感情を捏造と『裏切り』
佐渡島庸平さんのnoteを読んでいたら、この記事を見つけた👇
有料マガジンの記事だけど、最初のほうは無料で読めるので、気になる方がおられたらぜひ読んでみて欲しい。
この記事に書いてある「学校どうだった?」と子どもに聞かない理由。
とても興味深かったので少し引用してみる。
「感情を捏造」という言葉に思わずハッとした。
学校での出来事を話しているだけなのに、勝手にヒートアップして泣いたり怒ったりすることが息子にはよくある。
あれって「感情を捏造」していたということなのか、なるほど。
この「感情を捏造」してしまう状況なんだけど、私も過去の恋愛中によくやっていたなぁと思い出した。
自分に起こった出来事を話しながら、自分をよりよく見せたり、自分を被害者に仕立て上げたりしていたことを思い出したのだった。
相手の「気を引こうとして」、「感情を捏造」していたんだろうな、と佐渡島さんのnoteを読みながら気づいた。
相手の男性に「か弱くて守ってあげたい女性」として見て欲しかったので、自分の都合のいいような話し方をして、自分が被害者であるようにふるまっていた。
今考えると、当時の必死さには首をかしげたくなることのほうが多い。
けれどそれだけ当時の自分は不安定で、それは若さゆえの部分もあるけれど、どうもそれだけではないような気がする。
たぶん、相手に対しての不安が大きければ大きいほど、かまって欲しい気持ち、気を引こうとする回数って増えるんじゃないかと思う。
自分は大事にされていないのではないかと感じたときに、この「感情を捏造」する現象が起こるのでは??と思ったりした。
ただ、この自分が大事にされていないかどうかって、自分の物差しではかっている部分がとてつもなく大きいため、事実である可能性が低い。
本当は大事にされているのに、それには気づかずに被害者のフリをしているってこともあるし、とにかくこの問題は難しいなと思ったので、一旦終了。
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そんな最近の読書は『裏切り』。
この本も、昨年のミステリーランキングに登場していたので読みたくなった作品。
名警部だった父親リチャードを殺害された娘のケイトとともに、事件の真相を追い求め、しかしまったく事件の真相をつかめずにヤキモキしながら読み進めた作品だった。
タイトルが「裏切り」なので、どこかで読み手の私も裏切られるのかな?と思っていたのだけど、事件の真相にたどり着いたころには、ただただ心が痛くて痛くて、裏切りとかどうでもいいところまで到達していた。
この物語で描かれている「孤独」も苦しくて、どうしてこの本を読んでいるのか途中で何度か自問自答したものの、本を閉じることができなかったのは、とにかくハラハラさせられる出来事がポンポン生まれるからなんじゃないかと思った。
いい意味で最後まで安心できない、そんな作品だった。
著者の作品は他にもあるようなので、そちらもまた読んでみたい。
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