とんでもないことが起きた
人の命がいともたやすく奪われていく現実を突きつけられると、どうしてもこう考えてしまう。小説がなんの役に立つだろう? たとえば三・一一のとき。たとえばロシア軍がウクライナへの侵攻を始めたとき。どっと流れ込んでくる被災地、戦地の情報の中に無数の苦しい顔が見え、フィクションに夢中になっていることがたまらなくうしろめたくなって、自分のしていることを正当化しようと「芸術の意義」のようなことを考えだしてしまうのだ。でも当然、うまくいかない。芸術に有用性を問うなどナンセンスだという答えを、私はすでに持っているからだ。
しかしその答えは、そういうときにちっとも答えらしい振る舞いをしてくれない。おまえはそのままでいい、何人死のうと自信を持って書き続けていればいいんだと言って安心させてくれることはない。だから私は気付くとSNSを開き、こういうときこそ芸術が人の心の支えになるのだとか、芸術が抵抗の手段になる、ペンは剣よりも強しだとかいう声を、共感も慰めも感じないまま追いかけて、結局、新たな答えの片鱗も見つからないまま再び執筆に取りかかることになる。創作意欲というのが本質的に不謹慎なもので、作り手の倫理がどんな状態であれお構いなしに湧き出てくるものだということに、私は生かされているのだ。
有事のたびに襲いかかるこのアイデンティティ・クライシスを、だから、代償のようなものなのだといつしか思うようになっていた。「何人死のうと自信を持って書き続け」ていくための支払い。
『スモモの木の啓示』に出会ったのは、そんなふうに諦め、でもそれをどこかで悔しく思っていたときだった。どんな小説でも、読んで、そして「わかった」と思い込むのは危険なことだ。解釈の幅を狭め、自分という読者を独善的なモンスターに変えてしまう。そのことを知っていたから、私が独善的モンスターになるのは本当に久しぶりのことだった。『スモモの木の啓示』という小説を読んで、私はおそらく十代の頃以来、久しぶりに「わかった」と——正確には、「わかった!」と——思ったのである。具体的に何が「わかった」かといえば、自分はこの先おそらくもう二度と、小説に何ができるだろう、作家がなんの役に立つだろうと悩むことはないだろうことが、わかった。とんでもないことが起きたのだ。
著者のショクーフェ・アーザルは、政治難民としてオーストラリアに移住する二〇一一年まで、生地イランで生活していたらしい。生まれ年は一九七二年。数年後に起きるイラン・イスラーム革命に子ども時代を翻弄されたであろうことは年表からも読み取ることができ、『スモモの木の啓示』全編にわたって緻密に描かれてもいる。本作は、革命という名の圧政と暴力を生き抜いた当事者の記録である。
と同時に、これ以上ないほどの「フィクション」でもある。幽鬼と呼ばれる妖怪のような存在、死神、死者、どこからともなく現れては祈り始める僧、動く植物、人魚——そうした「この世ならざるもの」がまるで革命の混沌を体現するかのように小説内を跋扈し、イランの現実を生きる人々の人生と分かちがたく絡み合っているのだ。幻想的なエピソードも、ストーリーに直接関わるものから寓話のようなかたちで挿入されるものまで盛りだくさんで、一つ一つが短編としてでも成り立ちそうな逸話が二十以上も詰め込まれている。それでいて、それらを語る筆致にはまるで作為の匂いがしない。感じるのは読者を驚かせよう、面白がらせようという下心ではなく、必然と切実さだけなのだ。
その切実さは、語り手・バハールと彼女の家族を襲う——おそらく、著者の体験や目撃したものがベースになっているであろう——悲劇から来ている。たとえば、家に火を放たれ、生きたまま焼かれる。暗い独房に入れられ、さらにそれを忘れられて十一日間放置される。家族がそういう目に遭わされる、そんな現実をどうすれば見つめられるだろう? どのようにして耐え、向き合い、伝えられるだろう、「フィクション」の手を借りる以外に?
