「新潮」編集部

明治37年創刊! 日本で最も長く刊行され続けている文芸誌です。 https://www…

「新潮」編集部

明治37年創刊! 日本で最も長く刊行され続けている文芸誌です。 https://www.shinchosha.co.jp/magazine/shincho/  このnoteは、雑誌に掲載された読み切りの原稿を、より多くの方々に知っていただく場にできたらと考えています。

最近の記事

追悼シンポジウム「坂本龍一の京都」を聴いて/福永信

 坂本龍一の没後もっとも大規模なイベントが、縁の深かった京都で2023年6月18日に開催された(ICA京都+京都芸術大学舞台芸術研究センター主催)。四十年来の友人である浅田彰と、長年にわたり多くの作品でコラボレーションしてきた高谷史郎が坂本のこれまでの活動を振り返った。常時壇上にいるのはこの二人(と司会の小崎哲哉)だが、その時々に八人のゲストが登場し、思い出を語った。渡邊守章演出《マラルメ・プロジェクト》(2010-2012)やトーマス・ドルビーとの『Field Work』(

    • ファーレ立川の岡﨑乾二郎作品撤去撤回とパブリックアートという未来/福永信

       ファーレ立川の岡﨑乾二郎作品の撤去が撤回された。あっけない幕切れに思えた。撤去しないことを求めていたのだからそれでよかった。二月からは工事の仮囲いで覆われる予定だったのだから、その前に決着がついたことはよろこばしいことだった。美術評論家連盟が髙島屋社長村田善郎氏と立川市長清水庄平氏宛てに撤去の再考を促す要望書を送付しての、急転直下の「解決」であった。髙島屋は社長名義の回答文でこのように記した。  美術評論家連盟のホームページに全文が公開されている(*1)。四百字詰め原稿用

      • 〈正論〉に消された物語――小説『中野正彦の昭和九十二年』回収問題考/石戸 諭

        1 「小説は人間の弱さや愚かしさ、さらに言えば、弱く愚かな人間の苦悩について描くものなのだ。(中略)私たち作家が困惑しているのは、今、人々の中に強くなっている、この『正しい』ものだけを求める気持ちだ。コンプライアンスは必要だが、表現においての規制は危険である。その危険性に気付かない点が、『大衆的検閲』の正体でもある」(桐野夏生「大衆的検閲について」『世界』2023年2月号)  桐野夏生は、インドネシアで開かれた国際出版会議の基調講演の中で、正義の名の下に断罪される表現の自由

        • ゴダールとストローブ=ユイレの新しさ/蓮實重彦+浅田彰

          人類はまだ見ることを知らない 浅田 東京の日仏学院で開かれた「カイエ・デュ・シネマ週間」(2005年1月7日~2月6日)で、「カイエ」編集長ジャン=ミシェル・フロドンと蓮實さんの対談に先立ってジャン=リュック・ゴダールの新作『ノートル・ミュジック(われらの音楽)』(2004)が日本初上映された。芥川賞受賞決定直後の阿部和重をはじめ、青山真治、黒沢清、中原昌也と、蓮實スクールの出席率のよさに感心しましたけれども(笑)。また、別の日には、ジャン=マリ・ストローブ&ダニエル・ユイ

          有料
          500

        追悼シンポジウム「坂本龍一の京都」を聴いて/福永信

          とんでもないことが起きた

           人の命がいともたやすく奪われていく現実を突きつけられると、どうしてもこう考えてしまう。小説がなんの役に立つだろう? たとえば三・一一のとき。たとえばロシア軍がウクライナへの侵攻を始めたとき。どっと流れ込んでくる被災地、戦地の情報の中に無数の苦しい顔が見え、フィクションに夢中になっていることがたまらなくうしろめたくなって、自分のしていることを正当化しようと「芸術の意義」のようなことを考えだしてしまうのだ。でも当然、うまくいかない。芸術に有用性を問うなどナンセンスだという答えを

