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北村早樹子のたのしい喫茶店 第8回「大泉学園 喫茶アン」

文◎北村早樹子
 

見てるだけでお腹が空いてくる喫茶アンのショーケース


 34歳の時に、お風呂で派手に転んで左肘のお皿の部分を粉砕して骨折してしまい、手術をした。
 3か月間ギブス生活を送り、リハビリにも通い、なんとか社会復帰しはじめた頃、治ったはずの左腕が突然めちゃくちゃ腫れて激痛に襲われた。え、なにこれ、となって病院へ行くと、どうやら手術したときに骨に菌が入り込んでしまっていたらしく、骨髄炎というのになってしまった。
 そこから1か月間、また入院して点滴生活。これって医療ミスちゃうん、と内心疑問に思った。何故なら、手術してくれた先生は、異動になったとかで出て来なくなって、別の先生をつけられたのだ。でも気が小さいわたしはそんなことを病院に訴えられるわけがなく、大人しく入院生活を送っていた。点滴に繋がれていないといけない、というだけで、他は身体は元気なので、めちゃくちゃ退屈だった。
 しかも、病室が最低だった。結構大きい都立病院の、外科病棟に入院していたのだけど、女子4人部屋で、同室のばあさんたちが最低だったのだ。
 向かい側のベッドの、自転車で転んで首を骨折したらしいばあさんは、入院や痛みのストレスもあるのだろうけれど、とにかくめちゃくちゃ口が悪く、看護士さんへの当たりも強いし、お見舞いに来るじいさんへいつも罵詈雑言を浴びせていた。自分に言われているわけではなくとも、罵詈雑言を一日中聞いていると結構こちらにもストレスが来るものだ。しかし、このばあさんはこの部屋ではいちばんマシなばあさんだった。
 隣のベッドには、どうやら本当はもう退院してもいいらしいのだけど、家族が引き取りにこないから入院させられっぱなしのばあさんがいて、このばあさんは少し認知症も入っているのか、四六時中独り言をぶつぶつと言っていた。それが真夜中も続くのできつかった。たぶん寝言なんだろうけど、濁声の結構なボリュームでしっかり喋るのである。耳栓をぶっこんでいても全く意味がないぐらいうるさい。眠れない。そして、この寝言や独り言に対して、向かいの口の悪いばあさんが「ぶつぶつぶつぶつうるせえなあ!」と、聞こえるぐらいの声でカーテン越しに叫ぶのである。しかし独り言ばあさんは聞こえていないのか、全くやめない。その掛け合いはちょっとコントのようでもあり、おもしろいのだが、それも最初のうちだけで、永遠にやられると参ってしまう。ちなみに、この独り言ばあさんは信心深いのか早朝にはお経も唱える。
 そして斜向かいのベッドのばあさん、これがいちばん強烈だった。このばあさんは、老化現象なのかなんなのか、肛門括約筋がバカになってしまっているらしく、とにかく屁をこきまくるのである。朝からブー、昼間もブー、夕暮れにもブー、真夜中には寝っ屁もこく。短いブッという破裂音もあれば、ブーーーーというロングトーンもある。人間、こんなに屁が出るものなのか、というぐらい、大袈裟ではなく10分置き間隔でこくのである。そんなことだから、あの口の悪いばあさんが黙っているわけがない。「ブーブーブーブーうるせえんだよ!」とこれまたカーテン越しに言い放つ。それが聞こえているのかいないのか、屁こきばあさんは気にすることなくブーブーやる。もう、なんか動物園みたいな、豚小屋みたいな病室だった。
 そんな豚小屋に放り込まれての地獄の1か月。喫茶店にも行けなくて悲しい。そしてわたしには大いなる心配があった。ちょうど1か月後から、『閉鎖病棟―それぞれの朝―』という映画の撮影で長野県へ泊まり込みで行かなければならないのだ。帚木蓬生さんの小説『閉鎖病棟』が映画化するにあたり、そのオーディション情報が事務所から送られてきたとき、わたしは歓喜した。わたしはこの原作小説のファンだった。映画化するならぜひ出たい! オーディション1週間前にちょうど骨折したので、オーディションには腕を三角巾で吊ったまま参加した。(正直、どうかと思う)でも入院患者役のオーディションだったので、なんか病人がしっくりきたのか、結構な倍率の中、合格した。

