネイティブアメリカンにおける略奪の歴史は、文化盗用の最たる事例だろう。だからこそ、このように安易に彼らの文化を利用することには、強い非難を浴びせられるのも当然かもしれない。ネイティブアメリカンの学者らは、その歴史において奪われてきた文化について以下のように痛烈に非難する。

私たちの土地を所有する資格があると思っているから、自分たちの利益のために私たちの文化や人間性を使っても良いという考えです。アメリカという入植者の国はこの神話の上で暴力的に作られました:自分たちの祖先と意味ある繋がりがないと感じている白人たち、この土地と意味あるつながりを持っていないと感じている白人たちが、新たな形で盗みを働くのです。
(「Protect He Sapa, Stop Cultural Exploitation」より引用)

 マーク・ジェイコブスのショーではモデルのジジ・ハディッドが髪型をドレッドヘアーにし、グッチのモデルはシーク教徒風のターバンを巻いた。どちらも「文化盗用」と非難され、マークジェイコブスのデザイナーは「有色人種の女性が髪を直毛にするのを批判しないのはおもしろい」とコメントした。先ほど述べた文化盗用の構造の持つ歪さが、このコメントにも表れている。

 最近では、コムデギャルソンが、黒人に多く見られる髪型(コーンロウ)のかつらをファッションショーで白人モデルに着用させ、これまた批判された。(表紙画像)

 さらに最近の例でいくと、今年の7月21日に、有名ブランドのバレンシアガが、ベルリン芸術大学の作品を盗作したとして話題になった。バレンシアガ側は盗作を否定しているが、学生がポートフォリオを提出した後に作品が発表されたこと、見た目の類似から、個人的に盗作の可能性は高いと考えている。

 盗作された側であるアーティストは、ベトナム出身の母親にちなんで、ベトナム人女性のバイク文化にヒントを得たと語っている。(盗作しているという前提で話を進めると)ここにはアーティストの著作権の侵害だけでなく、そのルーツであるベトナム文化の盗用、という二重の問題が起こっている。

 ファッション業界においてはその流行の移り変わりが早く、シーズン毎に開催されるファッションショーなどで次々とデザイナーが新作を作らなければいけないことから、安易に他文化の意匠を用いてしまう傾向がある。結果、「文化盗用だ」と多くの反感を買ってしまうのだ。

 ここまでの反応を過敏、大げさだと思う人もいるだろう。事実、こうした糾弾もまた問題視されている向きもある。文化盗用を見過ごすこともよくないが、あまりに過敏に反応しすぎると、キャンセルカルチャーなどの糾弾文化の温床になってしまう危険性もある。

キャンセルカルチャー(cancel culture)とは:著名人の過去の発言や行動、SNSでの投稿を掘り出し、前後の文脈や時代背景を無視して問題視し、糾弾する現象のこと。

 そして、このような文化盗用の事例は、ファッション業界だけに限らない。冒頭に述べたように、文化盗用はファッション、シンボル、言語、音楽などあらゆる分野に及ぶ。

 後半となる次の記事では引き続き、文化盗用について事例を挙げながら紹介していく。文化盗用の源流とも言える黒人音楽におけるロックやジャズなどの盗用の歴史、ブルーノマーズやエミネムなどの海外アーティストの立ち位置、人種や文化の流動性について触れていく。
 私たちが多文化の中で”文化盗用”に陥らないために何が必要なのか、次の記事で詳しく考えていきたい。

後編はこちら↓


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