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太鼓と化粧

ずっと観ていた旅芝居の劇団をひさびさに観た。
若い座長や若手が揃う劇団が客と人気を集めがちな今の時代にあって、
ちょっと貴重な劇団かもしれない。
この何年かは劇団としての形で毎月の公演をしていなかったりもする。
でもわたしは、旅芝居を観始めてから、時に年に数回などとしても、ずっと観てきた。

一体何人の座員の入れ替わりを観てきただろう。
どんなときも「隠さない」「隠せない」座長の姿が印象深かった。
 
10年もっと前に座員のドロンの後、お客さんに訊かれ淡々と答えていた。
「●●さんですか? あー、どっか行きましたぁー!」
しかし、ある日、芝居の立ち廻り(殺陣)中に突然刀を放り投げた。
「あー、ダメだ。具合悪い」
口上挨拶でぽつりぽつりと話した。
「友達が居ません。テレビを観ながらお酒をずっと吞んでいます」
帰り道、劇場付きのおばちゃん客(劇団客ではない)が散々悪口を言っていたのも忘れがたい。
 
弟の劇団が活動休止?となった際、
座員たちを助けるように劇団に入れて、
気を遣うかのように出番を増やしたり、
芝居のいい役をあげたりの時期もあった。
その劇団の女優に舞台上で声をかけてあげていたりもしていた。
「(まかないの)肉じゃが、おいしかったわー、ありがとう」
「一日座員day」というのを作っていたこともある。
月に一日だけ「自分は座長じゃなく座員」として、座員に花を持たせていた。
今流行の誰々祭、なんて定番化するずっと前の話。
 
ほんとうに芝居が好きなひとだと古い役者や親しい人からも聞く。
特に喜劇においては「旅芝居でも指折り」だと思っている。
すべてをぶつけるように笑いをとりにいくのだ。
たまっている何かを爆発させるかのように。
旅芝居の喜劇では正直低俗ともとられかねないアドリブが多く、
それは決して悪いことだけじゃないかもだけれど、
わたしはほぼ笑わないし笑えない、気持ち悪い。
でも彼の爆発は笑わずにいられないくらいのものがあった。
一時役者をやめていた間に保険会社の営業をやっていたらしく、
旅人姿の時代物なのに「アリコジャパンの●●(本名)ですー!!」と叫んでいたこともあった。
隣で、もう居ない座員と、仲のいいゲスト先の座長が素になって笑ってた。
プロレスが好き、矢沢永吉が好き、舞台上でよく真似をしていたのもよく見た。
いろんな舞台で見せるさま、滲むさま、滲みすぎるさまが、気になって、
友人といつも言っていた。「元気かな」「大丈夫かな」「笑ってるかな」
 
コロナよりずっと前、
旅芝居では客席を廻ってお客さんと握手をして回るというサービス的な舞台もよくされていた。いろんな座長がやったりしていた。
しかし彼はもう義務というか体当たりでやっているように見えた。
「人見知りなんです」と言いながら、履物を脱いで舞台から客席に降りてきて、流れ作業のように「ありがとうございます」「ありがとうございます」、必死。
この間、舞台上で歌っていたのも今はもう居ない座員。
朗々と歌う『宇宙戦艦ヤマト』の中の握手まわりは笑ってよかったのか泣いてよかったのか。
 
太鼓ショーもだ。
 
ショーの途中でおおきなおおきな太鼓を叩く。毎日。
この太鼓が忘れられずこんなことを書いたこともある。
なんだか、旅芝居や旅役者の象徴のように思えて、ならなくって。

