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旅の途中/塩田千春

 秋になって、ワクチン接種者が増えたためか、延期になっていた展覧会が一度に動き出していた。ロンドン、オーフス、フランクフルト、ヘルシンキ、エスポー。そのあと東京、沖縄、上海、桃花島……。もう元の生活に戻ったのかと思えるほど、展覧会と移動の多い日々がはじまっていた。

 ロンドンではほとんどの人がマスクをしていなかった。スーパーで買い物をする時、マスクをつけなくても違反ではないらしい。スタッフと3人で、パブで飲みながらご飯を食べていると「君たち観光で来たの?」とウェイターが声をかけてきた。「私たちキューガーデンで作品の設置をしているの。この人がアーティスト」と綺麗なイタリア人スタッフが私を指さす。ウェイターは、私を見てあからさまに興味のない顔をする。この子狙いというのは分かっていたが、そんな顔をしなくてもいいのに……。それにしても、パブであんなに密に座っていて、コロナは大丈夫なのだろうかと、ベルリンから来た私は思ってしまう。

 デンマークのオーフスに来年の展覧会の打ち合わせに行った時も、私だけがマスクをしていた。「マスクをしなくてもいいんですか?」と聞くと「どちらでもいいのよ。うちの政府の対策はとても良くて、首相は43歳の女性なのよ」と言われた。気がつけば、今日のミーティングも女性ばかりだ。「コロナ禍のデンマークでは、美術館はどうでしたか?」とありきたりの質問をしてみる。「もちろん閉めてはいたけど、今はもうオープンして元の生活に戻りつつあるの。でも、学生たちはコロナ関係の施設で高額のアルバイトをしていたから、もう普通の仕事がバカらしくてできないかもしれないわ」と言う。

 オーフスでのミーティングの後、電車でコペンハーゲンに向かう。海を眺めながら人々を観察。本当に色んな人種の人がいる。混ざれば混ざるほど、私は逆に自分のアイデンティティーというものを探してしまう。空港でエビが乗ったサンドイッチを、手ではなくフォークとナイフで食べた。今日は日帰りでデンマークの二つの街に行った。明後日にはフィンランドに行かなくてはいけない。

 ヘルシンキは雨。数年前、ここから船でエストニアに行き、田根剛さんの建築を見に行ったことなどを思い出しながらタクシーに乗る。個展が開かれるために目的地のエスポーという街に向かい、そこでキュレーターと作品について話す。やはりミーティングではマスクをしていない。ここでも「マスクはつけなくていいんですか?」と聞く私。「つけたり、つけなかったり。お店の中はつけなきゃいけないけどね」。ベルリンに比べると、マスクをつけていない人がほとんどだ。このエスポーの美術館は、ベビーカーを押している家族連れが多い。「コロナでロックダウンが長かったからね。みんなどこかに行きたいけど、シアターや映画館は締め切っていて動けないでしょう? 美術館なら、かなり人との距離を取って作品も見られるし、人と話しながら歩けるわ。しかもこの美術館、フィンランドで一番(面積が)大きな美術館なのよ」。オープニングでインタビューを受けるため、通訳の人が来る。日本人だけどフィンランド人みたいだ。「もうサウナに入られました?」と聞かれる。「まだなんです。でも、みんな挨拶のように聞くんですよ。ホテルにもサウナ階っていうのがあって、フィンランドといえばサウナなんですかね?」「冬が寒くて長いので、雪の日にサウナに入るのもいいですよ」「ドイツでもサウナはあるんですけど、男女兼用でみんな素っ裸なんです。本当にあのシワシワのアボカドを見ると、ちょっとトラウマになるんですよ(笑)。あっ、これ訳さなくていいです」と言うと、通訳の人は笑って顔を赤くした。お昼はサーモンのスープ。クラッカーのようなパンにバターを塗って食べる。この国にこの食べ物は本当に合っていると思った。そしてじゃがいもも、ドイツで食べるものとここで食べるじゃがいものスープの味は違う気がした。

 オープニングが終わり空港にまた向かう。PCRテストは必要なく35番ゲートでベルリン行きの飛行機を待つ。隣の34番ゲートはバルセロナ、36番ゲートはマドリッド。空港でスーツケースを持つ人の波を見ていると、人種も違うし言葉も違う、みんなどこに向かって旅をしているんだろう。何を目的にどこから来たんだろう。そして私もまたどこに行くのだろう、と根源的なことをふと考えてしまった。次の都市でも私は「マスクはつけますか? それともマスクはなしですか?」と聞いて、なんとなく人に合わせるのだろうか。コロナパンデミックはもう明けたの? こんなに移動して大丈夫なの? いろんな思いでベルリンに戻り、次の日にフランクフルトに行く。

