僕がモンゴルにいる理由 〜TVで伝えられなかった真実〜
※有料設定になっていますが、最後まで無料で読めます。
読売テレビ「グッと!地球便」にて、僕のモンゴルでの活動や経緯・展望などをご紹介させていただきました。
2023年1月29日(日)に関西地方でのみ放送されました。他のテレビ局では放送回に時差が生じているようで、ほとんどの方は見ることができなかったと思います。まだご覧になっていない方は、こちらのリンクから見てみてください。
番組を作成するにあたって、モンゴルで4日間の密着取材をしていただきました。放送枠が30分しかない中でOPやCM・次回予告なども組み込まれているため、番組自体は実質23分くらいでしょうか?撮影した大半が使われないことは、あらかじめ了承していました。仕方ないと思いつつも、もっとお伝えしたい想いや見ていただきたいシーンが多々ありました。放送の内容に嘘や偽りはございません。ただし、受け手によっては解釈が異なるであろう表現や、説明が不十分であろうと感じた部分がありました。
3月12日(日)にTVerでの配信が開始され、より多くの方に見ていただけるようになりました。これを機に、番組で使われなかった部分や補足したいことをnoteにまとめることにしました。放送を一度見た方でも、この記事を読んで改めて番組を見直してみると「そういうことだったのか」という気付きが得られるかと思います。
【本当に僕のことを知りたい方】や【もっと応援しようと思ってくれた方】だけに届けばいいという想いから、あえて有料に設定しました。※せっかくの機会だから、少しでも興味を持ってくれた方により知ってもらいたいという想いが強くなりました。有料設定は残しているものの、全て無料で読めるようにしました。
※この先「カットされた」と表現している部分がいくつも出ますが、僕はカットされたことを恨んでいるわけではありません。番組のコンセプトは【遠く離れている家族の想いを双方に伝えるもの】です。また、上記にもあるように限られた時間内で番組を成り立たせるためには、当然僕個人が見せたいところや伝えたい想いを割愛されるのは仕方ありません。そもそも番組に取り上げていただけたことを大変感謝しています。
僕にとってこの記事は、番組の伏線回収みたいなつもりで書きました。腹いせにこのnoteを出したわけではないと認識していただければ幸いです。もちろん番組宛にクレームを入れることは、お控えいただければと思います。
※番組の映像や画像は一切使用していません。なので実際の番組を見たい場合は、TVerの見逃し配信をご覧ください。(注)配信は2023年3月末終了予定のため、お早めに。
※読みやすくするため、以下の単語を省略して表記しました。
「柔道整復学」→「柔整」
「理学療法士」→「PT」
前置きはここまでにして本題に移ります。おそらく冒頭部分から、みなさんの解釈がガラッと変わることでしょう。
オリンピックへの執念
今回の番組では一貫して【次のパリオリンピックを目指す】というのが、僕の目標であると紹介されていました。たしかにそうではありますが、前回の東京オリンピック同様に行けなくなることはおろか、なんなら今すぐクビになっても何ら問題はありません。その時は、潔くモンゴルを離れます。
「嘘をついていたのか!」「なんだ、その程度なのか…」と怒ったりガッカリしたりするのは、まだお待ちください。
順を追ってお話しします。
夢に終わった東京オリンピック
まず、僕が東京オリンピックに行けなかった理由。それは、モンゴル柔道協会が出した派遣者リストをモンゴルオリンピック委員会が改ざんして(もしくは受け取らずに)別のリストを国際オリンピック委員会に提出したからだそうです。
これは監督から聞いた話であり、正式に公表されていないので確実とは言えません。これは、大会終了後にも監督がメディアの前で話していました。
あり得ない話ですよね。しかし、モンゴルでは珍しいことではなく、過去にも同じようなことがあったという話をいくつも聞きました。
スポーツ経験者なら多くの方が目指す大舞台、オリンピック。僕自身、競技者としては儚く遠い場所でしたが「トレーナーとして」であれば可能であると思い、一つの目標に掲げていました。
それが運良くモンゴルで実現できそうで、数々の現場に飛び込んで幾多の困難にも耐え忍んでやってきました。2019年12月、やっとの思いで掴んだ柔道モンゴル代表チーム。
短い時間で選手やコーチ陣とは良好な関係が築けたものの、某感染症で1年延期。そして東京オリンピックが目前となった2021年6月、大会の壮行会で僕の名前が呼ばれませんでした。頭が真っ白になるという表現は大袈裟だと思っていましたが、その瞬間はまさしく頭が真っ白になり、意識が遠のいていく気がしました。
そこから数日間は、監督やコーチが各方面に色々と働きかけるもどうにもならず。僕は徐々に吹っ切れて、自分が行けないのは別にいいとして、最後の最後で選手のそばにいてあげられないことが非常に残念に感じるように。日本に行く直前まで自分ができる全てを出し尽くし、あとはテレビで見守るだけ。大会時、我々のチームはメディカルスタッフが誰もいませんでした。ただただ選手に申し訳ない思いが募るばかりでした。
気持ちが切り替わった瞬間
番組内でピックアップされていたツェンドオチル・ツォグトバータル選手。彼は、僕がこのチームに就くきっかけとなった重要な人物です。※その経緯は個人情報に関わるため、彼が引退して許可をもらったら、また改めて書こうと思います。
チームに携わるものとしてはあるまじきことかもしれませんが、どうしても彼のことは他の選手より情が湧いてしまいます。そんな彼が3位決定戦で一本勝ちした瞬間は、思わず涙腺崩壊しました。
これを境に、必ずしもオリンピックの舞台に自分がいなくとも、彼らのサポートをしていたことはとても誇りに思い、心の底から本当にやってきて良かったと思えるようになりました。
したがって【パリオリンピックに僕が行くこと】に対する執念は、ほぼなくなりました。もちろん行けるに越したことはありませんし、選手のサポートは一切手を抜いていません。そこはご心配なく。
僕がモンゴルにいる理由
やりがいに感じること
では、モンゴルにいて何がしたいのか?