昨夜、ショーから駆け込むと、
舞台上では「アルバイト座員」というチャラチャラした若手が踊ってた。
曲は今時のラブソング。きもちわるい。
でも客席は大喝采、うっとりムードと「きゃー」の嵐。
とか思っていたら、当時から居る(観出したときは居なかったが)若くない役者が踊る。とにかく下手だ。
びっくりするくらい下手で、でもどんどん「どや顔」になるから不思議でならない。
曲はまさかの『南部酒』。小金沢昇司が歌う哀愁をおびた望郷唄。
わたしにはこの歌での舞踊に思い入れがある。
今はもう堅気になった縁ある役者がずっと踊っていた。
どろりと、孤独と哀愁があって、「このひとのっ!」という1曲になって、真骨頂だった。引退前にも目にする機会があり、今も、いや、一生、思い出深い曲のうちのひとつ。
でも、この下手なひとが踊るのも当時観た。
わたしは客席でキレていた。いまだに笑い話。
って、あれから何年? こんな偶然に観れるもんかね?
あれからずっと巧くもならないまま(なろうともしないのかもだけれど)
前傾姿勢の手を大きく上げるだけの振りで哀愁と孤独の歌を十八番のように。ふえー。
まあ、巧ければいいということでもない世界だしなあ。
いろんなひとがいて、いろんな役割をして、生きてる世界だからええねんもんなあ。
 
そんなことを考えながら、
出てくる座員ひとりひとりの舞踊に思い出やいろいろを重ねたりしながら、
曲の合間に、当時の友人に「実況中継レポ」をしたりもし、観ていたら、出てきた。
 
太鼓だ。
 
まだ叩いてる。今日も叩いてる。楽しそうにでもなくでも義務とかでもなく。
ただただ。
曲は『炎』。旅芝居のショーではもうテッパンの歌だ。
冠二郎が歌うこの曲による舞台にも、わたしは、哀愁を感じてならない。
ノリノリでアツいからこそ、ばかみたいに明るいからこそ。

太鼓の音は、いや、文字通り響きは、こちらの肚に沁みてきてならなかった。
 
「人が笑ってもただ一筋に生きるぞ人生を。燃えろ燃えろ燃えろ(ドンドンドン)」

舞台は続く、日々は続く。鏡をみる。顔を塗る。舞台に立つ。毎日。
情や欲をかきたてるような選曲で煽情的に踊ってお金をもらう。
埋まれ客席。華やげ胸元。そうでないと生きてはいけない。
座員は「個人営業」に勤しめばいい。それぞれのやりようで。それは(残念ながら(?))必ずしも舞台上だけではなく。
座長は個人営業ではなく劇団という会社を維持していかねばならない。
日々の舞台に芝居では主役だしショーでは出番も多くポジションもセンターに立ちながら。
「会社」であり「家」である「劇団(一座)」を潰してはいけない潰せない。
己が立ち上げたそれの場合もあれば代々継いで来たそれもありそれそれだけれど、どちらにせよ潰せない。
月末には千穐楽となり次の土地へと移動だ。
劇団皆の舞台道具から生活道具や家電など一切一式を何トンレベルの大きなトラックに積んで、また次の公演先へ着くと積んだそれらを降ろして解く。
一か月の「城であり家」(座長は個室だったり座員は狭いスペースの楽屋だったり。住処は劇場であったり劇場が借りている寮(マンスリーマンション)とかだったり)を築き、毎日舞台をやり、また一月で移動をする。
 
生活しながら、毎日、毎日、舞台をする。塗る。演じる。踊る。叩く。ドンドンドン。
 
劇団には、巧いひともいる。
もとい「本気出したときの舞踊はほんとうにいい」と、友人といつも話題にして楽しみにしていたひと。
沖縄音階の使われたバラード(これも旅芝居で幾つかの曲がよく使われる。格好的にもバリエーションとしていいのだと思う)で踊る姿で、忘れられないものもいくつもある。
なんと、昨夜も、そうだった。びっくりした。よく観た曲だ。
三線を持ち奏でるような仕草をする時も、波にたゆたうようにひらりふわりと舞う姿も、ああ、咲いたのは三線の花。
あの頃から毎月この曲を踊って来たんだなあ。
でも、驚いた。首の皺、当時より濃く濃くなった化粧。でも、巧い。本気出したときも、出していなくても、巧い。濃い。濃い。巧い。
 
ふと、思った。
 
ピエロみたいだなあ、って。
 
踊る姿と、濃い濃い化粧。付け睫毛、目の上のこってりした色、しろいしろい顔。

ピエロ? ジョーカー?

