【モンゴルの居住環境紹介】遊牧民並みに移住している僕の6年間
2016年8月末からモンゴルでの生活が始まり、2022年7月までの約6年間で7軒の家を転々としてきました。当時のことを思い出しながら、それぞれを紹介していきます。
※家賃に関しては、それぞれその時点のレートで換算して日本円で表記しております。補足情報として、モンゴルの平均月収は3-4万円ほどです。
※なお、これを書いている現在は8軒目の家に住んでおります。
1軒目
記念すべき最初の部屋は、学生寮が集まる地域のアパートの1室。
家具は何もついておらず、お世話してくれるモンゴル人に事前に買ってもらい、食器や家電のような生活雑貨はその都度自分で調達。
なお、日本で知り合っていたモンゴル人からは「モンゴルに暖かい布団がないから、日本から持って行ったほうがいいよ」と言われ、わざわざ超過料金を払ってまで持ち運び、みんなの注目の的になったのは良い思い出。
なお、普通にモンゴルでも布団は入手可能です。なぜそのようなことを言われたのかはいまだに不明。
室内
隠さずに、ありのままをお見せしましょう。
カメラに収めていませんが、一応トイレとシャワーは室内についております。でもデフォルトで茶色い水しか出ず、断水や冬でも冷水しか出ないことも珍しくなく、2,3日身体を洗わないことは当たり前でした。
その他・コメント
この当時は、モンゴル語が全くわからず、内気な性格であることもあり、家に引きこもることが多々ありました。部屋は常に散らかっているし、心の中もごちゃごちゃ。1週間外に出なかったり、朝からお酒を飲んで昼夜逆転することもしばしば。今だからこそ言えるけど、いわゆる鬱状態だったんだろうなぁ。
2軒目
1軒目の部屋は、2年契約をしていたのですが、あまりにも酷過ぎたため1年で引っ越すことに。渡航前より、お世話をしてくれているモンゴル人の方が一軒家に住んでおり、そこの半地下にある部屋へ。
ガレージの横にある物置スペースであったため、そこを改修工事してもらいました。言うて、床を張るだけ。
セントラルヒーティングがまともに働いてくれず、冬は室内でも常にダウンコートを着てなくてはならない環境でした。
室内
ここもほぼ家具なしであったため、1件目で使っていたものを全て持ってきました。
その他・コメント
ここに住んでいた時も、なかなか病んでいることが多かったです。その大きな外的要因として二つ。
一つ目は、やはり騒音。最初はビクビク怯えていましたが、次第にただ単に睡眠を妨げられることにストレスが募るばかり。
誰がこんなことをしていたのか、犯人は特定できています。正確には、一人であったりグループではありません。ここでは、その詳細を伏せさせていただきます。
さて、二つ目はネズ公。最初異変に気づいたのは、キッチン周りに黒い粒々が出現したこと。掃除しても数日後にはまた出てくる。そして、食品や衣類もなんか齧られている痕跡を発見。
食品がダメになるくらいは、安いもの。彼らも深夜寝静まったときに行動するため、カサカサとわずかな音が聞こえ、それに反応してしまい睡眠が妨げられるように。
外からも内からも攻撃を受け、ストレス増加。睡眠は本当に大事です。あまりにもストレスが溜まったため、次第に反撃するように。
外に対しては、窓越しに日本語で怒鳴り返したり、しまいにはドアを開けて直接追い返すことも。内に対しては、粘着シートを用いて3匹、そして2匹を生け捕りすることに成功。
そんなことに加えて、自分自身の現状や今後に不満・不安がたくさん。それでもなんとかして打開すべく、様々な本や動画に手を出していましたね。何も成し遂げていない自分に嫌気がさして、在留邦人とは関わらないように距離を取っており、結構尖っていた時期でした。
そのおかげか、2019年に目標を掲げた早々の1月にオリンピックの出場権を持つレスリングチームに関わることになり(後にクビになりましたが)、10月にはサッカーで日本代表と対戦した際にロッカールームで朝青龍さんと会うことができました。
3軒目
上記の内容を見ると、お気づきかもしれません。3件目はホテル。
詳しいことはここで書けませんが、とある方と新しいビジネスを始めようとしており、そのオーナーが所有しているホテルの部屋を一室用意してくださいました。
室内
その他・コメント
居住環境的には申し分なかったのですが、柔道協会からの引き抜きがあり、ビジネスのお話はお断りさせていただき、このホテルを出ることになりました。
4軒目
柔道協会と正式に契約を交わして、用意してもらった住居です。そのため、家賃や水道光熱費は全て協会持ち。僕は一銭も払うことはありませんでした。非常にありがたい。
