【信じる、守る、日々は続く 】劇場再開、推しのステージと劇場で考えた

先日、ちょっと遠い劇場に行きました。
遠征です。つまり、追っかけて別の劇場へ行く、ということです。
そうして〝推し〟のステージを観ていたら……なんでや、ふ、と、涙が出てきました。
それも感動するような余韻のあるようなシーンじゃなく、
彼女が舞台で笑顔で踊っている瞬間に。
思ったのです。「ああ、戻ってきた」って。
なんか、やっと(?)、ひしひしと、実感したのです。
「ああ、戻ってきたんや」

なんやねんお前。先週よぉけ観てるやないか。
己でもツッコみます。
そう、幸運どころか贅沢すぎるくらい贅沢なことに
私にとってコロナステイあけの最初の「劇場通い」は
ここ数年(勝手に)homeと思っている劇場に〝推し〟が帰ってくることから始まりました。
(帰ってくるって言い方もちょっとおかしいのは自覚してる。書き直す。一週間(10日間)出演する)
よし!私はコロナをきっかけに変わったのだ!
自粛中に身に着けた習慣なども継続してゆきながら両立(?)して劇場に行こう!
そう思うも、蓋を開けたらアホになっていました。
勿論、その間に現場行ったり通常通り仕事したり私用もしていましたよ。
でもずっと、ぼーっとしながらずっとテンション高かった。
ふわふわと現実なのか非現実なのかわからない日々。
でも観ることの出来た毎回のステージは、
頭じゃなく、感覚(?)にしっかり刻み込まれていて。
なんだかいつもと違う不思議な感覚で、
楽日までぼーっとした頭が醒めていなかったのかもしれません。

せやけど、ちょっと遠い地に赴き舞台を観ていたら、やっと実感が湧いた。
……ような気がしたのです。
「ああ、戻ってきたんや」
彼女が? うん。ううん。なんやろ。オーバーやけど、世界が、日常が。っていうと漠然やねんけど。
(と、文をまとめていて、いざ出そうとしたここ数日、
ちょっとまた気になる状態になってきているのがめちゃくちゃ心配です……。
どうぞ関東をはじめとする皆さん、お気をつけ下さい!!)

アフターコロナ? ウィズコロナ? の世界と、
再開後の劇場世界はあきらかに確実にちょっと変わってる、ような気がする。
劇場のお客さんたちは皆マスク着用。
もはや当たり前になりかけているけれど、
ふ、と我に返るとこれもめっちゃ不思議な世界です。
マスクしたお客さんたちが、
詰め詰めじゃなく、席をひとつ以上間引いた客席で、
そう大きな劇場じゃないけど、触れ合わないように注意しながら、
自分が誰かを危険な目にあわさないように、
検温してからの入用や、手指の消毒したりしながら、観劇をしている。
ある時間ごとにそれ用の(ぼんやりさせてごめん)ビニールシートが設置されたりするところもある。
なんだかSFとかディストピアとか不思議な世界の風景のようで、でも現実。
うん、世界は確実にちょっと前とは変わっている。
でも「戻ってきたんだ」、このジャンルこの世界が。
ちょっと気にかけたり、まだいろいろ考えたり試していかないといけない通常運転絵はないながらも。
こんなに。グレー?で、
逞しくもあやうい、あやうくも逞しい、
ほんと、まるで人間そのものみたいな世界が。
戻ってきた。戻ってきつつある。
グッときた。だから、つーっ、と。

今回のコロナの影響で私は改めて気付きました。
私は、だなんておこがましい、きっと皆も、皆はもっとだろうと思います。
「いつなくなってもおかしくない」、大事な場所も、そして、人も。
だから、この場所を、大切な、はかなくてたくましい場所を守る、守ろう、って。
自分のためもやねんけど、大好きな人と人たちと皆のために。
実は私はコロナがひどくなってきた時期に先走りして凹んで泣いていました。
劇場、特に私がここ最近勝手にhomeと思っている劇場は、
もしかしたらもうあかんのちゃうか、って。
再開は無理なんちゃうか、無理やったらどうしよう、
なんでもっと通っておかなかったんやろう、なんにもしてへーけんかったんや。
アホですね。でもアホなので考えすぎて、泣きそうに、いや、泣いていました。
再開後、homeでたまに顔を合わせるお客さんのひとりにそんな話をすると
「僕は半々やと思ってましたね。なんか、だから、感極まるものがありますね」
めっちゃ、めちゃめちゃ頷いた。

