荘園

日本史のよくある質問 その3 「氏」「姓」「名字」のちがい②

前回の記事では、「氏」と「姓」の違いについて、古代の氏姓制度などを通して書いてみました。

今回はその続き。「名字」とは何なのかについて書いていきます。

実は、「名」と「字」は日本史の観点では別の言葉なんです…。
そして、「大名」という言葉の意味も理解できると思います!


というわけで、今回のテーマは

「名字とは何か」

です。

結論から書いてしまうと、日本史の視点から見た「名字」とは、

「名」=「名田(土地)」の略語
「字」=名前

です。


ちょっとわかりづらいので、まずは「名字」の「名」という字が、日本史ではどういった所で出てくるかを見てみると…

「名主(みょうしゅ)」「大名(だいみょう)」

などがあります。
読み方が「な」ではなく「みょう」です。

ここで言う「名」とは、「名前」という意味ではありません。
実は、これは「名田」という意味です。

名田とは、口分田(国から貸与された田地)の私物化や、新たな荒地の開発などをきっかけとして平安時代中期以降、個人が所有するようになった土地のことです。
(それ以前は、制度上は土地(正確には水田)は国の所有でした)

そして、当時は「物の名前」を「字(あざな)」と呼んでいました。

つまり、名字というのは「土地の名前」のことなのです。


「名」は「名田」の略、「名田」=「土地」ということになると、

「名主」=土地の主(支配者)
「大名」=たくさんの土地の主(支配者)

という感じになりますね。


ところで、武士たちにとって「名田(つまり領地)」とはどれほど大事だったのか。
このことについてちょっと触れたいと思います。

古いことわざに「虎は死して皮を留め,人は死して名を残す」という言葉があります。
これは中国のことわざですが、日本における武士道のイメージもこれに近いものがあります。

ただ、日本の武士が死ぬことを恐れなかった「死して名を残す」は、

「勇ましく死んで名前を残す」というよりは、

「たとえ死んでも、一族のために名田(領地)が残す」

と考えると、当時の武士たちの考え方に近いと思います。

実際、戦いで命を落とした場合でも、遺族は主君から領地(名)の支配権が保障され、さらに活躍によっては戦死手当がつくことも多かったそうです。
たとえ自分が死んでも、残された者たちの未来は保証される。そう信じて多くの武士が戦いに臨んでいきました。

武士たちにとって、領地は命懸けで守るべきものであり、一族の存在そのものです。その価値観を「一所懸命」といいます。
そして、その地名を名乗ることも不思議ではない気がしませんか?

武士にとって「名字」を名乗ることの裏には、単に「支配地が違うから」だけではない、もっと生々しく激しい決意があるということですね。

江戸時代まで、「名字を名乗るのは武士の特権」だったのも、このような背景があります。
(実際には、武士ではない人も特例で名乗ることがあったのですが、その理由はまたいずれ…)


そして、せっかくなので「字(あざな)」についてももう少し。

実は当時の人たちは、本名で呼び合うことはほとんどありませんでした。

そのため、普段使い用の別の名前を持っていました。
これも、「字(あざな)」=通称といいます。

なぜ通称を使うかというと…
当時、相手(特に目上の人)を諱(いみな=本名)で呼ぶことは、極めて無礼な事とされていたからです(諱はその人の「魂の名前」という認識があり、軽々しく呼ぶものではありませんでした)。
その代わり、通常は字や官位で呼んでいたのです。

つまり、家臣たちが「信長様!」とか「家康様!」と呼ぶシーンはあり得ないのです。
(そんなことをしたら、おそらく怒られるだけでは済みません…💦)

最近、「御屋形様」「殿」など、名前を呼ばないようにしているドラマも増えました。史実を正確に表現しようとしている動きの一環だそうです。


ちなみに、「徳川家康」は、正式には
「源朝臣徳川次郎三郎家康(みなもとのあそみとくがわじろうさぶろういえやす)」となります(長い!)。細かく分けると

「源」=氏(うじ)=血縁関係
「朝臣」=姓(かばね)=朝廷との関係や役職
「徳川」=名字(みょうじ)=支配地・出身地の地名

「次郎三郎」=字(あざな)=通称
「家康」=諱(いみな)=本名

です。
※徳川氏は元は松平氏なのですが、なぜ変えたかについてもちょっとした裏話があります。これもまたいずれ…。

ちなみに、豊臣家と徳川家が大坂の陣を戦うきっかけになった1614年の「方広寺鐘銘事件」ですが、徳川家は、「家康の名を分割して徳川氏を呪詛している」として豊臣家を非難しました。

この「家康」というのが諱であることから、当時の感覚では極めて無礼(呼ぶだけで無礼なのに、2つに切り離したなんて…)ということになります。


最後に、「氏」「姓」「名字」をまとめると

「氏」 =古代から続く血縁関係
「姓」 =朝廷との関係(職能・地位など)
「名字」=主に平安時代以降に武士たちが名乗った、支配地の名前

という感じです。

というわけで、今回は、日本史における「名字」のちょっとディープな世界をお伝えしました。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!


(過去記事です)
日本史のよくある質問 その1
日本史のよくある質問 その2

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