室内
その他・コメント
この住居に関して、不満な部分はほぼありませんでした。唯一あげるとしたら、ゴミ捨て場がいつも外に溢れていたことくらいですかね。
ここでの生活は本当に良かったなぁ。この時期にウランバートルは某感染症によるロックダウンが行われ、1ヶ月間家から出られないことが何回かありました。でも、この家のおかげで料理にハマったり、オンラインでの仕事などを受けたりすることができ、そんなに苦ではありませんでした。
5軒目
ずっと4軒目の家に住んでいたかったのですが、やっぱり柔道協会としては出費をできるだけ抑えたかったようです。柔道代表のコーチの一人が賃貸に出す予定で購入したマンションの一室に飛ばされました。
室内
その他・コメント
地方合宿に出ていたこともあり、実際ここで寝泊まりした日数は15日前後。街のはずれで周りはお店が全然ないし、中心部に出るにも渋滞が酷いし、ここで長期間住むのは厳しかっただろうなぁ。この住まいでの思い出はほとんどありません。早くここから別の場所に移りたいという思い一心でした。
6軒目
5軒目から早く出たい気持ちがある最中、3軒目と同様に別の新たなビジネスに手をかけようとしていて、そこのオーナーに用意していただいたホテルの一室へ。
室内
その他・コメント
新たな挑戦をすべくここに来たものの、一時帰国した際に色々とアドバイスを受け、モンゴルに戻ってきて1週間悩み考えた末、お断りする決断に至りました。そのため、ここでの思い出も特別ありません。
7軒目
二度目の新規ビジネス挑戦を諦め、所属している大学の寮に入れてもらうことに。ここは大学の敷地内にあり、かつ新しく建てられたばかり。それに加えて、ただでさえ年間4万円という破格なところを特別に無料で住まわせていただくことになりました。
室内
その他・コメント
ここの部屋に関しては、もう本当言うことなし。16階建ての最上階で、そのフロアは海外の客員教授や学長クラスの人しか住んでいませんでした。なので、酒で暴れる様な人や音楽をガンガン流す人は皆無。常に静寂に包まれていました。
室内は昼過ぎ辺りから日差しが入り自然光で明るく、冬場も常に半袖半ズボンの暖かさ。Wifiが爆速なので、最高画質の動画見放題。電気水道代も向こう持ちなので、毎日湯船に浸かり放題。そして、職場には徒歩3分。
とにかく住み心地の良い部屋でしたね。
悪かったところをあげるとすれば、(某感染症の影響があった時は)入寮者以外は制限がかけられていたり、門限が22時(申告すれば0時まで)であったことくらいかな。
あともう一つ挙げるとするなら、街の端っこに位置していたため、周りに飲食店やスーパーがほぼなかったこと。渋滞が毎日酷いため、街の中心部に行くのは週週間に1回程度。そのため、おうち時間を楽しんでいました。
最後に
正直、最初の1,2軒目は日本から来る人が住むような環境ではありません。しかしながら、その時代は大学院生のため、収入がなく背に腹は変えられない状況でした。いかに安く済ませるかだけを考えており、その当時は「住めば都」みたいに感じていましたが、今となっては絶対に住みたくない場所です。
物理的にもまさに日の目も当たらない部屋で、モンゴルの環境にもあまり馴染めず、心身ともにどん底の日々を過ごしてきました。ですが、そんなハングリー時代があったからこそ、そこから這い上がろうと努力をして、収入・居住・交友環境などが徐々に良い方向へ。
過去の写真を振り返っていると、部屋の状態は自分自身の心を如実に現しているように感じました。物で散らかってごちゃごちゃした室内のときは、思考もごちゃごちゃ。綺麗になるにつれて、考え方もしっかりしていくように。室内の様子とメンタルの状態、どちらが先かはわかりませんが、今は常に清潔、整理整頓を心がけております。
そんな学び・習慣も得られたため、今となっては劣悪な環境でさえも良い経験だったと感じられています。本当はモンゴルでの活動が完全に終わってから記事にするつもりでしたが、いつ終わるのか全くの未定であるため、ひとまず出すことにしました。
冒頭でも述べましたが、これを書いている7年目の今は8軒目の家に住んでおります。数ヶ月後には、引っ越すこともほぼ決まっております。またそれらを面白おかしく紹介できるよう引き続き精進して参る次第です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
モンゴルの医療やスポーツ事情、様々な国への遠征記なども書いているので、ぜひ他の記事も見てみてください!
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