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What A Wonderful World~アフターコロナ? ウィズコロナ? の世界と己に思うこと、その①~

(今日はまた長い長い呟きです。宜しい方だけお付き合いいただければ(泣笑)

ここ2か月ほど、コロナ関係について思うことをつらつら書いたりしてきました。
このマガジンの中のいくつか)
私にとっては本当に己と向き合わされる、いや、向き合わせてもらった2か月ほどでした。
自分や大切な人たちやまだ出会ったことがないけれども同じときを生きている皆が
命をおとすかもしれない、おとしている、己も他人事ではない。
そんな状況に直面して(やっと)己の浅さや軽さや自己中心的すぎる小ささに気付かされたというか。アホですね。ほんとに弱い。

大好きな劇場とのことに関してもいくつか思うことを書きました。
このマガジンの中のいくつか)
文章にもなってへん記事やったのにたくさん読んでいただき反応もいただき、
ほんまにほんまに嬉しかった。感謝です。
己が、ネットという場で、いつからか、書くことが怖くなってしまったり、
変な気遣いというか変に自分を守る(勿論大好きな人や人たちに迷惑をかけたくないのがほんま一番おっきい)
そんなことについても想いを馳せ、考えるきっかけとなりました。
結果、「書こう」「書かなきゃ」となりました。
勿論、その出し方や書き方などを考え模索していきながら、ですが。

時間の使い方や、自分のことや、
好きなこと、大事なこと、大事にしたいこと、大好きな人、
やるべきこと、
ちょっとエンジンかけていかなあかんななこと(けど、やはりまだ(頭でっかちやから)ぼちぼちなこと。笑)
そして、大好きな人たちに大好きと(嫌われても)言おう言いたいということ、
臆病故に考えすぎて次の次まで考えて動かなく動けなくなるくせに
自分を守ろうとしてどこか受け身みたいになり
自分から大事なもの大好きな人と人たちを守るためになにかすること……
己はこれでも書き屋だから書くことで立ち向かっていかなあかん、
戦っていかなあかん(※戦うっていう言葉もほんまは軽く多用したくないねんけどな)
うん、気付いた今から、ぼちぼちでも、体力つけながら(笑)、少しづずづちょっとでも前へ……

そんなこんなで、ぜんぜん変わってはないけど、
ちょっと変わってきよる(?)、いやいや、これから、なのですが、
ありがたいきっかけをいただいた日々と時間でした。てゆーか今、出不精みたいになりよるよ!笑

しかし……
コロナがちょっと落ち着きかけている、かな、な今、
世界はまだ、いや、さらにもっと、落ち着かないニュースに溢れています。
日々、びっくりして、考えて、ぼぉっとしてしまいます。
これまでも起こっていた、
けれど私が今回のことをきっかけに今まで以上に目にとめるようになったから、
(今更やけど)びっくり、ぼぉっ、ショック、パニック、の連続なんやと思う。
見てみぬふりをするのは簡単で、
好きなこと好きなものだけを見ていたらラクで楽しくHappyかもだけど、
それではなにも変わらないことに溢れていて、
日々キャパオーバーみたいになる。ただ情報をみているだけにもかかわらず。

人が人らしく自分らしく生きるということは
誰にも邪魔されず妨害されず当たり前のことであるはずなのに
そう出来ない現実に溢れている世界。
国のまつりごとに関わる人たち、
表現の自由という言葉のかげで〝自分ばっかり〟になってしまうことで
他人の気持ちを考えられず他人の体も心も傷づけて〝殺して〟しまう人やこと。
皆が〝自分!自分!〟ってなってまうことで相手や他人の気持ちを考えられない
相手の立場に立って考えられない、おっきな意味での想像力がないことで、こうなるのかなあ。
そんなんな、むずかしいことじゃなく、
子供の頃から当たり前のこととして学んできたのになあ。
でも、大人になると、立場だったりプライドだったり自分が守りたいもの守るべきものみたいになんかもうマジで〝自分!自分!〟になってもうて目が見えなくなるねやろうか。
ということに気付けてもおらんかったり心の余裕がなくなったりしてまうのやろうか。
うん、そうなのかもしれない。
でも余裕がなくなったり見えなくなったからと言って他人の権利や命を奪っていい訳なんてあらへん。
みんながもっと自分に出来ることやせなあかんことについて考えなならん…
っていうかそうなるべき、べきって押しつけ嫌やねんけど、そうあれればな、って。
漠然かつ理想論かもでお恥ずかしさMaxなのですが。

