オーガニックマーケットで感ること
一日に感じるものが多すぎて、感じていることを実感することが多くて
心も頭もいっぱいなわたしです。
きょうはね、「おおいたオーガニックマーケット」に行ってきた!
おおいたオーガニックマーケットでは、
大分県内で有機野菜、自然農で栽培された野菜、化学肥料や農薬不使用でつくられた野菜、
また
米、お味噌、パン、ときどきカモ肉
などなど、農家さん自身がつくった加工品なんかも販売されているマーケット。
別府での大学生活は、2020年の9月からスタートしてたのだけど、
たまたま行った(遅刻して、イベントは終わってた(笑))、環境系サークルのイベントで出会った、先生にこのオーガニックマーケットを教えてもらって、
2020年の11月ごろに、はじめて行った。
「有機野菜」「自然農」「化学肥料不使用」
最初は、こういう野菜たちを買うために、また環境配慮している自分でありたいという願いがあって、オーガニックマーケットに行っていたのだけど、
実際行ってみると、
農家さん1人1人がテントを張って、
朝収穫してきたお野菜たちを工夫しながら並べて、
お客さんがきたら、
美味しい食べ方だったり、
野菜の育て方だったり、
前回買った野菜たちの感想を伝えていたり、
ちょっと人が少なくなったスキを見計らって
農家さん同士で、自分の畑では育てていない野菜や、味噌、米なんかを買ったり、
作物の状況や、農作業の苦労、工夫していることなどを
共有している姿があった。
オーガニックマーケットを通して、
農家さんたちを通して、野菜やお味噌たちなどが、わたしたち消費者に巡る
自然の命の循環を感じていたけど、
同時に
そんな自然の命の巡りを通して、わたしたち、消費者と生産者である農家さんたちという、にんげん同士の命の巡りも伝えてくれていたことを感じた。
屋久島に行ってから、屋久島にいる人は、自然の循環を自分たちの命にも還元?して、自分の思いと相手のおもいがめぐり合う関係性を築いていると感じていたのだけど、
おおいたオーガニックマーケットでも、そんな、いのちの循環が表現されていることに気付いたのだ。(ここもう少し言語化したい。)
ちょっと話はずれるかもしれないのだけど、
わたしは中学生ころから漠然と農家になりたくて、高校も農業が学べる総合学科に入った。
でも結局、農業系は選択せず、コミュニケーションを学ぶ福祉系をとった。
それは、1年生のとき、グループで枝豆を育てた時に、水を挙げるのが辛すぎて、「勝手に育てよ」って思ったことが大きかった。
あと、トラウマ的なのは、小学校1年生で、ひとりずつプランターを買ってチューリップを育てた時、
わたしだけ水やりをさぼりすぎて、最後チューリップが咲いた姿を絵にかく授業のき、球根のまま枯れてしまったわたしのチューリップを涙を我慢しながら一番前の席で書いていた記憶が残っていることがある(笑)
オーガニックマーケットに行くと、わたしも農家になりたいなーと毎回思うし、農家になることで、オーガニックマーケットに来ている農家さんともっと深い話や繋がりができるかもしれないなとも思う。
これから来る食糧難とかも見据えて、はやいうちから農家になっておくことは現実的にも自分を助けるとも思う。
でも、今日オーガニックマーケットに行って、わたしは、農家さんが作った野菜やおにぎり、卵を見て、感じて、農家さんと話す時間が心から愛おしくて、農家さんの野菜を受け取る側でもう少しいたいなーなんて思った。
いつかは、自分の家族が食べる分は自分で育てたいとかも思うけど、
たっくさん素敵な農家さんと繋がって、
おすそ分けしてもらったときに、何かで返せる人でありたいななんて、大分傲慢ですが、そう思ったのであった。
わたしも、自分の命を、誰かの命を、輝かせるひとでありたい。。。
読んでくれてありがとうございました!
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