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第6章 アルテミスの器−1

Vol.1
バシャバシャ。

 水溜りというには大きすぎる水面を雨を仰ぎながら僕と黒奈は歩いていく。激しい雨のせいで歩いてきた後の足跡がすぐに消えていく。顔にあたる雨粒が痛い。そう思いなが歩いていると、いつの間にか道が川になっていた。ザーザーと鳴り止まない雨が降る中、僕は少し不安になっていた。このまま雨がしゃんと止んでくれるだろうか。このまま夜まで雨になってしまったらどうしようか。

「不安。大丈夫よ。きっと通り雨よ。」

「そうだね。すぐ止むよね。」

「それにしても、地球温暖化の影響かしら。最近の夏の雨は亜熱帯のスコールみたいよね。」

「確かに。このまま日本の気候はどうなるのやら。」

黒奈が僕の不安そうなのを感じ取ってくれて励ましてくれた。心強いと思った。思った?。なんだろうか。心が離れていく感じがする。自分という存在がどんどん、雨に打たれていくと自己が流されていく感覚だった。感情に穴が空いてしまったのだろうか。昔よりも楽しいという感覚が薄く希釈されている。未来が死んでしまって開いてしまった穴がこの数日やっと瘡蓋が貼られてきたところだと思った。けれどそれは瘡蓋を貼ったのではなく、ザルのような網目状の何かで覆っているだけで、嬉しいとか楽しいとか悲しいとか怒りといった感情の液体がそのザルからどんどん抜けていくだけだった。いつか、このザルを埋めるような存在が現れてくれることを僕は思っていた。そう。

 コテージから30分くらい経っただろうか、テントサウナが並ぶ場所にやってきた。渓谷は先ほどまでの美しさを失い、さながらロイヤルミルクティーのような水の色になっていた。さすがに飲みたいとは思わないが。あたりを二人で見渡していると、可愛らしいビニールバックが見つかった。

「これかしら。」

黒奈がビニールバックを取り上げて見てみると、確かに探して欲しいという彼女の言っていたものだ。一応中身を確認んするべく、ビニールバックの中で身分証を確認しようとすると学生証が入っていた。確かに彼女と同じ顔がそこには描かれていた。

「血原雹(あやめ)。虹の橋大学 国際社会学部2年生ー。運命かな。」

「何が運命かなっよ。たまたまに決まっているじゃなない。思い出してしまうこともあるかと思うけれど、目を瞑ることだって大事よ。」

「別に感傷的になっているわけじゃないよ。ただ、ここまでこれがついてくると、さすがに運命なのかなって。」

「そう言うのを感傷的になっていると言うのよ。」

「そう言うもんかな。」

僕は、黒奈に痛いところを突かれ苦笑いをした。そそろそ帰ろうかと黒奈に言おうとした時、ピカっと空が光った。そして数秒後にゴロゴロと雷鳴が轟いた。音の感覚的にすぐ近くに落ちた可能性がる。

「ちょっとまずいわね。雷まで。どこか建物とかないかしら。」

黒奈がキョロキョロとあたりを見渡しながら僕に言ってきた。ピカ。再び空が光が空を包み、ゴロゴロと雷鳴が轟いた。

「そうだね。どこかに・・・・」

僕は前回、下見に来た時にあった教会のような建物を不意に思い出した。あそこなら大丈夫かもしれない。

「黒奈、こないだ下見に来た時に見つけた教会のような建物に行こう。あそこなら多分大丈夫。」

「確かに、あそこなら大丈夫そうね。行きましょう。」

こうして僕と黒奈は教会を目指し、足早に歩き出した。雨は、ますます強くなっており、道なのか道じゃないのか分からない道を進んだ。

「痛い。」

黒奈が急に足を止めた。

「どうした。」

僕が黒奈に問うと、黒奈はサンダルによって靴づれをしていた。黒奈は大丈夫と言っていたが、血が赤く赤く滲んでいた。確かにこんな山道をサンダルで歩けば靴連れくらい起こるか。と思った。

