見出し画像

「詩」というもの/谷川俊太郎

 僕が小学校に行ってた頃ね、日本は戦争してたでしょ、戦地の兵隊さんに手紙を書きましょうなんて宿題が出るわけ、僕は何書いていいかわからないんだ、母にそう言うと、自分のことを書けばいいのよと言われる、そこでまた困っちゃうんだ、自分のことって何書けばいいのって言うと、遊んだことでも、勉強したことでもなんでもいいのよと母は言う、そうすると頭に浮かぶのは、朝起きて顔を洗って朝ごはんを食べてみたいなこと、子供心にも全然面白くない、いやいや鉛筆でひらがなと漢字を書いていた。

 今考えるとこれは一種のトラウマになったんじゃないかな。文章を書くのはとにかく苦手、それより前に字を書くのが既に苦痛だった。思うように字が書けない、しょっちゅう母親に直されていた、大人になってからも字が上手く書けない。それが字を書いて言葉を操ることで暮らしを立てるようになったんだからわからない。「詩」というものが存在してなかったら、僕はどうなってたんでしょうね。高校生くらいになってから、真空管を使ったラジオ作りに夢中になって、ぶきっちょなりにハンダ付けなんかできるようになりました。字を書くのと違ってこっちは楽しかったな。なんでスピーカーから遠い国の音楽が聞こえてくるのか、理屈は全く知る気もなければ、勉強する気もなかったんですが、見知らぬ遠方から聞こえてくる声が快かった。

 詩はね、「何ひとつ書く事はない」っていう一行で書き始めることができるんです。書くことがなくても書けるんです、文章となるとそうはいかない。小学生の時と同じで今も何を書いていいかわからない。テーマを与えられるとまだいいんですが、それでも今度はどう書けばいいのかわからない。一人称を僕にするか私にするか俺にするかでまず迷う。簡単に言うと書きたいことがないんですね。だから書き始めるまでに時間がかかる、今書いてるこの文章も一度書き始めたんですが、書き続けることができなくて、というか書き続けるのが嫌になって、普通の文章ではない、こんな語り口で書き始めてどうにか続いてるんです。

 話する時も書く時と同じです。一人で話すのが苦手。誰か相手がいないと、つまりインタビューとか対談とかになれば楽に話せる、時には饒舌にすらなるんです。なんだろうなあ、僕は言いたいこと、話したいこと、書きたいことが基本的にない人間なんじゃないかなあ。それでよく詩が書けるねと言われそうですが、詩は無理なく書けるんです。そこが僕にとっての詩と散文の違いと言っていいかもしれない。

 詩は書きたいことがあって書くのとちょっと違うと思ってます。なんか言葉が自分の中から出てくるだけじゃない、今生きているこの世界に言葉が空気みたいに存在している感じ、ぼくはただそこから好きに言葉を拾えばいいんです、その拾い方に僕のエゴだかセルフだかが存在している。散文と違って言葉が自分の知ってる意味だけでできていなくて、なんだかわからないけど言葉に意味プラスアルファがある、それをみんなポエジーなんて呼んでるんでしょうかね。

 昨日から書きあぐねていた文章を、今朝になって一問一答の形でなら書けそうだと思って、そんな心算で書き始めたんですが、四百字詰め原稿用紙で三枚ほどの字数書いたらもう一息つきたくなった。それも身体で言うと手で書いたのではなくて指でキーボードを押しただけですからね。(ブラインドタッチができないんで打つより押すって感じ)でもワードプロセッサーという発明のおかげで僕は文章が書けているんです、英語から生まれたマックのPagesだと時々書く流れが狂いますけど。

 新聞雑誌ラジオテレビなどのいわゆるメディアから、発言を求められることがあります。大体時事的なテーマが多いのでほとんど期待に添えない。情報過負荷で矛盾に満ちたこの時代に、公的な発言ができるほど僕は知識がないし、器も大きくない。大体自分を含めて人の公的な意見というものをあんまり信用してないんです。オリンピックがあったので、一九六四年の東京オリンピックに市川崑監督のもとで、記録映画制作に参加した僕も感想を求められましたけど、百メートル走を駆けっこと呼んでいた市川さんの視点が好きだった僕は、当時のオリンピックと昨今のアマチュアスポーツ離れしたオリンピックの違いに絶句するしかありませんでした。そう言えば「絶句したときの身の充実」って行を書いたことがあったのを思い出した。

 僕はスポーツに類するものは、中学時代にちょっと卓球をやったくらいで、泳ぎを覚えたのも中年になってからです。自分の身体に気を使わずにすんだのは、大病の体験がないからで、歳をとってきて目がしょぼしょぼしたり、入れ歯になったり、足がおぼつかなくなってきてやっと自分の身体を意識するようになったんです。老いていくカラダとともにココロも老いていくかと言えば、それがそうでもないんですね。ココロはむしろ若返るというか、幼児化していく部分があります。氾濫する同時代のコトバがなんだか実体がない抽象的なものとして感じられるようになってくるんです。

