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|1|トラウマを超えて行く

自分がいろいろと思ったことをいちいち小説とかにするのはタイパが悪いので、自分でしゃべるね。

「翡翠のほとり」なんてタイトルをつけてみたので、今後もいろいろと書いて、記事は後々まとめたいと思います。

主に私が感じたこと、そこから考えたことのエッセイ、みたいなものになるのかな。

わりとヘビーめな話も出てくるので、その場合は事前に注意書きをしておこうと思います。

人の人生に興味がある方、どうぞお立ち寄りください。

※初っ端からなんですが、今回の内容には精神的に重い内容が含まれます。苦手な方は引き返すことをお勧めします。



"へんな夢"

子供の頃を共に過ごした家族が出てきて、みんなリビングみたいな場所にいる。
ソファーに座り、項垂れている母親。顔は見えない。
私は急いで駆けつけたらしい設定で、母親のそばにいる父親を意識している。
「さっきまで元気だったのに、なんの前触れもなく死んでたんだ。気がついたら死んでたんだ。」
と父親は言っていた。
なんで、という混乱と、おぞましい焦燥感、不安。

ぞぞぞ、と身の毛のよだつような感覚に引っ張られて、目が覚めた。

これが今朝の話。ノンフィクションです。


"母親という人"

ここからヘビーな話になります。
めんどくさいので、自◯のことは「自決」って書くね。
まずね、私にはなんでもよく相談している、旦那さんがいます。彼は年下で呑気なんだけど、わりとスッと腑に落ちるサポートをしてくれる、とても頼りになる人。
彼が言っていたことで、不謹慎にも笑ってしまった話なんだけど、2年前の夏に母親が自決して、ひととおり精神の地獄を体験したとき、彼がこう言ったの。

「武士だから責任とって自分で死んだんだよ」って。

私の母親という人が大体どんな人か書いておくね。
この人についてかなり分析はしたけど、必要なことだけ。

彼女はルールが山のようにある人で、それは彼女が期待している人、依存している人、支配したい人に執拗に適用されるものだったの。
彼女の精神的安寧の為に。
どういうルールがあったか、一部抜粋すると、

・部屋のドアは閉めてはいけない。
・予定の変更は事前に逐一報告せねばならない。
・母親から話しかけたら必ず応じなければならない。
・作ってもらったご飯(お弁当)には第一声においしい(ありがとう)と言わなければならない。
・家中の全てのものは美しく整えておかなければならない。
・機嫌の悪い顔、疲れた顔はしてはならない。
・母親に反抗的な態度をとってはならない。
・母親からのスキンシップは拒んではならない。
・母の日は感謝の品(花)を贈らなければならない。
・コミュニケーションはいつでも肯定的でなければならない。(否定は必要ない)
・母親の気が済むまで話を聞かなくてはならない。
・担当の家事は毎日やらなくてはならない。


だる。
彼女に子供の声は届かないの。
「母親に向かってなんだ、その口のききかたは‼︎」
「いつも私が正しいの」
ってよく言ってた。
子供の声は「必要ない」ってかんじ。
「ガキは犬猫と一緒」って言ってたこともある。

私は中学生くらいの時に、「あぁ、この人は未熟だから、私の方が先に大人にならなければいけないんだ」って、はっきり悟ったの。
ダメだこりゃ、って。
専業主婦だから、これが毎日家にいんの。

そこは家じゃなくて、もはや地獄。


そんな彼女は、他人の言葉の裏の意図や感情が読み取れず、自分の思い通りに行かない(安心できない)人間関係に疲弊していた。
外で知り合いに会って帰ってくると、延々と反省会をしていた。
1番役に立って欲しいはずの父親は、コミュニケーションが発達障害様で、会話が成り立たない。
それによるカサンドラ症候群の不定愁訴にも苦しんでいた。
「疲れた。もう怒るのも、(父親と)コミュニケーションをとるのも辞めた。」
愛が欲しい、といつも言っていた。

影響を受けやすいのに頑固で、彼女の中で保証されている、決まったものしか愛さないところもあった。
何事も妄想と憶測で仮シナリオを描き、殺されないように、奪われないように、傷つけられないようにと、敵と味方を分けていた。

自分の人生年表を完璧に近い状態に計算し尽くして、「私は介護を必要とするようになる」と言い出し、ものを買い込みはじめ、日記を書き殴り始めた。
やりたいことがわからない、イライラして、自律神経を失調する恐怖で外出できなくなり、食事ができなくなり、自決した。

戦国時代にでも生きてたんですか、みたいな性質の人。

細かいことを書くつもりはないけど、彼女は歴史好きな人でもあったから、そんな彼女のことを「武士」って旦那さんが表現したのが面白くて。
不謹慎にも笑っちゃったの。


"トラウマ"

そんな彼女から、私は精神的、身体的虐待を受けながら、幼少期を乗り越えてきた。
わりとなんでも器用によくできる私が、1番暴力を受けた。で、結果を常に求められた。女だしやりやすかったんでしょう。
暴力に関しては、徹底的に防御を貫いたけど、「この人、いつまでこれやるつもりだろ?」ってずっと思ってた。「早くやめてくんないかな」って。痛いとかより、長い!!しつこい!!それが苦痛だった。
こっちは同じ土俵に堕ちたくないから、絶対殴り返さない。でもそれを彼女は「弱いから耐えている、反撃してこない」って受け取る。
で、あるときもううんざりして、「もうやめてよ。暴力は何も解決しないよ。」って言ったら、スンって止めた。
それでもときどき、なんでここで?ってとこで手が出ることがあったから、「やめて!」ってキツめに言ったりした。
クソババアなのに、クソガキなんだよ。どうしようもなく。
当時、ほんとに困ってたの。