それは【後継者の育成をすること】
その一つに【教え子】が僕と同じように、何らかの競技でオリンピックに関わることを大きな目標としています。
番組の冒頭部分を改めて見てみてください。僕の紹介のすぐ後にテロップ付きで「モンゴル代表の一員としてサポートできる(そういった)環境をつくっていきたい」と話しています。何かおかしくないですか?環境をつくるも何も、すでに自分は一員としてサポートしているのに。
カットされていましたが、本当は「【自分の教え子が】モンゴル代表の一員としてサポートできる(そういった)環境をつくっていきたい」と言いました。
過去のnoteでも似たようなことを書いており、そこから抜粋します。
この引用の最後から二番目にある新しい職種というのは、日本語で表記すると伝統医療セラピストのことです。これに関しても取材時には話しましたが、放送では全カットになっていたため、ここでご説明します。
新しい職種
伝統医療セラピストと聞いても、あまりピンと来ないと思います。ざっくりと言えば、モンゴルの伝統医療と日本の伝統医療である柔整を併せたものです。医療関係者からしたら「なぜモンゴルで柔整?」と思うことでしょう。それもそのはず、本来柔整は日本固有の資格であるため、海外では一切通用しません。とあるきっかけにより、モンゴルでは2006年から10年かけて普及活動が行われました。その功績が認められて、柔整を履修する学科が設立されることになりました。
以下、公益社団法人日本柔道整復師会のホームページから抜粋したものです。
この学科ができることは、事前に教えてもらっていました。僕は2016年3月に大学を卒業し、その年の8月末にモンゴル国立医療科学大学の博士前期課程に入学。2018年6月に修了し、そのまま伝統医療セラピスト学科の教員として所属しています。
この学科における柔整の教育は、東京有明医療大学の多大なる支援のもと行われています。2020年に1期生が輩出され、翌年の2021年にモンゴルの国家資格として認められました。現在は3期生まで述べ52名の伝統医療セラピスト有資格者がいて、この先も1年ごとに10名前後増えて行くことが予想されます。
立ちはだかる壁
そこで立ちはだかる大きな壁が、卒業後の臨床現場。いざ資格を取っても、実際の患者さんを相手にすると授業や参考書以外のことがたくさんあります。たとえ日本から柔整の方が短期で来てくださっても、そう簡単にできるようになるものではなく、長いスパンで寄り添うことが必要となります。
この国で(日本の)柔整の資格を取得しているのは、モンゴル人の学科長と僕の2人だけ。大学の授業や他の仕事もあるため、卒業生のバックアップを2人でやるのは容易ではありません。
現場でも誰か指導できる人がいればいいのですが、現実は厳しいです。現地の医者やPTはいるものの、柔整のことを理解している人は片手で数えられるほど。そのため病院側は、どのように扱えばいいかわからないし、本人たちも自ら進んでやっていけるほどの自信もありません。今の卒業生の多くは物療(電気)のつけ外しや注射など、看護師のようなことしかできていないようです。
驚くべきは彼らの賃金。モンゴルの平均月収は、日本円にすると4万円相当であると言われており、彼らが手取りでもらっているのは25,000円くらいだという話を聞きました。
自分の教え子たちが高い授業料を払い、この国に今までなかった新しい資格を取ったにも関わらず、いざ社会に出ると雑用係として低賃金で働かざるを得ない現状を知ると非常に心苦しいものです。
貴重な人材
今、僕は一人の卒業生とともに柔道代表チームで活動しています。その人というのが、耳の出血手当をしているシーンで一瞬だけ映っている女性です。番組内で紹介されなかったので名前は伏せて、ここではSTと呼ぶことにします。
柔道に限らず、様々なスポーツチームから僕の元へ仕事の依頼が来ます。その際は、必ず伝統医療セラピスト学科の在校生・卒業生に声をかけて、興味がある人を連れて行くようにしています。STは学生のとき、特に積極的に参加してくれていた学生の一人で、卒業前から「錦戸先生のもとで働きたい」と言ってくれていました。
知識や技術どうこうよりもその熱意を買って、STを引き受けることにしました。すると、一緒に活動し始めた初日から、その期待以上にモンゴル人とは思えないほど(他のモンゴル人に失礼ですが…)周りをよく見て、気配りをしている様子がうかがえました。数日もしたら、選手やコーチからすっかり気に入られ、あっという間にチームに溶け込みました。そこから今に至るまで、僕から少しでも学ぼうとする姿勢や選手たちのニーズに応えようと努力している様子が、ヒシヒシと伝わっています。