語り手の少女・バハールも言う。「わが家では、昔から本が最初で最後の避難場所となっていた」
そんな一家の、そしてこの小説の本質をよくあらわしているのが、バハールの姉・ビーターの行動である。彼女は反体制の団体に加わってデモ活動を行ったために刑務所に送られるという過酷な経験をしたのち、「政治学や社会学の本に向かうのではなく、大衆雑誌に掲載された連載恋愛小説に直行した」。その後「子供の本を読み始め」、「だんだんとおとぎ話に入れ込んでいった」。そうして「イランの人々の現実的/空想的な信仰の広大な世界にますます深く入り込み、日々の現実世界からは遠ざかってい」くのである。
しかし『スモモの木の啓示』を特別に誠実な作品にしているのは、このビーターのことを、厳しい現実をフィクションに救済された人物として描いていないことなのだ。アーザルはそのかわり、フィクションに逃げ込みはしたものの特に救われはしなかった者として彼女を描いている。正直すぎて、作家としては胸をえぐられる思いがする。
もう一つ、焚書という象徴的な場面がある。バハールたちの暮らす村に革命防衛隊がやって来て、「革命やイスラームに逆らう内容を徹底的に根絶するため」にバハールの父・フーシャングの蔵書を焼き払い、「本が燃やされると同時に、私たちは四肢と声を失った」と感じるところまで一家を絶望させる。だがフーシャングは、その後こう宣言する。「私たちは書くことを始めなければならない」
そうして、家族一人一人の記憶を頼りに、焼かれた本の復元作業が始まるのである。彼らの家に差し込んだ「喜びと希望の光」が読む者の胸まで満たしてくれるような、本当に感動的な場面だ。
しかしアーザルは、やはりそのまま欺いておいてはくれない。希望を抱いて復元作業に勤しんでいたバハールたちは、最後には結局「自分の細胞の中に絶望が染み込んでくるのを感じ」、「文化と知識と芸術は暴力と剣と炎に太刀打ちできない」と結論付けるのである。
そして終盤、いよいよ核心に迫った問答がなされる。音楽や文学を愛しながらも現実を重んじるフーシャングは、神秘主義に魅入られた弟のホスローに「何の役に立つ?」と問い詰める。理不尽な暴力が次々と家族を襲っているあいだ「おまえのようなお利口さんは(中略)身を隠しているだけ」、「その神秘主義の戯言がどれだけ役に立ったと言うんだ?」
まるで作家を、アーザル自身を糾弾するかのようなその言葉に彼女は、「まったく何も!」とホスローに答えさせている。「ああ、もっと多くのことができればいいのだけれど!」
でも、それじゃあどうして——とまた新たな、さらに核心に迫った疑問が出てくる。哲学やフィクションが無力だと知っていて、そのことを繰り返し白状しながら、ショクーフェ・アーザルという作家はなぜこの小説をこんなにも徹底的に「フィクション」で埋め尽くしているのだろう? なぜこんなにも全力で、ほとんど命懸けのような執念で、矛盾した行動をとっているのだろう?
私が「わかった」と感じたのは、一家の運命を見届けたあと、その謎こそが答えなのだと気付いたときだ。
無力だから手放す。無力ではないから信じる。そういう話ではそもそもないのだ。なんであれひとまず必要なもの、それがフィクションで、その意義を問うことはいわば水の意義を問うようなものなのだ。ナンセンスどころの騒ぎではない。水が必要かどうかなんて、いったい誰が議論するだろう。水を飲もうとすることを、いったい誰が「渇きという現実からの逃避」などと言うだろう。芸術やフィクションは人を救うものでも、より良い人生を保証するものでもない。ただの——とあえて言いたい——インフラストラクチャーの一つにすぎないのである。
『スモモの木の啓示』は、そのことを完全に証明してくれた。たとえそれがたった一杯の水、あるいはたった一本のスモモの木ほどありふれたものでも、啓示の媒体として不足ということはないのだ。
(初出:「新潮」2022年6月号)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?