「それじゃ歩けないでしょ。背負うよ。乗って。」

「大丈夫よ。私歩けるわ。」

「強がらなくていいから。」

僕がしゃがむと黒奈が少し嬉しがりながら「もうっ」というため息を吐きながら僕の背中に手を回した。

「大丈夫。私、重くない。」

黒奈が恐る恐る聞くと僕は「大丈夫。軽い軽い。」と言って立ち上がり、教会を目指し走り始めた。

 途中何度か転びそうになりながら僕らは目的の教会に着いた。教会はどこか不気味な感じと雨で濡れているせいで湿っているのもあるが、それ以上に何か湿り気のあるような感じだった。建物で言うと3階建くらいの大きさで、そこまで大きいわけじゃない。玄関には鍵はかかっておらず、中に入ることにした。僕等は恐る恐る入ると、中はガラリとしており、雨の音が僅かに聴こえるくらいでとても静かだった。僕は黒奈を背負いながら教会の電気がないかを探した。黒奈がスマホを使って中を照らしてくれたおかげで、すぐに見つけるこができ、スイッチを押すと一瞬にして教会が明るくなった。結構しっかりした作りになっており、ステンドグラスやら木の椅子やら、どこかのドラマで出てきても遜色ない作りになっていた。僕は椅子の上に黒奈を下ろし、少し休憩することにした。僕がフーと言いながら椅子に座ると、黒奈が靴づれを気にしながら僕にいった。

「ねえちょっとカビ臭いというか、剣道部の胴着がある部屋みたいに少し鼻に付く臭さがない。」

確かに、黒奈がいう通り、何か人間味のある臭さがそこには漂っていた。

「まあ、ずっと使われていない感じがするし。仕方ないんじゃないかな。」

「そうね、雷に打たれて丸焦げになってしあうよりはマシだけど。でも、ここがずっと使われていない訳ではなさそうよ。」

「え。どういうこと。」

僕が不思議そうに黒奈に言うと、黒奈は椅子を撫でながら話し始めた。

「だって、ずっと使われていない割には、電気もちゃんとつくし、この椅子だって誇りに塗れていない。明らかにちゃんと掃除されているわ。床だって綺麗にされている。意外と使われているのよ。この教会。」

僕は、黒奈に指摘されて初めて気づいた。黒奈のいう通り、この教会は匂い以外はしっかりと手入れされている様子だった。こんなところの教会が何に使われているのだろうか。僕は何か引っかかった。なんだかRPGゲームを行うような感覚が湧いてきた。少し教会の中を探索してみようと僕が提案すると、黒奈が少し嫌そうな顔をして止めた。

「やめた方がいいわ。何があるかわからないし。雨が弱まるまで大人しく待っていましょう。」

しかし、僕は久しぶりに感情が高まっていることを思い出している。この衝動は止められない。そう思い僕は、黒奈が止める手を離し、「ちょっとだけ」と言って教会ないを散策することにした。好奇心を目に宿した少年のように。

 僕は早速、散策を開始した。とはいえ、教会は今いるホールのような場所とシャーわー室、そしてトイレくらいしかなく、他の部屋のような場所はなさそうだった。

「特に何もないな。」

「当たり前じゃない。ただの教会よ。RPGのゲームだとでも思ったの。セレンくんってたまに子供っぽいところあるわよね。」

僕が残念そうに呟いた。すると黒奈が僕に呆れた声で言った。

「これは男子なら誰でもあるような好奇心だよ。」

僕は呆れた黒奈に男と言う生き物の性質を謳った。黒奈は余計にため息をついた。

「はいはい。わかりました。」

僕は諦めずに教会内を探索し続けた。が、やっぱり何も見つからない。隠し扉や何かの引き戸もなく、何かをはめるような穴もない。せっかく沸いた好奇心がすぐに枯れてしまいそうになっていると、教会の象徴のようにして建っている石像の裏にレバーのようなものがある。僕はやったと思った。思わず、すぐにレバーを引いてみた。すると、ゴゴゴッと音がした。音とともに床が開き階段が現れた。異様な空気が広がった。何か開けてはならないようなパンドラの箱を開けるようにな感覚だった。