もう一つ彼女を評価する理由は、伝統医療セラピストであることです。僕とは異なって、注射を打つことやモンゴル伝統医療の知識を持っていることが特徴的です。僕一人でいるよりも、カバーできる部分がだいぶ広がります。
この子に今自分ができること全てを伝え、単なる教え子としてではなく、ともに一線を走る仲間であって欲しいと考えています。ゆくゆくは僕が離れたときもSTをはじめ、モンゴルの方々だけでも研鑽し合える環境が作られていけばいいなと思います。
取材時にそこまで熱くは語っていませんが、後継者育成にはそんな想いがあります。STの紹介やインタビューシーンはおろか、この新しい職種すら放送では触れられなかったのが少し残念…仕方ないですが。
これらの背景があり、僕自身がオリンピックに行くことはあまり重視しておらず、教え子たちがこの国を代表する選手たちのサポートができる環境を作っていきたいと感じています。
使われていませんが、取材では「たとえ次のパリオリンピックでまた名前を外されたり、そもそも途中でクビになっても何ら後悔はなく、その時はいさぎよくモンゴルを離れます」と言いました。それでもやっぱり自分がオリンピックに行けていないのにそこを目指せよと言うのは大変おこがましいので、やはり一度は行っておくべきだとも思います。
わずかな希望
先ほどモンゴルにいる柔整有資格者は、学科長と僕の2人だけだとお伝えしました。なぜ、他に柔整がいないのか?その一番の理由は環境だと思われます。この国で働いてみたいという方と何人もお会いしてきましたが、懸念されているのが収入や生活環境など。若い方は技術や知識に自信がなかったり、中堅以降は家族がいたりして、なかなか行動に移せない意見をお聞きします。
なぜ過去に柔整の普及活動ができていたかというと、複数回の短期間で派遣されていたことと、資金のバックアップがあったからだと思われます。
僕も学生時代に海外で活動するには、ボランティアや普及事業という形が好ましいと考えていました。その一つにJICAの青少年海外協力隊がありましたが、日本固有資格である柔整の案件はありませんでした。他に方法がなく、僕は自費で留学する選択を取って、ここまで開拓してきました。
2021年11月、そんな悩みを在モンゴル日本国大使館の方にポロッとお話をしたところ、相談だけでもしてみたらということでJICAの方をご紹介していただきました。
すると話が一気に進み、見事青少年海外協力隊の案件に採択していただけることになり、2022年11月に募集が始まりました。
これのメリットとしては活動資金や住居、モンゴルの渡航費などが支給されるだけでなく、渡航前に語学合宿が行われます。そのため、ある程度コミュニケーションが取れる状態で、活動を始めることが可能です。
僕はモンゴル語ゼロの状態で渡航し、全額自費でやってきました。サポートは一切ありませんでした。もし自分が学生の頃にこの案件を見たら、真っ先に飛びついていたことでしょう。
まだ公になっていないため、ここで詳しいことは書けませんが、記念すべき一次隊員が決まりそうです(2023年3月12日時点)。このように、僕以外のモンゴルで活動する柔整が増えることを願っています。
横綱との関わり
さて、話は少し変わって朝青龍さんについて。
出会いは突然に
かねてより、せっかくモンゴルにいるんだったら、朝青龍さんに会っておきたいと思っていました。ただ、繋がりや情報がないため、どこに行ったら会うことができるのか知る由もありませんでした。
モンゴルに来て2年が経った2018年12月末。首都ウランバートルの中心地のスフバートル広場にて、とあるデモが行われていました。家でのんびりとフェイスブックを眺めていると、朝青龍さんがスフバートル広場でライブ配信をしているではありませんか。これは行くしかないと思い、急いで支度して広場へ。
まだいるかなとワクワクしながら訪れると、ひときわ賑わっている集団が。そこへ近寄ってみると、ご本人がいらっしゃいました。まさか本当に遭遇できるとは思っておらず、心臓はバクバク。ライブ配信の邪魔になって怒られたら嫌だなと思い、声をかけることはできませんでした。
これをきっかけに2019年の目標が決定。
2018年は、無事に大学院を修了したものの迷走。来年こそはと意気込んでおりました。
有言実行
早速2019年1月、東京オリンピック出場資格を有するレスリングチームに潜り込むことができました。話が長くなるため割愛しますが、興味のある方はこちらの記事を読んでください。
チームに入ることはできたものの、ここの環境が合わずレスリングを離れ、元々いたサッカーチームに戻りました。