肚では笑ってるのか泣いているのか、それすらわからない。
そんなこと考えていたら日々の永遠にも続く舞台は続かないのかもしれない。
寄せては返す波のように押し寄せたり近づいたりしては勝手なことを言ったり思ったり他所へ行ったりするわれわれ客の前で踊り続け、演じ続け、歳を重ねてゆく。
これは、ここは生きることそのものの舞台。このひとたちは、旅役者。燃えろ燃えろ燃えろ。ドンドンドン。
 
終盤、座長が踊った曲は、サザンオールスターズの『Ya Ya (あの時代を忘れない)』だった。

帰宅後、当時ずっと一緒に観ていた友人に半年ぶりに電話をした。
彼女もまた、わたしの文を好いてくれて知り合って以来、え、何年?! 10何年?!  あの舞台の思い出、あのときの芝居や舞踊について、ひとしきり辛口トーク、いえいえ、舞台が好きやから(けど役者は好きやない)真面目トークの後に、彼女は笑いながら言った。

「私もしばらく大衆演劇行ってへんねんけどさー、私ら、なんやかんや言うて、「全く観なくなる」はないんやと思うで」

笑ってしまった。

旅芝居が、嫌だ。
嫌だは違うが、すべてを肯定できないしできないことが多い、ほうが多いかもしれない。
旅芝居を観ている時に感じていた呑み込めないものやこと、
それはたぶんすなわちこの世の問題そのものそのこと。どれだけ綺麗事や上っ面だけ褒め称えたり切り取り一時的なパッケージ化をしようと「生きてゆくための舞台」である以上染み付いた“におい”。
この“におい”は、だからと言って、必ずしも悪いだけじゃなくてね。
でもわたしとしては吐き気やフラッシュバックもある。あのとき「生理的に無理」や「頑張らなくてよかったんや、許さなくてよかったんや(人間として)」を今たくさん思う。
最近見たり観たり読んだりする中でたくさん気付かされている。うん、今、わたしは言葉を取り戻している気がする。
故に、更に距離を置こうとか、もう関わりたくないと真剣に思いもしていた、しているのだが、だが。
でも、観てゆくのかもしれない。
こんなわたしだからこそ、自分のためだけではなく、伝えてゆけることや書いていけることも、あるようにも、思って、も、いる。

Sugar、Sugar、ya ya、petit choux、
美しすぎるほどっ。

(劇団KAZUMA  2023.3・23@尼崎・千成座)


文中、『炎』の記事と、炎に関連する話。


同じ劇団、座長の、とあるこりゃまた旅芝居を象徴する曲での話。10年前(まだ10年前!笑)


以下は、ちょろっとですがいつもの自己紹介 。
と、苦手なりにもSNSあれこれ紹介、連載などなどの紹介!!も。
よろしければお付き合い下さい🍑✨
ご縁がつながったりしたらとても嬉しい。

大阪の物書き、中村桃子と申します。 
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
普段はラジオ番組の構成や資料やCM書きや、各種文章やキャッチコピーやら雑文業やらやってます。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中です。
舞台、演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化好き。酒場好き。いや、劇場が好き。人間に興味が尽きません。

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現在、関東の出版社・旅と思索社様のウェブマガジン「tabistory」様にて女2人の酒場巡りを連載中。

と、あたらしい連載「Home」。
皆の大事な場所についての話。

2023、復活。先日、新作が出ました🆕

以下は、過去のものから、お気に入りを2つ。

旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、
役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
あ、小道具の文とかも(笑)やってました。

担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
アーカイブがYouTubeちゃんねるで公開中
(貴重映像ばかりです。私は今回のアップにはかかわってないけど)


あなたとご縁がありますように。今後ともどうぞよろしくお願いします。

皆、無理せず、どうぞどうぞ、元気でね。

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