「こう言う好奇心が扉を開く時があるんだよね。」

「調子に乗らないの。全く。こんなものひきづり出しちゃってどうするのよ。」

「行くしかないでしょ。」

「本気で言ってるの。」

「本気だよ。それにこのまま開けておくのもちょっと不気味じゃない。」

「確かにそうだけど・・・・。」

黒奈は色々と考えているようだった。しばらく考えてからため息を一つ着いた。

「もう、仕方ないわね。ちょっとだけよ。」

そう言って、僕と黒奈はパンドラの箱へと足を運んでいった。

 一歩また一歩と足を運ぶ。軋んでいる階段はギーギーと音をたてながら僕らを迎えてくれた。中に明かりはなく、スマホのライトを頼りに進むと、6畳程度の小部屋が広がっていた。中心は分厚い絨毯のようなものが敷かれていてた。入って気づいたが、最初にこの教会に入って感じた匂いの正体がこの絨毯から香っていたことがわかった。蝋燭をつけるような場所があったが、ライターを持っていなかったのでつけることができなかった。まあ、スマホのライトで事足りるのだが。しばらくあたりをライトで照らし、辺りを確認したが、大して面白味のあるようなものはなく、少しガッカリする形になってしまた。

「ほら、何もないじゃない」

黒奈が言ってきたが僕はその言葉を無視し、引き続きライトを照らして当たりを搜索した。僕の好奇心はまだ冷めてくれないみたいだ。こんな簡単に諦めてしまえるほど僕はお利口な人間じゃない。絨毯の周りを後ろに下がりながら少しずつ探っていく。目ぼしいものは全くなかったが、それにしても、真っ赤な絨毯だった。何か美しい花の色のような純血のような?そんな印象を受ける。

「この絨毯とても分厚くて綺麗な色しているわね。」

「そうなんだよ。絨毯というかマットレスに近い感じがする。」

「まあ、少し匂うのが難点ね。」

「確かに、これじゃテレビ見ながらくつろぐことはできないね。」

「臭くてテレビに集中できないわ。」

「確かに。」

くだらない冗談を言いながら絨毯の全面を見たが結局、とてつもなく綺麗な赤色をしているということ、かなり分厚く5センチ以上の厚さがあること、そしてこの絨毯が匂うということしかわからなかった。

「何もなかったわね。」

「そうだね…。」

「もう上に戻りましょうよ。」

「ねえ、この絨毯、これだけ厚いんだから中身に何か隠しているんじゃないかな。」

「まさかこの絨毯を切り刻んでみるとか言わないわよね。」

「いやいや、流石に素手じゃ無理だし。」

「ナイフがあったらやってるかもしれないってこと。呆れるわ。」

僕は少し残念だった。諦めてそろそろ上に戻って外の様子を伺おうと思い、僕らは再び階段の方へと戻ろうとした時、なんだか硬いものを踏んだ。「ん?」

「どうしたの。」

「何か踏んだんだよ。硬いものを。」

僕は足で踏んでいる硬いものを手で拾い、ライトを当てるとその硬いものの正体はピンバッジだった。見覚えのあるブルーのピンバッジ。どこで僕はこれを見たことがある。どこだろう。

「何それ、ピンバッジ。なんだか国会議員が付けているようなものみたいにしっかりしているわね。」

「そうだね。なんかどこかで見覚えがあるんだけど思い出せないんだよね。」

「確かに、私もどこかで見覚えがあるような気がするわ。」

なんだろう。喉に魚の棘が刺さったような感覚だ。あと少しで出てきそうなのに出てこない。

ピロリン。

急にスマートフォンが音をたてた。僕は、スマートフォンを見ると先輩からメッセージが送られてきていた。

『今どこにいる。』

『会場の近くで雨宿りしています。』

『了解。』

『再開できますかね…』

『そのことなんだが、先ほど、この雨だと止んでも渓谷の水位が高くなっているから危険だと笛吹さんがおっしゃってるので、今日のフェスはこれで終わりにすることを決定した。』

『そうですか。わかりました。』

『テントとかは後日片付ければいいらしいんで心配しなくていいらしい。まあ、とりあえず雨が弱まってきたら戻って来てくれ。』

『了解です。』

そうか、今日はこれで終わりか。少し残念な気持ちになりながら、先輩から送られたメッセージを僕は黒奈に伝えた。

「残念ね。もう少しやりたかったわ。」

黒奈も残念そうだった。このフェスを開催するにあたって色々と準備を進めてきたこともあり、少し悔しい気持ちになった。でもまあ、一度で来たことだし、もう一度できる。そう思い直した。

