敦煌から莫高窟と玉門関へ

画像1 十数年前の弾丸旅行記・・・日本の砂丘では満たされないロマンを求めて、シルバーウィークに海を渡り西域へ。西安経由で敦煌まで辿り着いた。 世界遺産の莫高窟(もーがおくー)と、漢民族にとっての西の果て、玉門関(ゆーめんぐゎん)と関連遺跡を見て回った。後編はこちら→「秦始皇帝陵の兵馬俑」https://note.com/moofuu123/n/na3fc1739ca92
画像2 考えてみれば日本も中国も、どうにか欧米による完全支配を免れた過去を持ち、これまで彼ら彼女らに追いつけ追い越せと励んできた。 これからは世界に冠たる一等国として、胸を張って彼ら彼女らと伍する立場になり、そして彼ら彼女らと持ちつ持たれつの関係となることを目指す。 そういう意味では日本も中国も、目指すところは似たようなものかもしれない。 しかし米中首脳会談で習近平氏が見せた態度は、当時の首相(彼の選挙資金に多額の献金を強いられ困窮した旧統一教会信者の息子に暗殺された)安倍晋三氏とはいささか異なるものだった。
画像3 中国の共産党政権は、お世辞にも民主主義的とは言えないが、自国の利益にならないと思ったら、たとえ誰が何と言おうと、譲れないものは譲れない(不愉快だし理解不能だけど) 。その一方で日本の政権与党は、主権者たる国民不在のまま憲法改正を目指し、それで自国の利益を守ることができると信じている。たとえ半数の国民が反対しようとも、彼ら彼女ら自身の主張を押し通して、まったく譲らない(これも同じくらい不愉快だし理解不能)。・・・日本へ留学経験のあるガイド氏の案内あり、頭上にある木造の庇は唐代から現存する実物だと言う
画像4 かつて日本は約80年前、アメリカ合衆国を始めとする連合国(中国含む)に対して、無謀な戦いを挑んで完膚なきまでに叩きのめされ、敗戦国となった。 そして戦勝国であるアメリカから、よりによって彼ら彼女らの表向きの価値観とは全く異なる「理想」を込められた、世にも珍しく貴重な平和憲法を提案され、これを受諾することによって国際社会に復帰した。 しかし日本人は、未だにこの平和憲法を自国のものとして活用することができず、それ以前に自主的に公明正大に検証することさえできていない。・・・石窟内部のレプリカは別に展示あり
画像5 だから習近平氏は、あの会談の席上で、オバマ氏の批判に対し、「各々の国には、その国の歴史がある」という言葉を使ったのだろうか。 そこには暗に、日本は自国の歴史を自らのものにできていない、という皮肉も込められているのかもしれない。・・・今の子供には想像すらできないだろうが、自分の両親も戦後の瓦礫の山と焼け野原と無い無い尽くしの貧しい時代から復興へと立ち上がった。物心付いた頃には焼夷弾の火の雨の下を逃げ惑い、目の前を走る老人が焼夷弾に貫かれ火だるまとなり力尽きたと・・・断片化した長城(の骨組み)の断面!?
画像6 日本国憲法の原案から前文に込められていた、両親や祖父母の世代の平和への痛切な願い・・・その時窓の外に広がる瓦礫の山と焼け野原を眺めながら、若かったであろう彼ら彼女らは何を感じ、今後の日本の姿をどのように思い描いただろう?最初にあの草案を起草したアメリカの若きGHQ官僚も、そして彼を任命した上司たちも、きっと同じように「良心」を持った人間であり、内心あの戦争に傷つき悩み苦しみ、「今度こそ平和な世界を創ろう」と真剣に知恵を絞った結果の「理想」の結晶、「平和憲法(案)」だったはずだ。・・・莫高窟の中心的な楼閣
画像7 西安の清真大寺(モスク)へ、ここは周りが漢民族に囲まれているから、ある意味まだ管理下にあるとも言える
画像8 門も殿堂も作りは中国寺院風だが、中だけは白亜のタイル張り(もちろん撮影禁止
画像9 回族街の肉屋の外に繋がれたドナドナ羊、手綱が街路樹に巻きついて文字通り雪隠詰めの手詰まりに・・・押しても引いてもテコでも動かない、しかし人生ワンツーパンチだ、一歩進んで二歩下がる♪ただ人間どものために潰されて食われる運命を待つ・・・肉屋の店先には一抱えほどもある羊の肝臓が山のように積み上げられ、そこかしこにわんわんと蝿がたかっているのだった
画像10 この頃は中国もまだバブル景気で・・・なんて薄っぺらい思考停止の茶飲み話、さっさと卒業したら生涯学習して、さらに先へ進んで多文化共生の更なる高みを目指せ!まさに異次元のアウフヘーベンで、胡散臭い広告代理店とブローカーから逃れて「三段跳び」でもしなきゃ、ねぇそうでしょ都知事さん?