サッカーモンゴル代表は、FIFAランクで下から数えた方が早いくらい世界的にレベルは低いです。どの大会でも第一予選敗退をするのが、珍しくありませんでした。そんなチームでしたが、W杯カタール2022のアジア2次予選に初めて進み、奇跡的に日本代表と同グループに振り分けられました。
2019年10月10日、さいたまスタジアム2002で日本代表と対戦。僕にとっても非常に思い出深い出来事の一つです。
試合が終わってロッカールームに戻ると、まさかの朝青龍さん⁉️こんなところで出会えるとは思っていませんでした。前回とは異なり、ちゃんとお話をさせていただくこともできて、さらにいい思い出となりました。目標は具体的に書いてみるもんですね。
思いがけないチャンス
この年の暮れには、再び東京オリンピック出場権を持つチームである柔道代表に関わることになりました。そこのコーチの一人から知人をみてほしいと言われ、やってきたのがモンゴルでNo.1の実力を誇るコメディアンIder-odさんでした。その方に気に入っていただき、TwitterとFacebookで僕のことを紹介してくださりました。
すると、Twitterで朝青龍さんが「この人どこ?」と尋ねているのを発見しました。これはチャンスだと思い、すかさずコメントをしました。
すぐにDMが飛んできて、モンゴルにいるなら俺の身体を見てくれと依頼をいただきました。心臓の高鳴りを抑えつつ、次の日にご自宅まで伺いました。失礼ながらやんちゃで暴れん坊なイメージしかなく、正直少し恐れていました。実際はとても親切な方で、施術も好評してくださりました。
これをきっかけに、今でも月に1-2回は家やオフィスで施術をして、一緒に食事をいただいて帰るような関係性となっています。
番組でもあったようにオリンピックの直後、僕がモンゴルに取り残されていたことを知った彼から「俺のところに来い!」と電話がありました。彼の持つリゾート施設でご馳走をたらふくいただき、バギーで山へドライブに連れて行ってくださりました。夜遅くまで様々なお話もして、こんなところで腐っていないで、前を向いていこうと奮い立たせていただきました。
その中でも特に響いたことを一つだけ皆さんにご紹介します。
当初、僕は東京オリンピックを区切りにして、モンゴルから離れて別の国に行くことを考えていました。すると彼の口から「今までお前は、モンゴルのいろんなところで種を蒔いてきたんだろ?それを収穫せずに別の国に行くなんて馬鹿なことするなよ。お前が蒔いてきた種は絶対育っている。全く関係ない国に行くと、それが誰かのものになる。俺はお前の腕を自分の身体で実感していて、この国で一番になれると思っている」と。
昔を振り返ると、モンゴル語でのコミュニケーションが取れず、情報も全然ない状態。日本での臨床経験がほとんどなく、自分の価値すら確立できていない中で、無我夢中に様々なスポーツチームに飛び込んで行っていました。そのおかげでモンゴル語は上達し、この国のほぼ全てのスポーツ業界で僕の存在を知ってもらえるようになりました。
たしかに、ここでの立場・武器を捨てて別の国に行くよりは、この国でトップになった方が得られるものが大きいのではと思うようになりました。相撲界でトップを獲った方の言葉は、非常に強く心に沁みていきました。
取材でカメラを回していたのは20分ほどでしたが、カメラを止めてからヒートアップして1時間以上も熱い話をしてくださりました。そこだけで1つの番組が作れるのではないかと思うほど。
普段の施術の際も、彼の奥さんを交えて深いお話を聞かせていただき、勉強になることばかりです。
彼との意外な接点
僕が朝青龍さんに会いたかった理由は、もう一つあります。それは、モンゴルでの柔整普及活動が始まるきっかけを彼が作ったからです。
以下、この記事の「新しい職種」の項でも載せた公益社団法人日本柔道整復師会のHPから抜粋したものです。
ある意味、朝青龍さんは僕がモンゴルで活動できている原点。現役時代から接骨院に通われていたため、柔整のこともよくご存じでした。ここで書くことができない裏話もお聞かせくださいました。
色々と問題があったようで、今ではモンゴルでの柔整普及に直接的な関与はされていませんが、僕としてはいつかここも繋げられたらと少し考えています。
テレビの取材が決まり、報告した際は「お前も偉くなったな、この野郎」と言いつつも喜んでくださり、出演も快諾していただきました。世間からは、様々なイメージを持たれていると思います。気さくで時には身内のことのように説教してくださる彼の存在に、僕は助けられています。
家族事情
父の単身赴任
