ゴダールとストローブ=ユイレの新しさ/蓮實重彦+浅田彰
人類はまだ見ることを知らない
浅田 東京の日仏学院で開かれた「カイエ・デュ・シネマ週間」(2005年1月7日~2月6日)で、「カイエ」編集長ジャン=ミシェル・フロドンと蓮實さんの対談に先立ってジャン=リュック・ゴダールの新作『ノートル・ミュジック(われらの音楽)』(2004)が日本初上映された。芥川賞受賞決定直後の阿部和重をはじめ、青山真治、黒沢清、中原昌也と、蓮實スクールの出席率のよさに感心しましたけれども(笑)。また、別の日には、ジャン=マリ・ストローブ&ダニエル・ユイレの新作『ルーヴル美術館への訪問』(2004)も上映された。監督の希望ということで、微妙に違うだけの二つのヴァージョンを連続して上映するという異例な形でした。蓮實さんとの対談も収録された僕の『映画の世紀末』(新潮社)では、20世紀末の時点でゴダールとストローブ=ユイレが〈絶対映画〉とでもいうべきものの両極――「juste une image(単なるイマージュ)」の散乱という極と「une image juste(正しいイマージュ)」の徹底という極――を張っているという位置づけを試みたわけですが、21世紀になって5年たってみてもそれは変らないというのが、新作を観ての印象でしたね。
蓮實さんは「文學界」でジョン・フォード論を連載されると同時に「InterCommunication」でゴダール論を連載されていますが、ゴダールとストローブ=ユイレの新作をどういうふうに見られたか、まず伺いたいと思います。
蓮實 1980年代から90年代にかけてわれわれが想像していたのは、21世紀はそう簡単に来てくれないだろうということでした。事実、今の世界で起こっていることのほとんどが19世紀の亡霊の仕業であり、それは19世紀を十分咀嚼し得なかった20世紀が支払うべき歴史へのツケだと思っています。浅田さんが挙げられたゴダールとストローブ=ユイレは19世紀に徹底的にこだわっている映画作家で、だから他にさきがけて21世紀へと足を踏み入れているのだといえます。ストローブ=ユイレの場合は、19世紀はヘルダーリンからマラルメ、セザンヌですね。さらに、それを一歩ふみこえたかたちで20世紀初頭のシェーンベルクにも強く引かれているのですが、彼らは、そうした作品の言葉やもの音に耳を傾け、ものを視線でとらえることで歴史を厳しく生きようとする。多くの人はものを正しく見たり聞いたりするすべを知らないから、いまだに20世紀を超えられずにいるんだと彼らなら言うだろうし、それは決定的に正しい。ゴダールの19世紀との関わり方はもっと曖昧で方法論的ではないのかもしれません。ほとんど理由もなくマネの絵画を持ち出して、その細部を拡大したものが、つまり描かれた人物の表情のクローズアップがすでに映画だと彼はいう。ゴダールにおけるマネ登場の理由は、まあジョルジュ・バタイユの『マネ論』(「沈黙の絵画」)があったりして、フランス文化の上では理由があるといえばいえるわけですが、それを映画誕生と重ねるあたり、どこまで本気かはよくわからない。しかし、およそ絵画の構図を無視した『映画史』の「フォリー・ベルジェールの酒場」の女性や「ナナ」や「バルコニー」のベルト・モリゾーのクローズアップのショットは映画として有無をいわせずに素晴らしい。こうして、われわれはゴダールにだまされ続けるのです。
ストローブ=ユイレがセザンヌを見る目については、これは本気だってわかります。彼らには『セザンヌ』(1980)という作品もあり、今回の『ルーヴル美術館への訪問』と同じくジョアシャン・ガスケのテクスト(『セザンヌ』)を使っていますが、映画『セザンヌ』ではダニエル・ユイレがテクストを読んでいた。
浅田 あれが実に変なイントネーションなんですよね。
蓮實 そう、変なんです。ところが、今度の朗読はジュリー・コルタイで、イントネーションからしてアラブ系だと思いますけれども、これが素晴らしい。聞いていて、ただ震えましたね。つまり、フランス人であるダニエル・ユイレが読んだものより、息づかい、声の肌理、そして沈黙の長さにおいて遥かに優れており、パリ風の瀟洒なフランス語でないだけに、言葉が記号として立ち上がってくる。恐らく『セザンヌ』の限界は、沈黙を充分に使えなかったことだと思うんですが、今回は黒い画面の沈黙が圧倒的に機能している。
