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読書日記・秋はまだか

9月5日(火)

またもや歯科の日。今日も「痛いところを教えてくださいね~」と言われ、痛みがありそうな歯をガシガシと刺激される。毎回、痛みのある歯を説明しているのだから、そろそろ痛い歯がどれなのか覚えてくださいよ!!という気持ちと、そんなことを言っても仕方がない、黙って治療を受けようという諦めがまざって「ふぁへい」というおかしな返事をしてしまった。誰も気づかなかった。

読んでいたのは、稲垣えみ子さんの『家事か地獄か』の続き。

 今にして思えば、私は服を買うことで「もっとすごい私」になりたかったのだと思う。
 今持っていない新しい服を着ることで、今の自分をバージョンアップ、あるいはリニューアルしたかった。逆に言えば、そうして自分を「盛って」いなけりゃ世間に認められないと信じ込んでいた。私は今のままじゃダメなんだと思っていたのである。

『家事か地獄か』より引用

洋服をしこたま買い込みながらも、大半の洋服たちはクローゼットにしまい込んだまま、袖を通したことすらなかったと稲垣さんは過去を振り返る。私も稲垣さんほどではないけれど、たくさんの洋服が欲しい!!!と切望していた時期があったので、稲垣さんの視点に納得しまくった。そして今現在、私はオシャレに関する意識がすっかり消え失せていることにも気づいた。「もっとすごい私」にならなくてもいいという安心を得たのだろうか。しかしその安心はいったい何で得たのだろうか????


9月6日(水)

アスファルトを5秒さわってみて、熱くなければ犬の散歩に行ってもいいという情報を得た。夕方になると秋の気配もただよってきたし、ためしにアスファルトをさわってみよう!と思って手を置いた瞬間にめちゃくちゃ熱くて「あっつっっっ!!!!」と、とんでもなく大きな声が出た。誰だよ、秋の気配を感じたのは!!(私だよ)

相変わらず、『家事か地獄か』を読む。

手間をかけて美味しいものを作るのは、その道のプロに任せておけば良いと割り切ろう。自炊とはなんの手間もかけず、特に美味しいというわけでもないフツーのものをフツーに作るということである。

『家事か地獄か』より引用

プロがいるなら、プロに任せる。この割り切り方がとても良かった。家の食事もお店のように仕上げようとして、華麗なる食卓を提供するご家庭もあるだろうけれど、その華麗さをマネしようと思えば多大なるストレスが発生するであろうことは容易に想像がつくというか、今まさにその状態だったために稲垣さんの「特に美味しいというわけでもない」ものを作るという発想が、身も蓋もないように感じながらも確かにその通りだな、と思い至ったので非常に良かった。これからも私は「特に美味しいというわけでもない」ものを自信をもって家族に提供しようと思います。


9月7日(木)

秋の気配をうっかり感じてしまった私は、エアコンをつけるかどうしようか問題を抱えることになった。ものすごく暑いわけでもないんだけど、なんかちょっとムッとするような、まとわりつくような蒸し暑さのようなものがある。だからといってエアコンをつけるほどなのか? 外の風だけで過ごせるのでは?? といった具合に悩むことになったので、外気温やら湿度計やら、いろんなものを確認し続けて考え込んでいたら、一人汗だくになっていた。秋はまだのようだった。ピッ(即エアコンつけた。すっずしい~)。

読んでいたのは、近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』

稲垣えみ子さんが紹介されていたので読んでみたのだけど、気になったのは・・

他人の片づけられていないところを指摘したくなるのは、自分の片づけがおろそかになっているサインだからです。

『人生がときめく片づけの魔法』より引用

まさにその通りだった。子どものころ父親に「片づけろ!」と言われたことがあったけれど、あれは父が片づけられなかった人である証拠だろうなと思い当たる。床に物を置くな!と言っていた父だけど、今でも自分の物の大半は床に置きっぱなし。人に注意はするけれど、自分は現状維持なんだもの、親ってズルイ。

そして私は子どもたちに「片づけて!」とよく言ってしまう。しかし私は自分の物をその辺に置きっぱなしにしがちである。人に注意はするけれど、自分は現状維持のダメな親の典型的な状態を、今まさに私も子どもたちに提供していたことに気づいた。親のダメな部分はしっかりと引き継いでしまうのはなぜなのだろう。とりあえず物を置きっぱなしはやめよう。せめて机の上に置いておこう(さして変わらない状況が生み出されるの巻)。

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