今回の番組を見ておそらく多くの方が、僕と父は長い間疎遠関係にあったと認識されていると思います。実際は違います。たしかに父親は何回も転勤していたものの、単身赴任でいなかったのは僕が高校生の頃だけでした。
静かな柔道場で1人話しているシーン。取材担当者から「小学生・中学生・高校生それぞれの時ご家族(お父さん)とはどんな感じでしたか?」という質問に答えているうちの一部分です。それに対して「小学生の時は、僕が野球をしていたときに同じチームで父がコーチとしてやっていて〜」「中学生は〜」と答えて「高校生の頃は父親が単身赴任であまり家に居なかったので(中略)ただ稼ぎに行って戻ってくるだけの方(後略)」と言いました。
高校生の頃は軽い反抗期があり、父と面と向かって話すのは面倒であったり、恥ずかしいと感じていました。それに加えて兄が昔から父とバチバチやり合っていたため、喧嘩しても無駄だなと悟り、僕が一方的に避けていただけだと記憶していました。父に対して無関心であったようなことを取材では話しましたが、一部分だけ切り取ったら誤解を与えかねないことを学びました。
僕の浅はかな考え
放送では使われませんでしたが「父の嫌だった所は何かありますか?」という取材班の質問に対して【酔っ払って、度々やらかしていたこと】をお答えしました。ちょうど高校生のプチ反抗期の頃にそれが特に多く、その時期はより一層父を遠ざけるように。毎週末のように家に帰ってくるも、酒で酔っ払っている父を見て、素っ気ない態度や蔑むように扱ってしまっていました。
そんな僕に対して、大学進学やモンゴルで挑戦したい話をしたときは「お前がやりたいなら、思い切ってやれ」「借金をするくらいなら俺から借りろ」と言ってくれました。その当時、感謝はするもののそこまで深くは捉えていませんでした。モンゴル生活が5年を過ぎた頃、帰省した際に「お父さんはね、あなたたち息子に時間とお金を使うことが趣味なんだよ」と母から聞きました。
父は昔から旅行やグルメ番組をよく見ていましたが、決して贅沢することはなく、いつも僕らの習い事に付き添ってくれていました。単身赴任時、毎週末に夜行バスで家に帰ってきていたのは「家族との時間を過ごしたかったからなのか」「だからつい酒が進んでいたのかな」なんて考えました。すると、自分のことを大切に想っていてくれた人に対して、あの頃はなんて酷いことをしてしまっていたのだろうと申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。取材時にもそれを思い出して、つい感情が溢れ出てしまいました。
そして、最後の家族から贈り物を受け取る場面。以前より、母から手紙をもらうことは多々ありましたが、父からもらうことは一度もありませんでした。そのため、今回も手紙をもらった段階では、きっと母が書いたものだろうと思い込んでいました。
しかし母の文章はたった2行のみで、ほとんどは父からの内容。父が書いたものだと気付いた瞬間、まだ一言も読んでいないのに涙が自然と出てしまいました。カットはされていますが、あの時は涙で目が霞んで全く読むことができず、数分気持ちを落ち着かせていました。読み終えて感想を述べる際も涙を抑えるのに必死でした。
「子どもの頃はあまり会話をしていなかった」とお答えしたのは高校生の頃を振り返っての感想であり「こんな形で初めて父の声を聞くことはなかった」というのは【手紙で】父の声を聞くことがなかったという意味です。
補足したいこと
些細なことですが、父が酒でやらかしていたエピソードをお話しした後に「実は僕もモンゴルに来て酒で記憶を持っていかれることが多く、スマホを3回無くしております」「やっぱり親子ですね、父のことを悪く言えませんね(笑)」という話をしました。
そして、番組の締めにあったように「帰った時には、また一緒にお酒を飲みたいですね」って綺麗に繋げたつもりでした。人様に迷惑こそかけていないものの、僕も楽しい時はお酒がつい進んでしまいます。いつか自分に子どもができたときに、そう思われないように気をつけようと思います(笑)。
母について
今回の番組では、母についてほとんど触れられていませんでした。実際のところ、幼少期は母に甘えてばかり。買い物にはしょっちゅう着いて行ったり、料理を作っている時は台所に座って眺めたり。ずっとベタベタしていたような印象があります。
マイナスなエピソードがなく、番組的にあまり盛り上がらないため、父がロックオンされたのだと推察しています。
それでもやはり僕にとっては、父と同様に偉大な母です。この二人がいるおかげで、今の自分がいます。当たり前のようなことを言っていますが、当たり前にできるようなことではないでしょう。心より尊敬しています。
