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人生はStoryの連続

酷暑に、路傍の草花が悲鳴を上げる、そんなお盆でしたね。

ごきげんよう、もくれんです。

コロナのおかげで近場をちょろついてたら、夏休みが終わってしまった。予定がないと、私は「無駄な考え休むに似たり」を体現し始め、本当に心中の不安を大きく育ててしまう。育てたところでいいことはひとつもないんだが、can't stop thinking状態。

そんな私だが、人生において決めていることがひとつある。それは、あの頃は良かった、と絶対に思わないこと。過去にすがって生きるのは嫌だから、常に「今」が史上最上の自分でありたい。過去に戻りたいとか「あの頃は良かった。」なんて生き方だけは絶対したくない。

こんな書き方をすると、とても聞こえが良く自己研鑽に励むカッコイイ女性のようだが、実際は毎年泥にまみれている。言うなれば「どの地獄にも帰りたくねぇ。」のほうが正しい。もちろん楽しいこともたくさんあるのだが、毎年何かしら悩んでるので、泣いてない年はない。というか、泣いてない月がない。。?

具体的にいえば、毎日部活に明け暮れた吹奏楽部に捧げた高校時代は青春だったがもう二度とやりたくないし、英語部でディベートの大会に毎週末潰れていた大学時代にも戻りたくないし、スピード出世したけどパワハラと残業でボロボロだった前職時代にも戻りたくない。

「漫画だったら1話目(どん底)なんだけど、いつ2話に進むの!私の人生は!」という感じで、もう何年も似て非なる1話目繰り返している。

もちろん楽しいこともたくさんあったけど「大変だった。常に結構たいへんだった。イージーモードのときなんてなかった。」と思っているので相対的に「今の地獄はあの地獄を乗り越えたあとだから、まだあの時より私が人間としてマシになっている。だから今が最高。」という消極的な今が史上最上。輝いてない。全然輝いてないしイキイキはしていない。むしろ摩耗しまくって、いぶし銀。一応話は進んではあるんだが、マンガのような読み応えのあるブレイクスルーはもう何年も来ていない。

そんな私なので、今後の人生もイージーモードに切り替わる成行予算は組めない。そうすると杞憂でしかないのだが、不安が大きくなる。

出世はしないだろうなぁ(自分もあまりしたいとも思っていない。)でもお金は欲しいなぁ、ずっと会社員はやりたくないなぁ、文筆家で食べていきたいけど道筋は見えないなぁ、子供がほしいなぁ、どっかに良い遺伝子だけないかな、お金がほしいなぁ(2度目)

どうしたらいいのかわからない未来を考えるのは不安しかない。

あまりにも不安を育てて腐りそうだったので、コロナを無視して美術館に行った。ニューヨークの写真家、ソール・ライターの写真展。

ソール・ライター(1923-2013)は商業写真家として、ファッション誌の『ハーパーズ・バザー』などで活躍し、その後表舞台から姿を消して、再発見された写真家だそうだ。(詳しくはBunkamuraHP参照。)

実際、彼の写真が良いのか悪いのか、私にはよくわからなかった。ピカソの絵と一緒で「これは巨匠ピカソが。」と言われれば「そうなのか。」と思うし「子供の落書きだよ。」と見せられれば「そうだろうね。」と見てしまう私なので、アートの良し悪しなんて全く判断できない。

でも「ああ、この人好きだな。」と思った。展示されてる写真よりも展示室の壁紙に印刷された、ソール・ライターの言葉が素敵だった。

I take photographs in my neighborhood.
I think that mysterious things happen in familiar places.
We don’t always need to run to the other end of the world.
私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。
神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ。

コロナ禍で鬱々としていた私にグッとくる言葉だった。遠くに行かなくても近くに十分備わっている、だなんて。来てよかったと思った。正直、ソール・ライターの写真の良さをちゃんと理解できた自信はないけど、この言葉に出会えてよかった。

そんなことを思いながら、帰途についた。帰り道、研ぎに出していた包丁を取りにひとつ手前の駅で降りた。「出来上がった包丁はここに置いておくね」と教えてくれた場所に包丁はちんまり置かれていた。そして、一緒に「い草のコースター」が付いていた。もともと研師さんはつい最近まで畳屋さんを何十年もしていた方だった。畳屋さんを畳んで、今は研ぎだけをやってくれている。前に花鋏をお願いしたら、とても良い切れ味にしてくださったので、包丁もお願いしたのだった。花鋏をお願いしたときに、実際に畳を縫う様子を見せてくれて、昔の話や「い草とビニールじゃ茣蓙も全然違うんだよ」など色々教えてくれた。おそらく端切れのように余った畳生地を使ってコースターを作ってオマケしてくれたのだと思う。

実はわたしは去年からコースターを買いたくて探していた。珪藻土は結局輪染みがつくし、プラスチックは水滴を吸わないし、布だと濡れたままコップについてきちゃうし、なかなか良いものが見つけられず過ごしていた。

い草のコースターは全然考えが及ばなかった。(というかあまり見かけない。)そして、非常に和テイストな趣で、正直売り物として見つけたら買わなかった。でも「ああ、これは60年以上畳を作り続けた職人さんが作ってくれたんだなぁ」と思ったら、ものすごい愛着が湧いて、去年妥協してコースターを買わなかったことをしめしめと思った。とっても嬉しかった。ソール・ライターの言う通り、世界の裏側じゃなくてすぐ近くに感神秘体験は落ちていた。

だから、私はその日買ったソール・ライターのポストカードを一枚そこに置いていった。外袋に「コースターとても嬉しいです、お礼と言ってはなんですが、Saul Leiterのポストカードです。」と書いて。

そしたら、今日、畳職人のおじいちゃんからメールが届いていた。

「Saul Leiterのポストカードありがとう。今日、孫(25)が遊びに来て、彼の写真集を持っていると教えてくれました。孫曰く『カラー写真の先駆者』だそうで。包丁の切れ味がよかったら、またよろしく。」

原文ままじゃないけど、こんな感じの。

お孫さんが遊びに来たのも、お孫さんがご存知だったのもセレンディピティ。


私の人生は今日も漫画の一話目で、全然話が進まない。

でもこんなにも、Storyに満ちてる。

今日も明日もあさっても、毎日Storyを生きてる。

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