さらに、今回のコロナの影響で私は改めて気付きました。
苦笑と、自分で自分に「おいおい、お前なあ」っていうツッコみと共に、でも、切実に気付きました
思えば、3か月? も劇場に行かないのは、
ここ数年で、いや、もっとか、初めてのことだったということを。
特に、〝推し〟である彼女の舞台を1か月~2か月以上観ないことは、ここ1年程はなかった。
(勝手に)〝home〟と思う劇場にも1か月以上足を運ばないことはなかった。
いや、10年20年30年観ているレジェンドクラスの方々や
私のようになにかやりたいことをやりながらではなく
すべてを犠牲にしてでも応援行くようなお客さんたちと
自分を一緒みたいにするのは100年早く失礼なことは自覚しています!
でもね。劇場に行くということはもう私の、いや私にとっても、
生活や体に組み込まれたみたいになっていることに気付いた。
はじめはどこか〝ヨソモノ〟気分だったのに。
どこか申し訳なさもありながら、
でもどこか観察者のような目すら残っていたのに。
でも、いつからかな、
大切でかけがえのない〝場所〟たちとなっていました。
そこに集う皆に、仲間のように……というのは超絶おこがましい、
でも、挨拶やお声をかけていただいたり、
仲良く、よく、していただけるようにもちょっとなって。
これまで「行きつけの居酒屋」すらなかった私にとっても、
大事な、心のそばにある、心おける場所のようなものになっていることに気付いたのです。

そして、だから、もうひとつ。
これこそ私が勝手に、勝手に重い、キモさMAXやねんけど、
私は客席の皆のことも勝手にめっちゃ心配していました。
名前も知らん、なにしてるとかも知らん(知ってる人もいるけど)、
いつ来るいつ劇場で一緒になるとかもわからん、
でも顔見知りで、挨拶とかちょっとした会話もして下さり、
訳のわからん私を笑顔で受け入れてくださる皆さん、
homeの場合、仲間にして下さる(なんてやっぱり傲慢かもやけど)皆さん、
大好きな“推し”(と彼女を中心とする舞台上のヒロインたち)を一緒になって観る皆さん。
それぞれのお顔が見られるのが嬉しくて、
再開後、出会うたびに、「お元気でよかった」的なアホな一言を言うて笑われたりもした。
お前はなんやねん。気安く話しかけるなよホントにもう。反省。
でもみんな優しく笑ってくれた。「momoさんも」って言ってくれる方、
勿体ないくらいの言葉を下さった方もいて、ほんま、染みた、嬉しかった。

またまた勝手な深読みで考えたりします。
ここ、このジャンルこの舞台の劇場たちに来る皆、
中でも常連さんは、(一概には言えないけれど)、
精神的なものとか、つながりとか、そういったものを求めたり、求めるというか、
大事にしたり信じたりしている方が多いのかなあ、なんて。
例えば、身近なところで、homeで出会い少しお話させていただく常連さんたちは
人間的に決して器用ではない、でもやさしい繊細な人たちが結構いたりする、気がする。
(もちろん、私も。あ、私の場合はいい意味じゃなくて。あかん意味で。まだまだ弱さ)
homeだけじゃなくてこのジャンルの劇場に通い、守り、応援する皆さんは
一概には言えないけれど、そんな、やさしい人が多いような気がしてなりません。
(私の場合は、やさしくない。もっと、見習いたい)
お金を出したら直接的なことができるそういうところじゃなく、
ここ、ここに来るということ、ここで、ステージを観るということ。
勿論もちろん、そんなきれいごとだけじゃ全然絶対ないのは、
たった2~3年生の私でもうすうすわかってはいるつもりです。
だなんて、わかったようなことを言うのもおこがましさMAXなのですが、
でも、でも、なんだかすげー、やさしい世界に思えて。
だから私もここが自分の場所のようになれたのかなとも思ったりもしています。

