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第一章 ヨハネの夢-2

 未来を告げる鳥には少し慌しくて、少々頼りない彼女は僕にぶつかってきた。
「いてて、すみません」
「大丈夫?前見て歩かないとダメだよ」
「前は見てたんですけどね。考え事してて。」
「考え事は、どこかカフェの中でするといい。意外とあのざわつきが集中できたりする。」
「そうします。本当にすみませんでした。」
彼女はそう言って足早に去っていった。

 次の日、僕はまた彼女を見かけた。東大の赤門の前。昨日と違うワンピースを着ている。彼女はいったい何をしているのかと思いながら通り過ぎようとした時、彼女も僕に気づいたらしい。こちらに向かって声をかけてきた。
「あ、昨日の人。もしかして東大生なんですか?」
「そうだよ。じゃなきゃこんなところ毎日通りはしないよ。」
「私、人を探しているんですけど、一緒に探してくれませんか?」
「え?」
僕は戸惑いを隠せずにいると彼女はつづけた。
「大事な人なんです。大事な・・・」
なんなんだろう。なんだか無視することができな引力のようなものを彼女から感じたのだ。今日の午後は講義もなく、暇と言ったら暇である。仕方ない手伝うかと思った。
「いいよ。どんな人なの?学部とか分かる?」
「大学生じゃないんです。」
「え?じゃあ教授?」
「いや、その・・・」
「特徴とか言ってもらわないとさすがにわからないよ。シャーロックホームズだって手掛かりがなきゃ・・・」
と僕が言いかけた瞬間、彼女は僕に近くのカフェで少し話をしたいと言い出した。僕はまあなぎ話があるのだと思い、それに同意した。

「いらっしゃいませ。」
歯切れのいいあいさつの店員に案内され、席についた。店内は数人の客がおり、カレーラスのにおいが立ち込めていた。煙草をふかした客が何か編集者の人間と打ち合わせでもしているのだろうか。夏目漱石を思わせる。あたりを見渡し終えると、未来が僕に呟いた。
「黄色い変な時計ですね。」
「そうだえね。趣があって僕は好きだよ。ところで、捜し人について早速話してもらえるかな。」
僕は単刀直入に彼女に話を切り出した。すると彼女は下を向いたまま小さく呟いた。
「メロンソーダ・・・」
「え?メロンソーダを探してるの?」
「飲みたいです。」
「はあ。まあ、せっかく入ったのに注文もしないんは野暮だしね。」
ちょっぴり呆れながら店員さんにメロンソーダとコーヒーを注文した。注文した飲み物はすぐに僕らのテーブルに運ばれて来た。
「今度こそ、ちゃんと教えてほしい。」
と僕は未来の目を見ていった。最初は少しもじもじしていたが気持ちを決めたのか少しづつ話始めた。
「実は、探してる人なんていないんです。君に一目ぼれというか。また同じ場所に来れば会えるかなあって思っていたらホントにあえて、それでどうにかお話しできないかなって。引いちゃいましたよね。ごめんなさい。」
僕は、唖然としてしまった。俗にいう逆ナンである。まさか実際にそんなものに遭遇するなんて思ってもいなかった。第一、自分の見た目に自信がある方でもなかったのにどこに惹かれてしまったのか疑問がわいてきた。
「あのちょっと混乱してて、いったいどこに惚れてしまったの?」
「雰囲気と言葉の言い回しです。」
未来はまっすぐに僕の目を見てそう答えた。僕は想わず目をそらしそうなくらいますぐだった。
「とりあえずデートでもする?」
僕は、思わず言ってしまった。未来は餌をもらった子犬のように喜んでメロンソーダをすすった。

それから、僕と未来は表参道を歩き軽くウインドウショッピングやら映画を見て連絡先を交換した。
「今度はいつ会える?」
未来は人懐っこい性格でもう打ち解けていた。
「土曜日かな?」
「分かった。じゃあ渋谷のハチ公前でいい?」
「いいよ。気を付けて帰ってね。」
そういって未来と別れた。

