おだしやミックスジュースやお好み焼きやだしまき、そして、てっちり 田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』
かわいいという言葉に違和感を感じることやときがある。
かわいいという言葉に「対象物を下にみる」意味が時に含まれているような。
とは、ちいさきもの、みたいなところからの連想かもしれないが。
例えば「あのおじいちゃん、かわいー」とかに「ん?」ってなったりすることも少なくない。いや、悪い意味じゃなく褒め言葉やよね。でも。あ、言い方かな、それだけかな。せやな。
ほな「かわいげ」はどうだろう。
これも、上とか下とかが付いて回る? かもなあ。せやな。
なのに、なんでやろ、おせいさん、
田辺聖子が描く人びとの「かわいげ」には、
「うんうん」と頷いたり、ニヤリとしたり、「あーっ」と唸ったりしてしまう。
会ったことなんて勿論ない。ただずっと読んできただけ。
だから(勝手に)いつもいつでも近くに居るような、〝おせいさん〟。
初めて出会ったのは、
今年の春に本屋大賞「超発掘本!」にも選ばれた
『おちくぼ姫』(〝王朝版シンデレラ〟らしい)で、
そこから日本の古典作品を独自解釈した作品や軽妙なエッセイをたくさん読んだ。
中学生にも親しみやすかったのが『古典の森へ 田辺聖子の誘う』。
おせいさんが語ったものをまとめた古典紹介本なのだが、古事記やヤマトタケルから西鶴に至るまでの歴史上の人物たちと書について、
「源氏の君って」「あー、わたしは誰々の方が好き」
「巴御前と義仲って」「憧れる関係やわぁ」
「お七(八百屋お七)の気持ちってなんかわかったらあかんかもやけどわかるわなあ」「うん、でも、若いなーって思ったりもする」
「西鶴ってうざいけどさすがやんね」「近松って古典として持ち上げられてるけどワイドショーレポーターやん」「ヤマトタケルってめっちゃ弟キャラやと思わん?」
と、おいしいものをつまみながらお喋りするような1冊だったからこそ、それぞれの簡単な現代語訳本たちを手に取るようになって、また読み返してを繰り返した。
そんな読み方をしていたから、
古典に登場するひとびとや歴史上の人物たちへ
彼女が寄せる気持ちや読み解き方から、
彼女の好む人やひととひととの関係性みたいなものも感じるようになった。
よわいようできりりと一本筋が通っている女たちと、
強いようでよわい(でもだからズルかったり中途半端だったりする)男たち。
そんなひとびとを、描くことばが、他のどの言葉でもなく「大阪弁」。
テンポとリズムと、
ちょっと踏み込んで書いてもきつくは響かず、
ニュアンスを残すあいまいさが、
だから、人の内面、おかしみとかなしみと、かわいげ、いとしさを感じさせる。
「浮き彫りに」でもなく「描き出す」でもなく、雰囲気とにおいで。
古典関係本でも、現代の恋愛小説でも、エッセイでも、
どれも、どれもに漂ってきて、におってきて、
いつの間にかハマってしまう、癖になる。
『ジョゼと虎と魚たち』を読んだ。
映画化(実写&アニメの2作品)されたり、
今年の芥川賞作家が卒論で取り上げたとも語っている表題作の他、
いくつかの恋愛小説がおさめられている。
随分と前に読んでいた記憶はある。
でも断片的な記憶しかなかった。
表紙は、これじゃなかったなあ。
表紙がかわるの、これで、何回目? わたしが手にしたのは一番最初のもの。
古典ものと比べて記憶がおぼろだったのは、
当時から(今もそうかもだけれど)恋愛小説というものにそこまで関心が薄いからかもしれない。
解説が山田詠美だったことも、読み返して、思い出した。ああ、これだ、この詠美節。
ふたりとも大好きだからこそ、今読むと、
両者の共通点というか、「ああ、好きなんだな」をとても感じることが出来たりもした。
Amy姐さん、山田詠美の描くものや描き方が
鋭い西洋風料理とカタカナのお酒とミュージックだとしたら、
おせいさんのそれは、
おだしやミックスジュースやお好み焼きやだしまき、そして、てっちりなのだと思う。
鋭く殴ってくるような勢いとかじゃない、
ふんわりじわぁぁりゆるゆると、でもその中に核がある、
人間のこころの中にある人間だからな部分がじわぁぁりゆるゆるぐぅぅぅっと、来る。
大阪という「なんでもあり、なんでも混ぜて、グレーを通り越して、ぜんぶの味がまじっておいしくなる」感じ、
やわらかさとリズムと愛嬌と、旨味と芯、毒、だから、うまみ。
生活感と、いろいろごっちゃまぜの「好きの力」と、リズムが、におい、漂ってくる。
人の芯と、もろさと、かわいげかわいさ、
「あかんやっちゃなあ」「でもかわいいなあ」
「せやけど、なんぎやなあ」「そない思うわたし、なんやねン」
しゃきっと媚びない女と女たちのそれが、だから、色っぽさと共にこちらに来る。
おせいさんが生きてきて書いてきた時代には、
まだまだいろんな固定観念が、今以上に面倒臭いことたちが、周りにいっぱいあったやろう。
「男とは」とか「女とは」っていう固定観念も皆の中にべったり染みついていたやろう。
そんな時代に「わたしはこれが好き」「仕事しますねン書きますねン」「好きなもんは好き」。
鋭くストレートに訴えるんじゃなく、ふんわりと、
でも、黙ることなく、おしゃべりされてきた、書かれてきた。
小説に出てくる女性たちも、自身も、
「かわいげのあるひと」にヨワくって、
毎日を人生をそんなひとたちを楽しむ楽しみ方をを知ってた彼女と彼女らは、めっちゃかわいい、かわいくて、よわいけどよわくない。
宝塚とぬいぐるみ(スヌーピーを筆頭に)ときらきらしたもんとおいしいもん、
ハレの外食や観劇も好きやけど、
おうちでちょっとした手作りした小物とか、酒のアテとか、
そんなんを「ちゃちゃっとこしらえて」も好きだったおせいさん、そのひとの目と文で残された作品は、ぜんぜん色褪せない。
ああ、女と男、いや、人と人、
人はみんな「かわいげ」がある生き物やねン、ややこしーけどいとしい阿呆やねン、みたいな。
ああ、いいな。
最初に「会ったことなんて勿論ない」と書いた。
でもね、うちの先生、若い頃に師事した喜劇作家のD爺先生(昭和13年生まれ)はよく話してくれた。
「先生、おせいさんに会ったことあるんや!」
「聖子おばちゃんな。 聖子おばちゃんには可愛がってもろたで」
「えー! いいな! わー!」
「よぉからかわれたわ。「檀ちゃん、わたしと遊ぶ?(笑)」、うわああ、言うてな、飛んで逃げたわ!(笑)」
このエピソード、めっちゃ好き。
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以下は、すこしだけ自己紹介 。
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構成作家/ライター/コラム・エッセイスト
中村桃子(桃花舞台)と申します。
大衆芸能、
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。
普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。
劇場が好き。人間に興味が尽きません。
舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。
某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。
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lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
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