「また、来年も開催すればいいさ。」

「そうね。来年もまた一緒にやりましょう。」

そう言って僕らが話していた時だった。思い出した。このピンバッジをどこで見たのかを。そうこれはブルーガーデンのものだった。かつて僕と未来がブルーガーデンの教会を訪れたとき、油野が胸につけていたもので、ブルーガーデンの幹部が付けているものだった。

「思い出したよ。これはブルーガーデンの幹部がつけるピンバッジだ。」

「えっ。」

「僕は、こいつと同じものを付けているやつに会ったことpがある。」

なんでこんなものがここにあるのか想像もつかない訳でもなかった。この教会はブルーガーデンが所有するものだということだろう。単純明快だ。だが、こんなところに教会なんて建てて彼らはどうするつもりなのか。それに関しては想像もつかなかった。僕は、あの時の油野の歩的な笑い声を思い出していた。どこまでも不気味で何処か僕と未来の結末がこうなることをわかっているかのような気味の悪さ。思い返すたびにピンバッジを握る手の力が強くなっていくことを感じた。どうして自分の周りにここまでブルーガーデンがまとわりついてくるのか。それはしつこい油汚れのようだった。何度も洗っても洗ってもなかなか落ちない。僕がピンバッチを見つめ立ち尽くしていると、黒奈が早く上にあがろうと言ってきた。僕は、この教会を探索したいという先ほどまでの好奇心がいつの間にか嫌悪感に変わっていることに気づき、黒奈に二つ返事をした。そして、この気持ち悪いピンバッチをくらい闇の方へと思いっきりなげつけ階段を上がった。ピンバッチは、闇の底に当たりカチッと静かに音をたてて消えていった。

 教会に入ってから30分がたっただろうか。僕と黒奈はたわいもないお喋りをしながら過ごしていた。雨は、少し弱まってきた。お互いそろそろ出ようかという話になったので扉へ向かっていく。

ガチャー。

ゆっくりと、でも確実に教会の入り口のドアが開いた。誰がこんなところに来たんだと頭の中で考えを働かせていると、笛吹さんがそこには立っていた。

「君たちまさか、こんなところにいるとは。」

「すみません。雷が鳴っていたのでここに避難させていただいていました。」

「いや、まあいいんだが。鍵をかけ忘れていたおれも悪い。」

「そんなことは無いですよ。」

「そういえば、血原の忘れ物を取りに来てくれたんだろ。すまないね。」

「いえいえ、これも運営の仕事ですから。」

「本当にありがとう。血原は、全くいつも何処か抜けているからな。」

「お知り合いなんですか。」

「まあね。」

「そういう偶然もあるんですね。」

「そうだね。こういう偶然を前にするとやはり、この世界は狭いんだと感じるよ。」

「確かにそれ思います。私もこないだパン屋さんであった人がたまたま別のパン屋さんにいてびっくりしました。」

「餓虎さんは、パンがお好きなのかな。ここの近くにもいいパン屋があってね。ぜひ言ってみるといい。」

「本当ですか。ぜひ言ってみます。」

「あそこのクロワッサンは格別だよ。元々ホテルの料理人をやっていた人が現役を引退してここに店を出しているんだけどね。」

「知る人ぞ知る名店ということですね。」

「そういうこと。」

黒奈が笛吹さんと会話している最中、僕はさっきの笛吹さんの会話に散りばめられた違和感について考えていた。

「あれ、どういうことだ。鍵をかけ忘れた。」

僕は口に手を当てながらブツクサと呟いていく。せっかく払い除けた油が再び体に付くような感覚に襲われる。点と点がつながり線になるように、一つずつ言葉の意味を正確に繋いでいく。

「鍵をかけ忘れたということは、これの管理をしているのは笛吹さん。」

「そして、この教会はブルーガーデンの所有施設。」

「つまり、この人はブルーガーデンの信者。」

そう、この人は最初から言っていたようなものだった。思い返せば、この渓谷の管理を任されていると言っていた。「誰に?」と疑問に思うべきだった。「教会」というキーワード、この日本で教会を建てられるほど資金もあって社会に溶け込んでいるものなんて一つしかないじゃないか。僕が一つの結論に達していると、僕のブツクサ言っているのが聞こえたのだろうか。僕の方を見てきた。