 ドイツは比較的まだ色々な所でマスクが必要だ。ベルリンはFFP2規格のマスク(医療用で規格認証されたマスク)でなくてはいけないが、フランクフルトはただの布マスクでもよかった。いっそのことヨーロッパで統一してくれればいいのに。私は、周りを見てただそこに合わせているだけだ。意見も何もない、何も言えない自分が嫌になる。コロナは世界的な問題なのに、自分は規定に従っているだけでただの木偶の坊に思えてくる。マスクをするのかしないのかと軽い感じで聞いているけど、でも「本当のところはどうなんですか?」と本心を聞きたい。本当のことが知りたい。でもその本当って何かさえも分からない。こんなことで、自分がだんだん虚しくなってくるのだ。

 11月のはじめ、パリ経由で東京へ向かう予定だったがキャンセルすることになった。上海での個展のために中国ビザを申請したが、受け取りが後ろにずれ込んだためだ。予定日の3日後に出発を変更し、やっとベルリンの空港に向かった。搭乗3時間前に着き、PCRテストを受け、陰性証明を持ってチェックイン。ゲートに向かう。でも、警備員に止められ、同時に空港内にアラームが鳴り響く。「飛行機に遅れる!」と私は警備員に訴えたが「いや、待て。ここで動くな」と言い返される。15分後にやっとゲートに着き、パリ行きの飛行機に搭乗。すると今度はアナウンスがあった。「火災警報が鳴っているので、念のため飛行機から降りてください。そして、もう一度全ての人がセキュリティー・チェックを受けてください」。飛行機の中やゲートにいた人たちが出てきたので、満員電車のように空港内が混雑する。ソーシャルディスタンスなんて、とてもじゃないけど保てない。インフォメーションに行き、「今パリ行きの飛行機に乗らないと、もうパリからの東京行きに乗れなくなるんです」と訴える。「ここでは何も言えないから、チェックイン・カウンターに行ってください」と言われる。チェックインした9番カウンターに行き、さっきと同じことを伝えると、「ここでは何もできないから、パリに行ってそこでチケットを変えてください」「でも今日はパリから東京行きの飛行機は出てないんでしょう?」「ここでは何もできないので、パリで話してください」「今キャンセルしたらどうなりますか?」「キャンセルはできません。あなたの荷物はもう飛行機の中です。手荷物を持ってまたセキュリティー・チェックを受けてください」。

 どれが列だか分からないほどの人混みだった。そのうちTwitterで「ベルリン空港、誰かがタバコをトイレで吸って火災警報が鳴り、カオスに」という記事が流れる。空港でのアナウンスよりTwitterの情報が動いている。後ろのおばさんが、「私パリ行くの」とフランス語で言いながら押してきた。私もパリ行きですと言っても押してくるので先に行ってもらう。彼女が勢いよく巻き直したマフラーが、後ろに立っていた私の頬を叩く。人がこんなに集まり、みんなが怒って揉めている。あちこちでケンカして叫んでいる。警備員や警察が一緒になって、必死でみんなを従わせようとしていた。警備員に反発した乗客が叫ぶ。人の醜態を見て、人間ほど醜い生き物は、地球上にはいないのではないかと思う。

 セキュリティー・カウンターのトレーの中にMacBookを忘れてきてしまったことに気がついた。取りに戻ろうと思ったが、長蛇の列に並び直す時間なんてない……。諦めて途方に暮れていた時、朗報が届く。明々後日の月曜日10時から日本に到着した人は、隔離が10日間ではなく3日間になると日本政府が決めたそうだ。私が乗る飛行機はまだ動かない。今、やはりこの便をキャンセルし、2日後の飛行機で日本に行った方がいいのではないか、そうすれば後ろ倒しになったスケジュールが全て取り戻せるかもしれない。ところが「いや、今キャンセルはできません。このままパリに行ってください」と客室乗務員。仕方なく席に座る。すると、窓の外で番号を確認しながら荷物を降ろしている様子が見えた。乗務員に「荷物を降ろしているなら、私のも降ろしてください。今パリに飛んでも、もう私の東京行きの飛行機はないから」と頼み込むと、「いや、あれは、荷物を置き換えているだけで降ろしているのではない」「今日、政府が新しい水際対策を出したんです。日曜日に飛んで月曜日に日本に着いたら、隔離が10日でなく3日間になるんです。だからベルリンから日曜日に飛ぶ方がいいんです」。私の声は裏返って泣き声になる。それでも乗務員が「いや、とにかくパリに飛んでください!」と言った。

 私の心は空港に置き去りにされたまま、飛行機は浮上した。窓の外の雲を見ていると、全てがどうでもよくなってきた。パソコンがなくなったら、私の日記やテキストやインタビューなどの文章が全部なくなるかもしれない。でも自分の過去なんて、いつまでも読み返さない方がいいかもしれない。この広大な空や雲を見ていたら、なんとでもなるか……と思えてくる。窓の外に見える雲はどこまでも広がり終わりがない。そうしているうちに、心が浄化されてきた。

 もう、どこに行けばいいか分からない自分がいた。いつからか、日本に「行く」と書けばいいのか「帰る」と書けばいいのか分からなくなってしまっていた。どこに行っても、それが旅の途中でしかなくなったからだ。つまり帰り道がない。私は明日、本当に東京に行けるのだろうか……。

(初出:「新潮」2022年1月号)

(写真・塩田千春)


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