そう思うからには、自分、私が、とろい自分に焦り苛立ちながらも、
アホでとろくてカッコ悪い事を自覚しながらも、動く=書く、を、もっと。ちゃんと。
やっぱりそない思います。

アフターコロナ。
ウィズコロナ。
まだまだややこしい……。
こないだラジオ聴いてたら関西のおばちゃん代表(笑)・上沼恵美子さんが
「訳のわからない気持ち悪いウイルス」と言うてて爆笑しました。
そんなウイルスと、
そして、「訳のわからない気持ち悪い」は自分も含む「人間」もや。
でも人間は「訳のわからない気持ち悪い」ものでありながら、同意に、
ちっさいけど、愚かだけど、懸命で、アホなりに必死に生きて生きようとしている生き物やと私は思うから、信じて信じて信じたいから、
体力つけながら(笑)、日々悩みながら、弱いとこも認めて、認めた上で変わりながら、少しづずづちょっとでも前へ……。と思います。

やっぱり、皆で笑いたいやん。
いろんな生き方やいろんな考え方のひとがおって
ひとりとして同じひとは居なくて、だから、(訳わからんけど)、面白くて、
そんな皆で、〝劇場〟で笑いたいやん。そんな優しい世界が、好きやん。
と、私は大好きなジャンルの劇場で、大好きな人と人たちから学び、学ばせてもろているから、こそ……思います。
うん、わしも、もっとちゃんとせなあかん。

みんな。生きましょう。
みんなで、生きましょう。
ひとりが好きな人(私?!笑)もでもやっぱり、みんなで生きてるねん、
あなたがおって私がおるねん(またこんなアホみたいな書き方しか出来んけど。笑)。
だから、みんなが、らしく、笑えますよう。
やっぱり、私は、好き嫌い激しいし、決してええ人間じゃないし、アホやけど、
いろんなみんな(出会ったことある人もない人も)が〝ええ顔〟してるのが一番好きです。
笑いましょう。笑えるよう、なんか、出来ること、やれることやりたいこと、やって、
うん、生きましょう。で、また会おね!
明日も、元気でね。

※※その②(みたいなもの?)も書きました。


※※(オマケ。笑)
私の一番好きな旅芝居・大衆演劇の芝居では
ラストのBGMにこのサッチモの曲が流れます。
芝居のタイトルは『涅槃の約束(プロミス)』。
旅芝居での古典ってかスタンダードみたいなどの劇団もやっている
『上州土産百両首』っていう芝居を心臓病から復帰した老優がリメイク。
演出・構成・主演、ジジーやのに二枚目役で主演(!)。
二枚目・庄太郎、〝銀流しの庄太郎〟(美影愛)が
三枚目・〝泣きん坊の牙次郎〟(みやま昇吾)との「約束」を守って再会する物語。
元は銀流しという歳を重ねても伊達男だった男のが
逃げつ転びつ転びつ五輪五体傷だらけになって、
けれど、「おまえのために」「歳をとっても男でありたい、男だから」会う。
そうしてラスト、庄太郎を慕ってやまない牙次郎は言います。
「オヤジさんの面倒はわしがみる!だから傍に居てぇな」
他人同士が約束を経て〝親子〟になる。
涙でぐしょぐしょの阿呆と傷だらけのジイサンが抱き合うラストにこの曲が流れます。
初めてと言っていい、旅芝居の芝居で泣きました。人と人の繋がり、救われることや人生の肯定のようなものを感じて。
そう、人は、繋がってるねん。救われるねん(なんやそれって感じやけど。笑)

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