 詩を大人の言葉で書くよりも子どもの言葉で書きたくなる。その方が生きている実相に近づけるんじゃないかと思える。一時期僕は詩に日本語の音韻の豊かさを回復したいと考えて、一連の「ことばあそびうた」を書きました。

 のみすけのみの

 みのののみ

 さけをのみのみ

 からむのみ

 きのみきのまま

 みのののみ

 みにはみののみ

 かみだのみ    『ことばあそびうた また』(福音館書店)

 また英語詩のアクロスティックという技法を借りて、

 あさ

 いすの

 うえで

 えらそうに

 おっとせい

 まっすぐな

 みち

 むかでが

 めざすのは

 もり    『あいうえおっとせい』(さ・え・ら書房)

 舌もじり(早口言葉)を考えて、

 さるさらう

 さるさらさらう

 さるざるさらう

 さるささらさらう

 さるさらささらう

 さらざるささらさらささらって

 さるさらりさる

 さるさらば    『ことばあそびうた』(福音館書店)

 意味を伝えると言うより日本語の声音を楽しむものはノンセンスと紙一重ですが、こんなものも僕はマージナルな詩だと考えている。

 んぽか

 んぽき

 んぽく

 んぽけ

 んぽこ    『んぐまーま』(クレヨンハウス)

 こういう物語も意味もないテキストは、画家の協力によって絵本として存在感を持つことがあります。活字になった言葉だけでなく、絵や写真やコラージュなどとコラボレーションすると、詩が生き返ることがあって、日本では古くから画の余白に賛を入れていましたね。

 人間は言葉の意味に囚われ、言葉の意味によって解放される存在なんだと思う。意味と一口に言っても、詩の場合は、明示的意味(denotation)と同時に含意的意味(connotation)が大事だから、散文に比べて分かりにくくなることがあって、時に読者に敬遠されてしまうんだけど。

 僕は詩と散文とを問わず、コトバと何十年もくんずほぐれつしてきたから、言葉の意味という自分一人ではどうにも動かせないものに愛想が尽きた、と言うより少々疲れてしまったので、近頃は意味の元にある実体にどうにか言葉で近づけないかなと思うようになっている、これは無理な相談ですよね。でも稀にその実体の手触りみたいなものに触れることがある。散文と違う機能が言葉に働いていると思うことがあります。

 源が中国である漢字は既に日本人の血となり肉となっていますが、それでも少なくとも僕は、いまだに漢字を海外由来のものとして感じている。語源をたどっていくと馴染みのないところへ出たりしますから。最近小津夜景さんという翻訳・解説者に恵まれて僕も漢詩に親しむことができるようになりました。漢字に凝縮された意味の働きが少し分かってきたんです。ひらがな一字にはない存在感が漢字一字にはあるんですね。

 話があちこちに飛びますが、先日ゴリラ語を話すという山極寿一さんに、ゴリラの記憶について聞く機会があったのですが、どうやら僕は記憶の仕方が人間よりゴリラに似ているようです。物語としてではなく、ある時点で経験した事実をゴリラは一つの場面として思い出すらしい。子どものゴリラと遊んだ山極さんが初老になった彼と再会した時、最初の日は山極さんを思い出さなかったんですが、二日目に会ったら子どもに戻って昔遊んだことを体で再現したんだそうです。言語に頼らず生きているゴリラのいのちのあり方に胸が熱くなりました。

 僕に小説が書けないのは、自分に生きることを物語として捉える興味がないから、ひいては自分自身を含めて人間そのものに執着がないからかもしれませんが、生きるいのちの一瞬には時として深い感動を覚えます。詩を感じる僕の感性の源がそこにあるのかもしれません。

 私的という言葉と詩的という言葉は音が同じのせいで声に出す時にはよく混同されるんですが、僕は詩は基本的に私的な書き物だと思っています。かつて小説には私小説というジャンルがあって作中の私はイコール作者と見るのが普通でしたが、いつか小説はフィクションだと考えるのが主流になった。でも詩についてはいまだにほとんどの読者がまず私詩として読み、それがフィクションであることに(わざと?)気づかないことが多いようです。

 僕は自己表現という意識をほとんど持たずに、ちっぽけな自分の内なる世界よりも外部に広がる広大で豊かな世界を言葉にするのが面白くて詩作を始めたので、逆に自身を意識下まで掘り下げて言葉にする詩人に対すると、自分という人間に疑問を感じることがある。

 今マックを前にしてこれを書いているテーブルは、父母が長年住んでいたこの家にあった食卓で、引き出しがないので使い勝手が悪いんだけど、壁に父母の大きないい写真があって、独居老人の僕を見守っているような感じが悪くないんでそのままにしています。九十年もこの世にいると、びっくりするようなことが少なくなって、当たり前なことにびっくりする。さっきも庭先に小鳥が五六羽何か啄んでいたんだけど、そんな平凡なことをこれは奇跡なんじゃないかと本気で思う……ということを詩に書きたいと考えたりするけど、これが書けないんだなあ。

(初出:「新潮」2022年1月号)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?