お蔵入りシーン
その他、番組で使われなかった部分をいくつかご紹介します。
大学での実習
前半の方でも書きましたが、僕は柔道チームに所属する傍らで、伝統医療セラピスト学科の教員でもあります。取材時には、4年生を対象に手技練習をしている様子を撮っていただきました。今回は柔道をメインにするとのことで、あえなくお蔵入りに。
番組で僕の紹介をする際に【セラピスト】となっており、違和感を覚えた方はいらっしゃるでしょうか?もし、柔道の現場だけを紹介するのであれば【トレーナー】でよかったのですが、大学で教えているのはトレーナー業務ではなく柔整です。全カットになったもののインタビューでは、伝統医療セラピスト爆誕の話もしたため、肩書きは【セラピスト】でお願いしますとお伝えしました。
コーチの言葉
番組内で一瞬だけ映っていたコーチのボルドバータルさん。
僕のことを非常に信頼してくれ、よく面倒を見てくれています。2021年7月の東京オリンピックが終わってから、僕は個別に選手たちの対応をするも練習や大会に帯同しませんでした。
2022年6月、本帰国するために身の回りの整理をして、チケットも取って準備万端。そんな時に彼から連絡があり「もう一度、我々柔道モンゴル代表に力を貸してくれないか」というお話をいただきました。必要としてくれるのはありがたいですが、モンゴルの方々と同等の給料では正直やっていけません。ここでは詳しく書きませんが、慈善活動はそう甘くないし、やった人にしかわからない苦悩が多々あります。
なので、僕からいくつか提案をさせていただきました。給料や住居、それからアシスタント(「貴重な人材」の項で紹介したST)も一緒に雇うことなど。そしたら、それら全ての条件を受け入れてくれたうえに、元大統領であり現モンゴル柔道協会会長のKh.Battulgaさんから直々に錦戸が必要な旨をお聞きしました。
そこまでしてでも僕のことを評価してくださるのは、本当に嬉しく思いました。そのような経緯もあり、モンゴルに残ることを決断したため、ボルドバータルコーチのお話はぜひとも使って欲しかったですね。僕は日頃より彼から熱く語られているからいいのですが、日本の皆さんにもぜひ知ってもらいたかったなというところでした。
鬱・引きこもり
モンゴルで最初に住んでいた家の前で、当時のことを話すシーンを撮影しました。過去を振り返るように、そこでの内容をご紹介します。
今でこそ、世界トップレベルの選手たちのサポートや朝青龍さんとの繋がりもあり、一見するとすごく良い思いばかりしているように捉えられるかもしれません。しかし実際は、暗黒時代と言っても過言ではないくらい酷い生活をしていた時期がありました。
繰り返しになりますが、僕は最初にモンゴルの大学院に入学しました。というのも、モンゴルでの挑戦を大学の先生に相談したところ、修士を取って大学に勤めるのが一番堅実であろうと助言をいただいたからです。
渡航前は不安がありつつも、期待に胸を膨らませていました。今だから話せますが、実はモンゴルに行きたくない気持ちが非常に強まっていました。あまりにも嫌すぎて、ストレスで渡航の3日前に帯状疱疹を発症するほど(笑)
↓閲覧注意
いざモンゴルに来て数ヶ月もしたら、理不尽なことや言語問題などに悩まされ、日本に帰りたい気持ちでいっぱいでした。
最初に住んだ家は、学生アパートのような格安ワンルーム。
格安なだけあって騒音や雨漏りがあるし、ここの民度はとても悪かったです。
そもそも僕は内向的であり、人とワイワイするのがあまり好きではありません。モンゴル語も全く話せないため、外に出ることが億劫になっていました。おかげで言葉が上達しないことはおろか、部屋に引きこもってYouTubeやネットをぼーっと眺める日々。朝からお酒を飲んで酔っ払って寝て、夕方に起きるも夜眠れないからまたお酒を飲んで寝るなんてことも多々ありました。
「なんでわざわざこんなところに自分は来てしまったのだろう?」「こんな生活をしているなら、いっそのこと早く日本に帰るべきなのでは?」そんな自問自答を24時間し続け、頭の中は常に霧がかかったようにモヤモヤ。周りの方からすれば、親や友達に相談すればいいでしょと思うかもしれません。本人からしたらそんなこともできなかったり、相談しようという思考にすらならないんですよね。大学の頃からの付き合いであり、遠距離となっていた当時の彼女に対して、電話越しで無意識にキツく冷たい態度をとってしまうことがしばしば。そんなつもりではなかったのにと、あとで後悔するも繰り返してしまい、本当に申し訳ないことをしていたなと今は思います。