私は浅田さんほど見事にゴダールとストローブ=ユイレの対極性を口にすることはできませんが、ここでちょっと訂正を加えておくと、「InterCommunication」で連載しているテクストは、ゴダールだけを論じるものではなく、近くマネがらみでフーコーに言及し、それからセザンヌをめぐってストローブ=ユイレにも触れることで終わる予定の19世紀=20世紀論として構想されたもので――ついでに訂正をくわえておくなら、もちろん、蓮實スクールなどというものも存在してはいませんが……――、20世紀人ゴダールとストローブ=ユイレのこうした画家たちへのごく正常な視点を、世紀末から21世紀初頭における人類がどうしてこれほど失ってしまっているかということが、現在の私の関心事です。
浅田 ストローブ=ユイレのほうからいうと、まずジョアシャン・ガスケによるセザンヌの聞き書きの信憑性の問題がある。父親がセザンヌの幼馴染だったので、自分も1890年代中頃からセザンヌと付き合っていたけれど、1900年代には疎遠になっていたのを、1906年にセザンヌが死んだ後、1912~13年に回想録を書いて、それが21年に出るわけで、かなり自由にパラフレーズしている可能性がある。しかし、他の書簡や回想などと照合してみても、セザンヌが言ったに違いないと思われる言葉がたしかにあるんですね。とりあえずこのテクストを朗読しながら、それをイラストレートしていこうというのが、ストローブ=ユイレの二度にわたる試みだったわけです。
それで、『セザンヌ』ではサント=ヴィクトワール山の実景を撮り、今回はセザンヌがガスケとルーヴル美術館を訪問したときの流れにそってさまざまな作品――1点の彫刻(サモトラケのニケ)と14点の絵画(ヴェロネーゼの「カナの饗宴」からクールベの「オルナンの埋葬」まで)を撮っていく。『セザンヌ』でのユイレの朗読がなんとも奇妙だったのに対し、今回は見事な朗読だとはいえ、これもまたいわゆるコメディ・フランセーズ風の「自然」な抑揚ではない特異な抑揚で、息づかいにいたるまでリアルにとらえられたその声が、きわめて厳密に正面からフィックスで撮影された絵画の映像と響き合っていく。映画らしいところといえば、最初にカルーセル橋からルーヴル美術館を望むショットと、中頃でルーヴル美術館の窓からセーヌ河岸を見下ろすショット、そして最後の『労働者たち、農民たち』(2000)から引用された(あるいはそれと同じ場所で撮影された)森の中の小川のパン・ショットしかなくて、極端にいえば紙芝居やスライド・ショーのような映画なんだけれども、映画という手段を通じて絵を見ることを再教育するという意味で、きわめて大胆な試みだと思います。
中身について言うと、セザンヌとガスケが歩いた通りに、「サモトラケのニケ」のある階段を上って、2階のギャラリーに入り、絵画というものはヴェネツィア派がはじめて生み出したのだというのでヴェロネーゼなどを見ることになる。あの「カナの饗宴」という絵はやたらに大きくしかも高い位置にあっていままでまともに見た経験がなかったのを、この映画ではじめてちゃんと見せられて、そうするとこれが確かに面白い絵なんですね。フランス近代については、ダヴィッドやアングルが批判され、ドラクロワとクールベが評価される。とくにクールベのところがクライマックスになるわけです。その場合、『セザンヌ』でも、すぐにサント=ヴィクトワール山に行くのではなくて、ジャン・ルノワール監督の『ボヴァリー夫人』(1933)がかなり長く引用され、ある意味でグロテスクなまでにリアルなフロベール的な世界をふまえてはじめてサント=ヴィクトワール山に行くわけですが、今回も最後にクールベの「オルナンの埋葬」が出てくるところで、クールベは母の死後にこれを描いたとも言われるけれど、そうした悲劇的情景にわざとグロテスクなまでに醜い人物を描き込んでいる、これはまさにフロベールだ、というセザンヌの言葉が強調される。クールベはよくボードレールとペアにされるし、実際にボードレールの絵も描いているわけだけれど、さらにクールベとフロベールを対比した上で、その上にセザンヌがあるんだ、それが19世紀なのだ、これを見なくして20世紀もないし、当然21世紀もない、という線を、ストローブ=ユイレは明確に打ち出しているわけです。
率直に言って、芸術大学では――というか、普通の大学の美術史や文学史のコースでも、まずこの二つのフィルムを見ることを必修にするべきではないかと思いましたね(笑)。
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