ー土曜日。
ハチ公前。
秋の風が吹き少し涼しく感じるが夏の日差しがそうは言わせてくれない中、過ぎる群衆をチラ見しながら僕は未来が来るのを待った。休日ということもおあり、群衆は溢れんばかりといったところだ。
「お待たせ。待った?」
未来は、前髪を少し抑えながら僕のところにドタバタと騒がしくやってきた。もう少し落ち着いて来ればいいのにと想いながら僕は応えた。
「今来たところだから大丈夫だよ。じゃあ行きますか。」
 僕らは、とりあえず群衆を泳ぐようにしてかき分け、少しオシャレナカフェに入った。
 カフェラテとコーヒーをそれぞれ注文し、お互い会わなかったときの近況を報告した。
僕は、大学の講義が教授の一人喋りで退屈だとか、サークルの飲み会で先輩がビールピッチャーを頼んでバカ騒ぎして、めちゃくちゃ飲まされて次の日二日酔いで死にそうになってしんどかったとかを離した。そんな話を彼女は、ふむふむと聞いていた。
 未来は、おとといの空に浮かんだ雲がソフトクリームに似ているとか、名前の知らないけれどとてもきれいな花を見つけたとか、なんかこうふわふわしていた。
 話は盛り上がり、1時間くらい過ぎていた。そんな時だった。
 そういえば彼女は大学生なのだろうか。同じ学生なのだろうか。僕は未来の話が途切れた合間に、彼女に尋ねた。
「そういえば未来は大学生なの?出会ったとき、キャンパスの近くにいたけど。」
彼女は、カフェラテを飲む手を急にビクつかせた。そんな別に聞かなくてもよくない。と言われたが僕がまっすぐに彼女の目を見つめると小さく、決まりが悪そうにつぶやいた。
「に、虹の橋大学・・・。」
 僕は、顔には出さなかったがとても驚いた。いや、顔に出ていたのかもしれない。未来の口から最もかけ離れた大学の名前だったからだ。正直、お茶の水女子大とかそんなものが出てきた方が納得するだろう。虹の橋大学とは誰が予想できるだろうか。そういう大学なのだ。
 虹の橋大学ー。国家公認の宗教団体である青星庭であるブルースターガーデンが経営する大学である。先日もきな臭いうわさがうちの大学で流れていた。聖水なるものを高値で売り付けてり、十字架を高値で売り付けたり、ねずみ講に近いようなことをして、注意喚起がされている。一方で、心底信教している熱狂的な信者は一定数おり、うちのキャンパス内でも新派の証である青い十字架を身につけている学生をちらほら見かけている。しかし、僕は、気になった。未来は青い十字架をどこにも身に着けていない。僕と会う計3回とも。故意的であるのか、他に何か理由があるのか。それともバックに忍ばせているのかはわからないが。実際、虹の橋大学の学生と出うこともなかったので本当に存在しているのだという興味がわいてきた。
「ごめん。虹の橋大学なんて気味悪いよね。」
僕は、頭の中での思考に集中しており、未来への反応を忘れていた。
「ごめん。ちょっとどんな大学だったか思い出してて。その、宗教とか興味あるの?」
僕は、気まずい雰囲気を打開するどころかむしろひどくなる方へと舵をっ切ってしまった。
「親がブルーガーデンの信者なんだ。それで私も自動的にそのまま入信させられて。でも、全然興味なくて。本当は抜けたいんだけど、親が反対して抜けられないの。大学もホントは美術系の大学に進みたかったんだけどね。」
未来は、今にも泣き出しそうな顔をしながらカフェラテを見つめた。そうか。興味本位で聞いたが、実際自分の意志が許されず、束縛されている未来の気持ちを考えると胸が痛くなった。鳥かごに入れられた鳥のような感じである。僕の中で未来への好意が産まれたのは同情という心が始まりだったのだと今では思っている。僕の返答がないことを感じた未来は続けた。
「私、生まれた時からずっとブルーガーデンに囲まれてきたの。七五三とかも神社とかじゃなくてブルーガーデンの宗教施設でやって、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学ってずっとずっと宗教団体の息のかかった学校だった。二世のみんなはね、みんながみんな信教しているわけじゃないの。何がいいんだろうね。ブルーガーデンの。何を信じて宗教なんかに入っちゃうんだろう。神様なんていないのに。。。」
「神様がいるかいないかの問題じゃないんだよ。」
「ど、どういうこと?」
反射的に不思議そうに未来が呟いた。アイスコーヒーの氷が溶けてカランと甲高い音が響いた。僕は、グラスについた雫をなぞりながら離しを続けた。
「例えば、お金がなくておいしいものが食べられないとか、洋服も買えずに何年も同じ服を着ていたり、社会に不満があるとする。そうした不満が募り募っていって、喜びがないモノトーンの世界があったとする。新橋の居酒屋を除けばそんな人いっぱいいるじゃない。口を開けば上司や妻の愚痴。自分の人生にある種、小さな絶望があったとする。“誰かに不満を聞いてほしい”と想うことがあると思う。そんな時に宗教は心の支えになるんだと思うよ。最初は、軽い気持ちで入信したのかもしれない。でも、教祖は自分の話を聞いてくれるし、そこに小さな助言をする。ちゃんと寝なさいとか野菜を少し多めに食べなさいとかそんなレベルの。実際、そういう小さいことだけど、やると意外と気分が良くなる。睡眠不足は、人の判断力を鈍らせるし、食物繊維の摂取は便秘の改善につながる。こういった小さな改善と話を聞いてもらった心地よさ、この相乗効果によって教祖の偉大さを認識させていく。そういうことが積み重なって、日常の幸は教祖の助言のおかげだと条件付けがされていく。人生において幸や不幸はある程度順序よくやってくるはずなのに、餌付けさせられた動物のように脊髄反射みたいになっていくんだよ。神がいるから宗教に入信するんじゃなくて、病んだ心がすがるために神を創り上げるのかな。」
無意識にグラスに触ると少しるるくなっていた。
「でも、未来みたいな二世の人たちは、そもそも宗教が不満の原因だったりするから信教していくこと難しい。例えばヒップホップが好きな子に演歌を無理やり聞かせるみたいにね。」
「すっごい分かりやすい。確かに私がつらいときに話聞いてくれる人がいたらその人のこと好きになっちゃうかも。それに私、演歌好きじゃないし入信しないのか。」
未来は笑いながら納得していた。さっきまでの悲しさはどこかに行ってしまったようだ。良かった。
「演歌は関係ないよ。」
僕もつられて笑った。陽だまりが頬をなぞり、少し秋を忘れさせる夏の相槌のような気分になった。
「でも、君本当に説明上手だよね。東大生は伊達じゃないね。私はブルーガーデンには入信しないけど、君に入信してしまうかもしれないね。そう、君は私の神様だよ。」
笑顔で言う未来。何を言っているんだか、と僕は少々呆れた。でも、未来の笑顔を見るのは悪くないと思った。こんな日常を過ごすことを少し憧れていたのかもしれないー。