この家では、現金がなくなる事件が何度か起きました。その当時は、銀行口座を持っておりませんでした。現金をスーツケースに入れて保管していた自分が悪いのですが、誰かに入られていることに恐怖を覚えました。
2年契約をしていたのですが1年で破棄して、知人の持ち家の地下1階にある物置部屋で生活をすることに。なんとか住めるように、床張りと壁の塗装はしてくれました。
日光が入らないうえにガレージからは悪臭。暖房が全然効かなくて、冬は室内でも常にダウンジャケットを着なくてならないほど寒かったです。
他にもぶちまけることはたくさんありますが、写真でさらっとご紹介します。
それから、この家でもやっぱり窓をガンガン叩かれていました。ここだけの話ですが、僕の部屋の隣では看板なしの風俗をやっていたそうです。そのため、おじさんたちがこのように「いるならドアを開けろ」とやって来ていたんでしょうね。
人以外にも睡眠を妨げられ、ここでの生活時は常に寝不足。ストレスが溜まる一方でした。
さすがにこのままではまずいと感じるようになり、あえて強制的にモンゴル語を話す環境に身を置くことを決意。それが2019年に就いたレスリングチーム(『横綱との関わり』「有言実行」の項で軽く登場)。
ここは街の中心部から35km離れていて、バスで2時間くらいかかる場所にありました。そのため、寮のようなスペースが併設されており、僕もそこに住むようになりました。トイレ・シャワーは共用でしたが、暖かくて邪魔の入らない空間を手に入れたことは大きかったです。
しかし、ここでも問題が。それはコーチとの対立。選手に対する暴力が酷い方でした。僕に対して手を出すことはなかったですが、常に高圧的な態度であり、意見も度々食い違っていたいたことがとても苦痛でした。そのせいで少しハゲました(笑)
本当は家やこれまでのエピソードについて、もっと詳しくお伝えしたいところですが、ここで区切らせていただきます。
このような感じでとてもじゃないですが、順風満帆ではありませんでした。今はある程度満足のできる生活を送れています。モンゴルの方々と同等の収入とそれ以下の生活環境、二度と戻りたくないですね。若くてまだ経験が浅かったからこそできたこと。今となってはどれも良い思い出であり、それらのおかげで今の自分がいると強く感じております。
住居に関する記事がとても好評だったので、ぜひ読んでみてください。
前腕両骨開放性骨折
さて、取材時のお話に戻ります。柔道代表チームの練習撮影中、いくつかの怪我が出ました。脳震盪の疑い、膝内側側副靱帯損傷の疑い、前距腓靭帯損傷の疑いなど。それらに対しては、エコーを用いた評価やアイシングなど、当たり障りのないことをしました。大きなトラブルがなく練習は終了。
道場では代表チームに替わって、明日の大会を控える複数の少年チームが練習を始めました。端の方で選手との怪我相談を受けていた時、突如喚き声が上がって人だかりが発生。その一部始終を見ていた別の選手から「ニシ、急いで行ってくれ!」と言われ、駆けつけました。
明らかに前腕部が曲がっており、その子どもは全く手が動かせない状態でした。一緒にいたチームの子に聞くと「コーチがまだ来ていないから、絶対に投げるなと言われていたのに、別のチームの子がいきなり来て投げられた」とのこと。怪我をした子にいくつかの質問と触察をし、骨折を疑いつつエコーで確認すると、やっぱり明らかな骨折線が見られました。骨折部と思われる箇所からは少し出血があり、整復をせずにすぐ病院に行かせるべきだと判断。
添木になるようなものを探すようSTに伝えると、倉庫にあった硬めの段ボールを持ってきてくれました。それを整形して、テーピングで補強。STに患肢が動かないように持ってもらい、手元にあるいくつかの短い包帯で固定したあと、父兄の一人に病院に連れて行ってもらいました。
その場にある限られたものだけで応急処置をする、まさに柔整の姿を見せられたはずだったのですが…お蔵入りでした…
モンゴルでいくつも骨折や脱臼には遭遇してきましたが、開放性骨折は初めてでした。番組では使われなかったものの、この経験は大切にしていきたいものです。
カフェで施術
取材期間中、知人から兄をみて欲しいという連絡が急に入りました。せっかくならと思い、その方に出演の許可をいただいて彼のオフィスへ。すると、国家関連の職場であり、カメラの立ち入りを阻まれました。場所を移動するのも面倒であったため、同建物内にあるカフェの一部をお借りして、依頼者の対応をすることになりました。