父親?クソみたいな放任オヤジです。
まだ楽しそうに生きてるから、そっとしとくわ。

いつまでも自分で幸せに向かおうとしない、全知全能ぶった厨二の戦国武将(悲劇の毒ヒロイン)みたいな母親という人を、それでも受け入れて、愛してきたのよ。
かなりしんどかったけど、がんばってがんばって、共に生きてきたの。

少しずつ少しずつ、私の人生や考えかたを見せながら、
「他人ってこういうものだよ」
「自由になっていいんだよ」
って、伝えてきたはずだったのに。

具体的には書かないけど、それ母親の存在自体すでにトラウマなのに、自決はマジで不快の極みだったの。
「死にやがった」
が私の率直な感想。

こんなに人のエネルギーと人生をむしり取っておいて、勝手に死にやがった!!

獰猛な怒り、怨恨、悲しみ、ぐちゃぐちゃなのになぜか、愛しい気持ち。引きちぎられるような絶望と、頭を掻きむしりたくなるようなストレス。
ベランダから飛び降りたくなるくらいの、命の圧迫感。

こうなっても普通だって。そのくらい苦痛だった。

自決されると、私にとって母親という人は、今とブチって切り離されて、過去のものになった。
急に終わったDVDみたいに。

「終わってねぇのに終わりやがった」

レビューだったら星のひとつもつかないやつ。

だから、こういう夢をみるのは自然だろ、って思うの。
当然、自然の現象だと思うの。


"部外者の冷酷"


私の中で目新しい発見だったんだけどね。
人はどんなに人が辛そうでも、逆に幸せそうでも、「そんなことよりさ〜」ってスタンスで存在してる、っていう事実を見つけた。

それから、日本というか大多数の人間にとって、自決はわりとポピュラーでメジャーなコンテンツだ、ってこと。

さして驚かないし、共感はできないし、気が狂うほど辛い関係者がいたとしても、部外者が取れるのはたった一つの手段しかない。

それは、沈黙。

これがさ、わかっちゃいるんだけど、残酷なんだ。
本当に。

挙げ句の果てに、何にも知らないから、母親を美化し始める。
勘弁してよ笑
「そんなお母さんでも、あなたのことを大切に育ててくれたんでしょう?」
「ママ、がんばったよなぁ…」
じゃねえんだわ。

死んでんじゃねえよ。
自分を力づくで幸せのとこまで連れてけよ。

黙っててくれるのが正解なのかもね。知らんけど。

私の救いになったものは、どんな形であれ温もりを感じるものと、時間。
流れていくのが見えるもの。
好きなだけ感情と思考を吐き出す空間。
必死で、風化と浄化のサイクルを回す。そんで、自分のペースを取り戻す。

私はね、母親に対して、心の底から怒っていた。
それで、2年間の時を経て、いまトラウマを乗り越えるよ。


"自然なことに、治療なんか要らない"

ヤバめな体験したり、かなり辛い経験したりして、それがトラウマになる、っていうのはあなたの反応で仕方ないことじゃん。

今朝なんの因果か、たまたま見かけたYouTubeの動画で、「トラウマは治療すべし」「医者やカウンセラーに相談すべし」って言ってた。

馬鹿言えよ。

私は自分の見た夢に、心の中で叫んだよ。
「いい加減にしろ」って。

項垂れた母親の残像と、情けない父親の残像に言ってやったわ。
「私はおまえらのことなんかどうでもいい。
おまえらのことなんかより、はるかに、絶対的に自分のことが大好きだ。
自分を心から愛している。
それを思い出させてくれてありがとうよ。
これからは、心の底から自分を愛して生きていく。気の狂ったおまえのことについて、なぜ私が治療を受ける必要がある?
私に必要なのは、100%自分に向けた、自分のための、たっぷりの愛情だけだ!!」
と。

治療なんかより、絶対的自己擁護の権利を行使せよ。

トラウマで傷のある人達に、マジのガチで支えようっていう気概のある人がいるんだとしたら、
そこは相当ディープで、足の踏み場もないくらい繊細だと思えよ。と思う。

片手間に適当にあしらっていい問題じゃないからな。マジで。
おまえらのための要らんメサイアやめろよなマジで。

と、思ってる。


"トラウマの超えかた"

トラウマのケアより自分のケアをすること。

徹底的に自分の味方になること。

自分の肩をぎゅって抱き寄せて、しっかり抱きしめて、守るからな、大切にするからな、と伝えること。

楽しい時間をすごして、美味しいものをたくさん食べて、安心して暮らせる環境を整えること。
やりたいことを思いっきりやること。


トラウマの分析は色々な意味で勉強になる。
それは確かだけど、心はそれでは救われない。

だから、本音を爆発させて、自分の方に愛とエネルギーを取り戻すんだ。
ガッ!!って。ガッ!!って取り戻すんだ。
自己愛で世界を塗り替えるんだよ。


やっちゃえ、自分。
これが、私が見つけた、トラウマの超え方。


はい、以上になります。

ここまで読んだ方がいるとするならば…何か知りたい人なのでしょう。

このご縁に感謝します。

ではこのへんで。



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