「話は変わるんだが、この教会内はどうだったかな。」

「どうだったと言いますと。」

僕が聞き返すと、笛吹さんは一歩前進し、教会内を見渡しながら話し始めた。

「いや、老朽化とかもあるからね、怪我はしなかったかと思って。」

「大丈夫ですよ。全然ちゃんとしてましたよ。」

「それはよかっ…。」

語尾がうまく聞き取れなかあった。多分、笛吹さんが僕らが地下室の入り口を開けたことに気づいたのだろう。

「ところで君らは、ここで何をしていたのかな。」

声色が少し変わった。さながら悪役の幹部が見てはいけないものを見つけた主人公たちを追い詰めるような。そんな声色だった。

「ただ休憩していただけですよ。」

僕が恐る恐る返答した。すると笛吹さんは続けた。

「ほう。ただ休憩していた割には、地下室に行く必要があるかな。」

「トイレを探していたらたまたま見つけちゃって。」

「トイレはこんな地下室よりも分かりやすいところにあるが。」

「いや。うっかりうっかり。灯台下暗しってやつですよ。東大だけに。」

詰将棋のように少しづつ詰められていく感覚だった。明らかにあの地下室を知られたくないということだろうか。

「そうか。君はもしかして油野さんが言っていた青年のことか。」

油野。奴の名前が笛吹さんの口から出た。ブルーガーデンの信者であることが確定した瞬間であった。

「油野のことを知っている。つまりあなたはブルーガーデンの信者であるということですね。」

僕が核心に迫ると、笛吹さんは頷いた。隠す気もないらしい。そもそも信者が信者であることを隠すのは、未来のような2世信者でブルーガーデンを嫌うものが多かった。

「地下室で君は何を見たんだい。」

「真紅の絨毯とブルーガーデンの幹部がつけていたバッジです。」

僕はここで嘘をついても良くないと直感し、正直に話した。

「なるほど。君は、嘘はついていないようだね。」

「嘘ついてるかどうか何んてわかるんですか。」

僕が尋ねると笛吹さんが含み笑いを浮かべながら答えた。

「音だよ。心音・呼吸音・その他しぐさ。人は言葉以外にも色々な音を出している。」

「ノンバーバルコミュニケーションってやつですか。」

「よく知っているね。俺は耳がいいことをいかし、独自にアレンジしているがね。」

「つまり嘘をついても無駄ということですね。」

「そういうことだ。月喰さん。」

笛吹さんは先ほどよりも大きく笑い、僕と黒奈を見ていた。さながら僕らは子羊に見えているのだろうか、狩人の視線にも感じられる。

「月喰さん。君はこの施設で何をおこなわれていると思うかな。」

この施設で何をおこなわれている。そんなことを聞かれてもまだそこまでの結論に辿り着いていななかった。何かの儀式でもしているのだろうか。あの深紅の絨毯がその儀式の場所?だろうか。僕は、フワフワと答えた。

「何かの儀式をする施設ですか。」

笛吹さんはニチャッと笑顔を浮かべた。まるで僕の分からない謎解きの答えを知っている出題者が答え合わせをするように。

「正解だよ。でも何をするかまでは分からないかな。」

「ええ。そこまで分かるよピースが揃っていません。」

「ではヒントをあげよう。君は聖別を知っているかな。」

「言葉だけなら。油野が昔言っていました。」

「聖別とは他の宗教でも昔からおこなわれている行為だ。神聖なる行為にあたる。」

「神聖な行為。」

僕は、笛吹さんが言った言葉を復唱した。全然分からなかった。

「教祖はね、社会で生きていくと、いくら頑張っても汚れというものが生まれてしまうのだよ。埃が溜めるように必然的にね。そう言った時、宗教的な穢れの払い方。それは神聖なものによって穢れを祓うという概念がある。」

「その神聖なものっていうのはなんですか。」

「まあまあ、焦らないで聞いてくれ。ちゃんと話すから。話には順序ってものがある。」

「わ、分かりました。」

僕が思わず発した疑問を宥め、笛吹さんは話を続けた。

「穢れは祓われ、神聖なる器に注ぎ込まれる。それを持って、汚れたものは清らかになり、器は器としての役割を果たし、現世へと落ちるのだ。とね。」

僕は笛吹さんが何を言っているのか理解できなかった。神聖なもの?器?何か杯のようなものでお酒でも飲んで心を清らかにする的なことだろうか。迷走中の思考の中で笛吹さんは話を続けた。