彼の訴えは「3週間前にベンチプレスをしていた際、左の胸部を受傷。現地の医者に大胸筋の肉離れだと診断されたが、その後に何も治療をしてもらえていない。痛みと可動域制限が残っており、どうしたらいいかアドバイスが欲しい」とのこと。このように医者に診てもらったが、まともに治療をされないことはモンゴルではよくあります。海外の支援で医師のレベルは、一昔前よりだいぶ改善されてきているようですが、柔整やPTのようないわゆる後療法分野はまだまだ厳しいのが現状です。
エコーも用いて色々とチェックして、説明だけしてその場で返すのもどうかなと思い、関連する筋肉をその場で施術することに。受傷部は一切触らずに他の箇所を20分ほど施術してみたところ、痛みが激減し可動域も健側とあまり大差ないくらいまで改善。お礼にジュースやコーヒーをいただいて、別れるという感じでした。
カフェでの施術は撮影用の演出ではなく、実際にやっていることの一つです。知人のお店であったり、あまり人の迷惑にかからなさそうな範囲で、患者さんの対応をすることがあります。もしかしたら、それはおかしいだろと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、ここはモンゴルなので。日本の常識が、必ずしもモンゴルの常識とは限りません。
必要とされるならば、いつどこでも可能な限りやっていくコンセプトでいます。
最後に
今回出演を承諾したのには、大きく2つの理由があります。
1つ目は、単純にテレビに出ることに憧れを持っていたことです。世界のあらゆる辺鄙な地域において、奮闘される医師の方々を幼少期から見てきました。いつかは自分もいわゆる発展途上国と呼ばれる地域を訪れ、現地の医療に携わりたいと思っていました。
それが、今モンゴルで活動することに繋がっています。形はどうであれ、憧れに思っていたものに出させていただくことができて光栄でした。
そして2つ目の理由は、モンゴルでの活動をより多くの人に知ってもらいたいからです。この国に来て3年目くらいまでは、何も成し遂げていない自分がSNSで発信することは恥ずかしいことだと、人目に着くのを毛嫌いしていました。様々な経験をしていくうちに、これは自分だけのものにするのではなく、共有した方がいいのではないかと思うようになりました。
モンゴル在住7年目となりましたが、この国に1年以上の長期滞在をした柔整の日本人はいまだに僕一人です。柔整が日本以外の国で認められたという歴史的な出来事が起こったのにも関わらず、他は誰もいません。
海外に偏見を持っている方がいるかもしれませんが、一番は出回っている情報が圧倒的に少ないことが大きな要因であると考えています。今ではTwitterとnoteをメインに、モンゴルでの活動を発信しています。しかしながら、スマホを持たない方やSNSを全然見ない方も多いはずです。内容はどうであれ、まずは僕という存在を知ってもらう必要があると感じ、TV出演することを決めました。
実は、今回の出演オファーは2回目でした。1回目のオファーは2019年12月。その年の10月のサッカーの日本対モンゴル戦が行われた際、とあるサッカー情報誌に僕のことを取り上げていただきました。それを番組のリサーチ担当者が発見したようで、連絡をくださりました。ところが、ちょうどその頃に騒がれ始めた某感染症により取材の件は白紙に。
そして2回目の今回は2022年9月、Twitterやnoteを見た別の担当者からInstagramでメッセージをいただきました。SNSで発信することの大切さを実感しました。
最後の最後に。
改めて今の一番の目標は、モンゴルで柔整やトレーナー人材の育成をすることです。そのためには自分一人だけでなく、多くの方の力が必要となります。モンゴルに来て手伝うことや金銭的な支援だけが力になるわけではありません。もちろん、それらもありがたいことです。
例えば、今回の番組を周りの人に紹介することや、感想をSNSに投稿または僕宛にメッセージしてくださることも大変大きな力です。※メンション(@マーク)をつけて、投稿してくださると見つけやすくなります。
僕の活動を見て、励みになったと言ってくださる方が何人もいらっしゃいますが、その声もまた僕の励みにもなっています。感想でも聞きたいことでもなんでも構わないので、気軽に連絡してください。お待ちしております。
引き続き、挑戦と発信を続けていきます。これからも暖かく見守っていただければと思います。また、このnoteアカウントではモンゴルでの様々な経験や錦戸の思考をまとめています。より詳しく知りたい方は、他の記事も見てみてください。
長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
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