          とんでもないことが起きた

          青山真治をみだりに追悼せずにおくために/蓮實重彦

           まだまだ元気だった頃のその人影や声の抑揚などをせめて記憶にとどめておきたいという思いから、死化粧を施されて口もきくこともない青山真治――それは、途方もなく美しい表情だったとあとで聞かされたのだが――の遺体に接することなどこの哀れな老人にはとても耐えられそうもなかったので、その旨を伴侶のとよた真帆に電話で告げることしかできなかった。そのとき、受話器の向こうで気丈に振る舞う真帆の凜々しさには、ひたすら涙があふれた。こうして青山真治の葬儀への参列をみずからに禁じるしかなかった老齢

          青山真治をみだりに追悼せずにおくために/蓮實重彦

          無数の橋をかけなおす──ロシアから届く反戦の声/奈倉有里

          最初の衝撃  2022年2月24日、現地時間の早朝、日本時間の昼過ぎに飛び込んできた「ロシア軍がウクライナ各地を攻撃」という報道。慌ててロシアの独立系放送局「ドーシチ(雨)」をつけると、コメント欄は衝撃と恐怖と自責と絶望の叫びで埋め尽くされていた――「悪夢だ」「誰かあのクレムリンのクソ野郎を止めろ!」「みんな、いますぐ街に出て抗議しよう!」「戻れ、引き返せ!」「いっそここを、モスクワを攻撃してくれ!」「どうしよう」「もうおしまいだ」「私たちが悪いんだ」「誰か嘘だと言って」…

          無数の橋をかけなおす──ロシアから届く反戦の声/奈倉有里

          眼差し――西加奈子『夜が明ける』書評/小池水音

           親しくしていた親戚の窮状を私が知ったのは、彼女の重い病が判り、命を分ける手術が決まってからのことだった。彼女は長きにわたり、家事、育児に励みながら、非正規雇用の仕事で生活を担い、一方で夫は、彼女の稼ぎから浪費していた。その夫とどうにか別れ、ようやく治療に専念できるという段になっても、奨学金の返済が彼女や家族の胸を重くしていたことに、当時の自分は思い及ばせることができなかった。どのような状況であれ、返済に努めることは当然だと、そう思うひともいるだろう。けれど私は、なにかがおか

          眼差し――西加奈子『夜が明ける』書評/小池水音

          黒人の正典を定義する――ヴァージル・アブロー最後のロングインタビュー

           2018年に黒人として初めて〈ルイ・ヴィトン〉メンズウェアのアーティスティック・ディレクターに就任したヴァージル・アブローが、2021年11月28日に心臓血管肉腫で急逝した。アーティストのカニエ・ウェストの盟友としても知られ、自身が立ち上げたファッションレーベル〈Off-White オフホワイト〉は日本でも展開しておりご存知の方も多いだろう。41歳という若さでこの世を去ったアブローは、ファッションを専門的に学んだ経験はなく、一般的なルートで〈ルイ・ヴィトン〉のディレクターに

          黒人の正典を定義する――ヴァージル・アブロー最後のロングインタビュー

          片道十三時間の街で/近藤聡乃

           中学生になると、電車を乗り継いで一時間半ほどの学校に通い始めた。小学校は徒歩三分であったから、はじめての電車通学、はじめての長距離移動生活である。子供の頃から乗り物酔いする質で、最初の頃は文字通り「這う這うの体」で学校にたどり着く、といった状態だったのだけど、次第にそれを克服すると移動が面白くなってきた。窓の外を眺めて、開店前のパチンコ屋に行列ができることや、駅の周りには怪しげなホテルがたくさんあることを知ったり、吊り広告の下世話さに驚いたり、帰りには気に入った本やマンガを

          片道十三時間の街で/近藤聡乃

          下級国民の家族小説/綿野恵太

           子供は親を選べない。そのことを景品くじの「ガチャ」に喩えた「親ガチャ」というスラングが流行したとき、小林秀雄「様々なる意匠」の有名な一節を思い出した。「人は様々な可能性を抱いてこの世に生れて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚く可き事実である」。この事実を小林は「宿命」と呼んだ。のちに柄谷行人は誰にも当てはまる私一般ではなく、ほかならぬ「この私」=「単独性」をこの一節に見出した(『終焉をめぐ

