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春夜

春に飲み込まれそうな夜。
もうすこしで僕だけの春が終わり、歩く先々で美しく咲き誇っていた名もなき花たちが枯れていく。
それでも僕はそこを歩いて、歩いて、たまに躓いて、また立ち上がろうと心に決める。その繰り返し。

春夜は気が遠くなるほど長く、そして淋しいものだ。
ふらふらのまま寝床に潜り込めたとしても、
断片的に広がっていく未来を天井の壁を舞台に想像してしまう。頭が揺れて、身体が震えて、呼吸が荒くなって僕は自分で自分を壊してしまう。

それから僕は、壊れた身体で曙光を拝む。

自室の真ん中でただ呆然と浮かび上がる焦燥感に、
ただ家と家の合間から無造作に降り注ぐ誰かにとっての希望が、本当に本当に自分という人間を浮き彫りにして世間体に馴染めないまま転がり続ける”僕“がしっかりと否定されるような心地よさがあった。

この適当に告げられた休暇の中で己がどれ程の人間なのか、存在していて価値を産み出せる存在であるのかを考えていた。将来的に何処かに名前を刻んで微笑みながら死を待てる人間とは真逆の位置。
つまりは何の功績も出せずに人知れず、死ぬ。

僕は死ぬんだ。
何なら誰かに殺して欲しい、がそんな人間もいない。
何故なら殺される人間になるには
それ相応の嫉妬されるべき才能や権力が必要だからで、今掌で握ることの出来る程度の物では到底及ばない。

でも僕は閃いた、
自室に広がる空の白で何度もちっぽけな惨劇を繰り返すことが出来ることを。

悲しいが春の夜は不思議と自分を殺したくなってしまう。
どうしてなのか、僕は毎年同じことを思っては答えを見つけられないでいる。

今年こそは見つけないといけない気がする。
天井が赤く見える。
次第に朝日が影を拭き取っていく。

寝床でうずくまる。

そして僕は今日も自分を殺す。
それではおやすみなさい。


毎日マックポテト食べたいです