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『裸の聖書』14. 始まり:すべては創世記の翻訳から始まった -2

こんにちは、もんぱちです❣
情報戦争につき、必要な情報をできる限りお届けするため『裸の聖書』を翻訳して拡散しています。

個人的な情熱から、ヘブライ語の練習として独学で翻訳を始めたビグリーノ氏。初めての本格的な創作のようなものだったと振り返り、大きな喜びと感動を大切にしている彼は、その後運命となる『出エジプト記』の翻訳を開始します。それは彼を、カトリックの公式出版社と結び付けます。

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始まり:すべては創世記の翻訳から始まった -2

まさか第33章16節に運命が潜んでいると彼は知る由もなかった。
「右の最初の単語は 『elai』という語だった。おそらく、その前の節(『elai』に語尾の『vav』が加わり、『彼に』という意味になる)から生じた誤植であろう。『jiwwada』(『それは知られるであろう』)は、本来そこにあるべき言葉である。イタリア語への翻訳は正しく、『jiwwada』という用語を指していた。しかし、ヘブライ語では不思議なことに『elai』となっていた。」
転記ミスだろうか?
「それで、わたしは出版社に手紙を書くことにしたんだ。当然大きな不安と謙虚な氣持ちがあった。」
たくさんのやりとりのうちの最初の電子メールは、こうして『良い知らせとなることを願って』エディツィオーニ・サン・パオロ社に送られた。
『出エジプト記』:第33章16節、195ページ。間違い?
「返事なんて来ないだろうと自分に言い聞かせたんだ!」
希望は捨てるもんじゃない、なぜなら返事は届いたからだ。
「驚くほど早く返事が来たし、とても丁寧で親切だった。」
手紙の主は、他でもない、全書籍の責任者であるピエルジョルジョ・アンブロジオ・ベレッタ司祭自身である。
「貴重な誤りのご報告を拝見しました。どうしてこのような間違いが起きたのか、わたしには想像もつきません。」
その『elai』は場違いだった。確かに『jiwwada』と言うべきだった。
ベレッタ司祭の迅速な対応と接しやすさには、心温まるものがあった。「他にも間違いがあれば、遠慮なくわたしに直接報告してください。」
マウロ・ビグリーノは驚きを隠せなかった。
「わたしの興奮は想像がつくだろう。初めての翻訳をしていて、このような返事を、このような重要な出版社から受け取ったことは、まず何よりも大きな喜びとなった。」
想像できるだろうか?見習いの『言葉の運び屋』の腕前が、このような権威あるところからはっきりと認められたのだ。
「そんなことは全く予想していなかった。わたしはその励ましを受け入れ、『出エジプト記』の翻訳を続けた。おかしなところを見つけるたびに、メモをした。」
ひとたび翻訳が終わると、出版社への報告書をすぐに送った。
「その報告書の中でわたしは、たとえば、ある箇所で訳文が逆転していることを指摘した。」
単語の中には、文字がいくつか置き換えられている語もあるようだった。「ある箇所では、『lamed』の代わりに『shin』があった。」
別の節では代名詞の接尾辞の前に『nun』の文字が出てくる。「代わりに 『yod』の文字があってもいいのでは?」
などといった具合である。
要するに、『出エジプト記』のヘブライ語は顕微鏡で調べられたのだ。
しかし、新米翻訳者の畏敬の念を取り除くことはできなかった。
『もしこれらの報告であなたの時間を無駄にし、わたし自身が間違いを犯しても、許してくれると確信しています。』彼は編集担当者にそう書き送った。
当然問題などない。
『すぐにあなたの報告を注意深く確認しましたが、あなたが全面的に正しいことを素直に認めます。』というのが責任者の回答だった。『最終的な再版を準備するために使っている『出エジプト記』のコピーにすべて書き写しました。必要であれば、また手紙をください。心からの敬意とご多幸を祈ります。』
おわかりだろうか?無駄な飾り氣は一切なく、最大限の誠意と協力の精神だ。

このような交流は常にお互いの礼儀を重んじながらしばらく続いたが、その歩調の転換となる運命の日がやってきた。『あなたの翻訳をいくつか見せていただけませんか?』
この依頼は、マウロ・ビグリーノに、今日でも彼が定義するところの『内なる歓喜の身震い』を引き起こした。
どうするか?
「鉛筆で手書きされた『創世記』4枚を手にとり、コピーし、折り畳んで封筒に入れ、胸をドキドキさせながら投函した。字が下手なので、解読すらできないのではないかと心配だった。」
ここでも返事は早かった。
『あなたが実行した直訳は、わたしたちの訳とほぼ正確に対応しています。
どちらにお住まいですか?住所と電話番号を教えていただけますか?以下にわたしの連絡先を載せておきます。より個人的な打ち合わせが有益でしょう。』
こうしてそれは始まったのだ。
「わたしたちは一緒に仕事を始めた。わたしは彼らの本社に行き、『より個人的な打ち合わせ』をした。彼らはまず、わたしがヘブライ語に加えてギリシャ語とラテン語も知っているかどうか、これら 2 つの言語との比較が不可欠であるため確認しなければならなかった。」この最初の打ち合わせの後、ローマのトル・ヴェルガタ大学の神学思想史家ジョヴァンニ・サルメリの監修のもとに、『出エジプト記』の改訂及び訂正から始まる最初の編集契約が締結された。
謝辞の中に、『ヘブライ語テキスト、ギリシャ語版、そして最終稿のすべての編集作業を検証してくれたトリノの友人、マウロ・ビグリーノの連帯に感謝します』とある。
実に感動的だ。
そして『出エジプト記』の次は『創世記』である。謝辞には『最終草案の編集作業のほとんどを適切に監督していただいた、トリノ出身の友人、マウロ・ビリーノに心からの感謝を捧げます。』と記されている。
更なる身震いだ。「それがわたしにとって何を意味するのか、わかるだろうか?このような名門出版社の一員になるということが?」
最初の本格的な契約までのそこからの歩みは小さなものだった。
「わたしが様々な事柄のやり方を理解していることが確認されると、いわゆる『5つのメギロット』、つまり旧約聖書の 5 冊の書物の最初の翻訳契約が取り交わされた。彼らは、『マウロ・ビグリーノ』をイタリア語の行間翻訳の著者として一覧に載せたんだ。」
この編集者としてのデビューには、これから起こるであろうこと、そしてビグリーノ自身が後にどのような人物になるかのヒントがすでに隠されていた。
サルメリ教授による通常の引用の後、『トリノ出身の友人であるマウロ・ビリーノは、最初に行間翻訳版の暫定草案を作成し、その後のより優れた作業の基礎となり、これらのメギロットの作成に貢献した』と称賛されている。
レイバーリマエ』(言葉の選択に細心の注意を払う整理作業):これがキーワードである。
ということは、まさにこのノミで彫刻を掘るような技術が、翻訳者と出版社を運命的に引き離すことになるということだろうか?




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始まり:すべては創世記の翻訳から始まった -3 へ続く
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