          下級国民の家族小説/綿野恵太

          ここじゃないどこか/玉田真也

           伊勢に猿田彦神社という古い神社があって、ここ数年友人のKさんら数名と参拝している。参拝と言っても僕たちが行うのは、5円玉を賽銭箱に投げ込んで天井から伸びているあの綱状のものをガラガラさせるという一般的な参拝の仕方ではなく、数千円のお金を払って神主的な人に祈祷してもらうというけっこう本格派な参拝だ。普通ならわざわざそんなにお金を払って祈祷なんてしてもらわないのだけど、Kさんがそれをやるという。驚いて聞くと、なんでもこの神社は「みちひらき」の神様が祀られているたいへん有り難い神

          ここじゃないどこか/玉田真也

          蛸狩り/エリイ(Chim↑Pom)

           眼球が押しつぶされて楕円になり、わずかに開いた隙間に先端が触れる。かすかに膜を張っていた水分がパイルに吸収されていく。「オキテクダサイ、オキャクサン」。カーテンの向こう側から投げかけられたその言葉はこれが二度や三度目ではないだろう。オキャクサンとは私のことだと、走り込む光によって涅色に浸っていた脳がずるりと這い出す。うつ伏せのまま鼻と口で呼吸出来るように穴が空いている枕の上のパイルの輪状のループに焦点をあわせながら、簡易ベッドと枕の間に挟んでおいたiPhoneを取り出すと眩

          蛸狩り/エリイ(Chim↑Pom)

          村上―チェーホフ―濱口の三つ巴 ――『ドライブ・マイ・カー』の勝利 /沼野充義

           濱口竜介監督の新作映画『ドライブ・マイ・カー』は、村上春樹の同名の短篇小説を原作としている。というか、村上作品の映画化であることが話題を盛り上げる一要素になっていることは否定できないだろう。しかし、映画を観ると、村上春樹に負けないくらい、もう一人の作家の存在感がこの映画の中では強烈であることが分かる。それはロシアのアントン・チェーホフだ。ただし、村上とチェーホフという強力な二人の作家の「おかげ」で、ではなく、「にもかかわらず」というべきか、この映画はまぎれもない濱口竜介とい

          村上―チェーホフ―濱口の三つ巴 ――『ドライブ・マイ・カー』の勝利 /沼野充義

          旅の途中/塩田千春

           秋になって、ワクチン接種者が増えたためか、延期になっていた展覧会が一度に動き出していた。ロンドン、オーフス、フランクフルト、ヘルシンキ、エスポー。そのあと東京、沖縄、上海、桃花島……。もう元の生活に戻ったのかと思えるほど、展覧会と移動の多い日々がはじまっていた。  ロンドンではほとんどの人がマスクをしていなかった。スーパーで買い物をする時、マスクをつけなくても違反ではないらしい。スタッフと3人で、パブで飲みながらご飯を食べていると「君たち観光で来たの?」とウェイターが声を

          旅の途中/塩田千春

          「詩」というもの/谷川俊太郎

           僕が小学校に行ってた頃ね、日本は戦争してたでしょ、戦地の兵隊さんに手紙を書きましょうなんて宿題が出るわけ、僕は何書いていいかわからないんだ、母にそう言うと、自分のことを書けばいいのよと言われる、そこでまた困っちゃうんだ、自分のことって何書けばいいのって言うと、遊んだことでも、勉強したことでもなんでもいいのよと母は言う、そうすると頭に浮かぶのは、朝起きて顔を洗って朝ごはんを食べてみたいなこと、子供心にも全然面白くない、いやいや鉛筆でひらがなと漢字を書いていた。  今考えると

          「詩」というもの/谷川俊太郎