そんな皆と、また劇場へ、行ける。
大好きなヒロイン(とヒロインたちを)を観られる。
うん、ううん、応援ができるんだ。
毎回毎回のステージは、同じひと同じものでも同じステージは二度となくて、
なんだか奇跡のようで。
(そうそう、頭沸いてるくせに舞台にすぐ完璧や全力を求めたがる私は、
客としての傲慢さも最近自覚し反省している。あかんなあ。失礼やなあ。浅いなあ)
日々、いろんな空気や状況や心境の中で、
出来上がっては消える一期一会の舞台と空間。
まるで宝石みたいで、でも人間で。人形じゃなくて、宝石でもなくて。
どこまでも、どこまでも、人間の、人間な、世界。その、儚さ、逞しさ、尊さ。
ああ、そうだ、今を大切に、これからに、続けるんだ、皆で。信じる力とやさしさで、明日に。
だからね、homeでの一週間が終わった時、涙とかは出なかった。
ぼーっとしながらも、「ああ、これからだ」みたいな気持ちやったのかもしれません。
「終わったー!」じゃなくて「これからー!」「よろしくー!」「いくぞー!」みたいな。
なんやねん、ぼーっとしとるんか体育会系かどっちやねん(笑)
で、〝遠征〟先で、皆、皆の笑顔と笑顔たちを観た瞬間、つーっ、って。
アホ。お前も、ここ、泣かんと、笑うとこやろが(笑)

なんて儚く、いつ消えてもおかしくない世界でありながら
でもそう簡単にはなくならない消えないしっかり生きる強さみたいなもの……。
このジャンルの舞台や劇場たちから感じる、
あのとてつもない生命力みたいなものの所以はそこにもあるのではないか。
劇場も、おねえさん(おんなのこたち)も、そしてお客さんも。聖で俗で、性で、日々で。
だから皆が魅了され、大切に大切に守ってきたのかな。
そんなことも考えたりします。
ううん、そんな大げさなもんじゃないかな、ないな。また、勝手なこと言うてるね(笑)
でも、決して強くはないやろう(けど強い)ものたちが、互いに共に居ることで支え合う?
その意識はないねんかもやけど、ただただ楽しくめっちゃハッピーなんやけど、
そうして気持ちと気持ちを、やりとりし合って、
(時にやらかしたりもしつつも)、お互いがお互いであることを尊重し合い、一緒にいる、皆がいる、皆でいる。
触れられはしない、でも確かに気持ちを交し合う場所で、距離をとり合って……。
物理的はあれども、これからはもっと物理的距離をキープしつつも、心をつなげる、つながる。

これらすべてのことは、
再開した劇場で、思わせていただいたこと。
中でも特に〝推し〟……
ああこの言い方やっぱりしっくり来ないな、
今一番大好きな表現者であるおねえさんのステージを観て、
彼女を応援する方々、と、このジャンルを愛するいろんな皆様から、
思わせていただいてのことです。
私は、しあわせです。せやから、もっと、精進せねば。
私の過剰な美化のしすぎや尊敬は搾取に近いのでは、と考えてしまったりもします。
私ももっと人として書き屋として力をつけ、
もらいっぱなしじゃなく、皆にナニカを送れる、守れるようになりたい(※ものじゃなくて)。
受け身じゃなくて、自分から。
アホで空回りしがちな性格を自覚してるがゆえに、気ぃつけながら!(笑)
このジャンルのことも、それ以外にも、誰か、
皆に、ちょっとでも、ナニカを。

まだ劇場に行けない人や考えてまだ行かないことを選択する人もいると思います。
自分自身もそんな考えで涙をのんで自粛した時期もあるからその気持ちもめちゃくちゃわかります。
だから、【先日のnote】は、もしかしたら、あの時書くにはまだちょっと配慮が足りていなかったかなとも反省しています。
いえ、先日のnoteだけじゃなく、毎回、です。
本音、めっちゃ本音やねんけど、でも、まだまだ、まだまだ。
読んでいただき、ご気分を害されたりした方が居たら、本当に謝りたい。
うまく伝わらず、失礼や嫌な気持ちにさせていたら、すみません。
学びます。強くなりたい。やさしくなりたい。大好きな皆のように。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございます。
新しい世界は、きっと、大丈夫。だいじょうぶに、してゆく。
いつも、本当に、ありがとうございます。これからも、どうぞ、よろしく。また、劇場で。
やっぱり、オチは、これになる(笑)

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