 幾日もの日々が紡がれ今現在に至る。今日もその一日の続きだ。雀がちゅんちゅんと元気にはしゃぐ中、朝のニュース番組をテレビで垂れ流し、トーストにバターを塗っていた。春の風はまだ眠りなさいと言っている。
「君はたまに人の話聞かないで上の空の時があるよね。」
未来は少ししかめっ面で僕の方を見つめていた。覚醒しきっていない頭が1速で走るマニュアル車のように頑張ってアクセルを踏んで返事をした。
「え?そうかな?」
「そうよ。今だってそうよ。ねえ、もう一度言うわね。来週の半年記念日は、目黒のお店だったから講義後に18時に目黒駅に集合でいいよね?」
そうだ。来週は僕と未来の付き合ってから半年記念日である。あの出会いから半年かと感慨深いものがある。
「うんいいよ。あんまりお洒落しすぎないようにしなよ。目黒は坂道が多いから高いヒールだと移動が大変だよ。」
「その時は、君にお姫様抱っこでもしてもらうから大丈夫よ。」
おいおい。他人だよりかよとあきれながらも、今日から少し筋トレでもしておくかと思った。
「それにしても、楽しみだわ。ミシュランも認めるお店に行けるなんて。」
「たまたま予約がとれてよかったよ。楽しみだね。」
実はサークルの先輩が知り合いがオーナーシェフをしており、そのコネで予約を入れてもらったのだ。普段は酒とたばことギャンブルで遊びまわっている先輩だが、顔は広く大手有名企業への内定が決まっている。無理やり飲み会に誘われて大変だがこういう時は役に立つ。
「ところで、私このネックレスかわいいと思うんだよね。ガーネットとピンクアメジストが混ざっててとってもかわいい色じゃない?」
未来は僕にスマホでネックレスの写真を見せてきた。ううっ。なかなかの値段だ。急にこんなものをアピールしてくるなよ。
「急にこんなものをアピールしてくるなよって思ったでしょ?今。でも私ずっとアピールしてましたからね。君が聞いてないだけだよ。」
未来は少し悪い顔をして一限の講義へ出かけて行った。言ってたか。と僕は思い返しながらおもむろにスマホの履歴を見た。履歴には例のネックレスが沢山検索されていた。やられた。こういうところだけは、頭が働くんだよな、テストは赤点ギリギリなのにな。不満をつらつらと頭の中で並べているとそろそろ家を出る時間になっていた。今日は午前中サークルのミーティングがある。僕は朝食を急いで食べて家を出た。慌てていたので玄関で盛大に転んでしまった。なんだか不吉なものに足を掴まれるような感覚だった。しかしこのときは、気にも留めず、大学のキャンパスへと足をまた運び始めた。

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