「ここまで話したが、月喰さんは疑問に思っているはずだ。「器ってなんだろうか。」と。答えは簡単だ。女性器だよ。」

「じょせいき。機械か何かですか。」

僕が困惑していると、笛吹さんが呆れて言った。

「月喰さんは童貞じゃないだろう。女性の性器のことだよ。」

「えっ。」

僕は、笛吹さんの言葉が信じられなかった。女性器が器でそれに穢れを注ぎ込む。僕は思わず質問した。

「つまり、性行為をすることが穢れを祓うことなんですか。」

「ただの性行為ではない。神聖な器でないといけない。」

「神聖とは、処女ということですか。」

なんだろう、胸が熱くなる。僕はなんとなく答えが見えていた。しかし、それを自分で結論付けてしまうことが怖かった。だから、笛口さんの口から結論を言って欲しいと思った。神聖という言葉、その意味を。

「ただの処女ではないよ。初潮前の幼い少女から選ばれる。その中でも健康的でとても美しい子が選ばれる。その神聖な器に性行為を行うことが聖別だよ。」

「それは、性暴力じゃないですか。幼い少女たちにこんなことして。宗教もクソもない。」

僕は思わず叫んだ。こんなふざけた話があってたまるかと。非常識にも程がある。ブルーガーデンに既にある嫌悪感の炎に油を注いでいくようだった。この炎をメラメラと燃やしていると、笛吹さんがこれを聞いて笑い出した。油野の時と一緒だ。どこか上から目線というか、僕の怒りの感情すら見透かしているような感じ。「そう答えると思っていたぞ。」と言わんばかりのその表情が。

「世界にはこのような宗教的性行為がたくさんある。君は処女を抱いたことがあるかね。」

「そりゃ、ありますよ。」

「その時の気持ちを覚えているかな。いや、覚えていなくてもいいが、この処女という響きに神聖さを感じはしないかね。これは、キリスト教をはじめとする様々な宗教でも扱われていることだが、処女は神聖なものとして扱われてきた。確かに性暴力に感じるかもしれない。幼女虐待。だがね、穢れを祓いそれを受けることができるのは素晴らしいことなのだよ。彼女らの使命なのだ。」

「そんなことは、あなたたちの教祖が勝手に決めたことに変わりない。ただの人間が都合よく作られた仕組みだ。」

「それは、この世界にある法律もそうだろ。人間が正義という名の価値基準で作られた決まり。作り手によっていくらでも変えられる。」

「それは屁理屈だ。」

僕は、この手の言い回しにはもう、うんざりしていた。僕は湿った教会の息を吸い続けた。

「屁理屈を回して一休さん気取りのトンチ。言い訳にすぎない。」

「屁理屈か。確かにそう聞こえるかもしれない。しかし、我々人は動物だ。性行為はその中でも真理に近いものといえる。神がお与えになったとても大切なものだ。その行為に対して、どう扱うべきなのか。意味とはなんなのか。深く深く吟味していき教祖はここの境地に辿り着いたのだよ。法だの倫理だのを超越した答えをね。」

僕は、ブルーガーデンに対しての嫌悪感がましていた。吹きこぼれそうな鍋の水のような感情を抑えつつ、僕はこの場を立ち去ろうとした。すると、笛吹さんが僕の顔を見てつぶやいた。

「君は、ここまで言っても目を背けるつもりかね。」

「なんの話ですか。」

「怒りすぎて考えられていないのかな。」

「だからなんの話ですか。」

僕は抑えている感情を抑えるので精一杯なのに笛吹さんが僕を煽ってくる。なんなんだこの人は。何が言いたいんだ。こっちは怒りの感情を押さえながら話しているのに。僕は、つい強い口調で言った。

「僕のことをおちょくっているんですか。」

「おちょくってはいないよ。ただ、月喰さんは気づいているのかなと思って聞いているんだ。」

「気づいてないです。何も。」

「そうか。」

僕の何も気づいていない様子を見ると笛吹さんが一呼吸置いてから発した。核爆弾のような一言を。

「未来は、ここで犯された。油野さんによってね。」

僕は空いた口が塞がらなかった。こいつは何を言っているんだ。弱まった雨がシトシトと降っている。まだ、雨が降っている。

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