画像11 そんな利権に群がる有象無象どもはともかく、乗客の荷物だけはキッチリ運んでおくれ
画像12 乾燥地帯ならではのイチジクやナツメのドライフルーツ・・・乗り継ぎが遅い便は運賃が桁外れに安かった、しかし外の観光地へ足を延ばすほどの時間の余裕もなく、ひたすら空港内で遊んで時間を潰す
画像13 かりんとう、見た目が「ワンコのう●こ」だから「狗屎糖」・・・くだらねぇ
画像14 暗くなった構内を、白線に沿ってリズミカルに歩く男・・・Shall we dance ? (違
画像15 敦煌市街を歩いて、フードコートのような広場へ
画像16 経度はずいぶん北京からは外れるが、北京標準時の適用はそのままなので、うっすら月が昇って宵の口でも時計の針が示す時刻と、今自分のいる空間の日差しの明るさとでは、あまりの食い違いに違和感がある
画像17 好きなものは何でも屋台へ注文してテーブルまで持ってくる
画像18 茹でラクダ肉の麻辣ダレに野菜炒めなど
画像19 翌日は莫高窟のチケット売り場へ、ガイドの予約がセットで義務付けられている
画像20 どうせ強制的にシャトルバスで移動させられるんだけどね
画像21 こういうレプリカの展示もあった、彫られている踊り子の姿はアンコール・ワットのそれを連想させる、完全に東南アジアのノリ
画像22 一時期これ日本でも「やっちゃえ●産」が作ってた!VW サンタナ(プラットフォームは基本 Audi 80 と共通、当時から涙ぐましい企業努力で日米欧の合従連衡へ、思えばこの頃すでに背後から死神の足音がひたひたと・・・●産の日本人経営陣とルノー会長から丸投げの日本人のリストラという汚れ仕事を被ってゴーンは底なしの泥沼に沈められて葬られたが、●産の日本人経営者が責任逃れの小細工をやめて自分でリストラやっていれば、無関係な人々を犠牲にする必要はなかった!)いやいや、懐かしい〜!(LNG タクシーに改造されている)
画像23 ♪まくれー、まくれー、コータロー・・・♪♪
画像24 手作り感が満載の「散水車」乙!
画像25 ここでチケットを買わされる
画像26 たまたま居合わせた日本のオバチャンいわく「潰れたミルフィーユ」確かにw
画像27 見た目ボロボロになった「畳の芯」が積み上げられ、途切れ途切れにどこまでも続く景色
画像28 壁に穿たれた出入り口の上が崩れ始めている
画像29 近くには狼煙を上げる台があった
画像30 それを中から覗いてみる・・・徴兵されたら最後、こんな僻地で何かあっても「お国のため我慢しろ」で終わりだろ!生き地獄である・・・♪海は〜死に〜ま〜すか!山は〜死に〜ま〜すか!風は〜どう〜で〜すか!空も〜そう〜で〜すか!・・・♪♪(さだまさし師匠「防人のうた」より)まだ平和で良かった(違・・・最後までご覧頂きありがとうございました!よろしければ他の旅行記も是非どうぞ!そしてこの旅行記の続編はこちら→「秦始皇帝陵の兵馬俑」https://note.com/moofuu123/n/na3fc1739ca92

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