 その時点では主演の名前は伏せられていたけれど、入院中にマネージャーが台本を届けてくれて、びっくりした。主演、鶴瓶さん、綾野剛さん、小松菜奈さん、他にも日本映画界でバリバリ活躍されている、素敵な俳優さんだらけ。そんな中で、わたしは脳みそが小学生のままで30代になっている軽度の知的障害があるオフデちゃんという役をいただいた。まさにわたしのためにあるような役ではないか。絶対わたしがやりたい。なんとしてでも出演したい。しかし点滴生活は最低でも1か月必要で、もし治りが悪かったら2か月、3か月の入院もあり得る、と言われていた。もし1か月経って入院続行と言われたら、勝手に退院してやろうと密かに決めていた。

 入院生活も佳境に入った頃、映画の撮影前の顔合わせや読み合わせ、衣装合わせなどがスケジュールに入ってきて、わたしは外出申請を出して、何度か大泉学園にある東映東京撮影所へ通った。大きな映画に出るのははじめてのことだったので楽しみだったし、何より豚小屋を出られるのでこの外出が本当にしあわせな時間だった。点滴の間隔の問題で、6時間以内に絶対戻らないといけないのだけど、病院から東映への往復2時間、読み合わせや衣装合わせに2時間かかったとして、まだ時間に少しは余裕がある。それなら、いいよね、行ってもいいよね、ということで、こっそり喫茶店に行かせてもらった。

喫茶アンのナポリタンはかなりのボリュームです

 大泉学園駅前にある、喫茶アン。緑のソファーが目にやさしい。その日の病院の夕食はストップの申請をしてきたので、ナポリタンをいただきます。ベーコン、たまねぎ、ピーマン、マッシュルーム、定番の具材がケチャップでシンプルに味付けされたナポリタンは、ずっと味のない病院食を食べさせられていたわたしには本当に夢のようにおいしく、ちょっと泣きそうになった。喫茶店で飲むアイスコーヒーも最高。病院食があまりにおいしくないので食べれなくって弱っていたわたしですが、アンのナポリタンとアイスコーヒーで元気回復。わたしがエネルギーをチャージ出来る場所は喫茶店しかないな~と改めて思った。

今では珍しい自家製のアイスコーヒーはナポリタンとの相性ばつぐん!

 その後、ちゃんと1か月で無事退院も出来、映画のクランクインにもぎりぎり間に合った。しかし本当にぎりぎりで、退院した翌日にはロケ地の長野県小諸市の某病院に入院患者の役で入っていたので、結果的に病院から病院へ転院したようなもんでした。


今回のお店「喫茶アン」

■住所:東京都練馬区東大泉1―30―3
■電話:03―3921―6909
■営業時間:現在は、月~日8時半 ~18時 
■定休日:ほぼ年中無休


北村早樹子

1985年大阪府生まれ。
高校生の頃より歌をつくって歌いはじめ、2006年にファーストアルバム『聴心器』をリリース。
以降、『おもかげ』『明るみ』『ガール・ウォーズ』『わたしのライオン』の5枚のオリジナルアルバムと、2015年にはヒット曲なんて一曲もないくせに『グレイテスト・ヒッツ』なるベストアルバムを堂々とリリース。
白石晃士監督『殺人ワークショップ』や木村文洋監督『へばの』『息衝く』など映画の主題歌を作ったり、杉作J太郎監督の10年がかりの映画『チョコレートデリンジャー』の劇伴音楽をつとめたりもする。
また課外活動として、雑誌にエッセイや小説などを寄稿する執筆活動をしたり、劇団SWANNYや劇団サンプルのお芝居に役者として参加したりもする。
うっかり何かの間違いでフジテレビ系『アウト×デラックス』に出演したり、現在はキンチョー社のトイレの消臭剤クリーンフローのテレビCMにちょこっと出演したりしている。
2017年3月、超特殊装丁の小説『裸の村』(円盤/リクロ舎)を飯田華子さんと共著で刊行。
2019年11月公開の平山秀幸監督の映画『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(笑福亭鶴瓶主演)に出演。
2019年より、女優・タレントとしてはレトル http://letre.co.jp/ に所属。

■北村早樹子日記

北村さんのストレンジな日常を知ることができるブログ日記。当然、北村さんが訪れた喫茶店の事も書いてありますよ。

■北村早樹子最新情報

7/26(火)
『アウト&セーフ』
場所:下北沢ろくでもない夜
時間:19時開場19時半開演
料金:前売3000円
出演:第十四代目トイレの花子さん、北村早樹子、白玉あも、かものなつみ
ご予約はwarabisco15@yahoo.co.jpまでお名前と連絡先を。



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