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#物書きさんと繋がりたい
【連載小説】『晴子』16
女?
電話の向こうから、女の声がした。いや、女と呼べるほどその声に色気もアンニュイも感じなかったから、女の子と呼んだ方が適切だろうか。けど、声が聞こえてすぐに電話は切れてしまった。それに、声が遠くて何を言っているのか、いまいち聞き取れなかった。
今夜は、なんとなく寝付けないでいた。外で雨がさらさらと降っているのが分かる。秋の真ん中で、鳴いていた虫も息を潜めつつある。どこかで、枯葉だろうか、軽
【連載小説】『晴子』17
どうして俺が今、島田と一緒にホテルのベッドで寝ているのかを説明することは、当事者にとってもかなり難しい。
井川を放置して、島田と一緒に駅に向かって歩いていた俺は、この上なくムシャクシャしていた。井川に散々振り回され、男女関係なく参加者には顰蹙を買われ、彼の友人(ということになっている)の俺と島田が忙しなく立ち回らなければならなかった。
雨?そうだ、雨だ。駅まで歩いている途中で、雨に降られたの
【連載小説】『晴子』29
早めの梅雨がやって来た。
部屋の中は心なしか湿気ていて、何を触ってもその表面にぬるい水分の感触があるようだった。髪を短くしておいてとよかったと思う。うなじあたりをなでる空気が、梅雨でも涼しくさっぱりと感じられる。
ラジオからは、雨の続く毎日への憂慮とは裏腹に、来る夏への期待に満ちた話が流れてくる。淹れたての熱い紅茶の入ったマグカップがテーブルの上にある。もうこれも季節はずれになっている。外は
【連載小説】『晴子』30
井川が退学したらしい。
教えてくれたのは島田だった。彼女に言われるまで、俺はそのことを知らなかった。
「竹下さん!」
大学内のカフェで俺に駆け寄ってきた彼女は、髪を短く切っており、一瞬誰か判然としなかった。
「聞いてますか?」
「何?」
「井川さんが、大学辞めたって。」
そういえば、前期の授業が始まってから今まで、井川の姿を一度も見ていない。大学3年になると、同級生と授業の時間割が会うこと
【連載小説】『晴子』31
あの無言電話の次に、今回の失恋のことを話したのは、もちろん菖蒲ちゃんだった。この菖蒲ちゃんへの報告は、もちろんという言葉の表現する必然性とぴったり符合するものを感じていたからだ。
「別れちゃったんですか?私、会ってみたかったのに、月島さんの彼氏。」
少し残念がりながら、菖蒲ちゃんは更衣室の制服に袖を通していった。今日から夏服になる。
「あ、彼氏じゃなくて、元彼氏、でしたね。」
制服から顔を出
【連載小説】『晴子』32
朝から雨が止まなかった。
傘を持って短い髪が湿気で少しベタつくのを気にしながら、私は立ち止まって自分の前を通り過ぎていく人の塊をいくつもやり過ごしていた。昼時の駅は、出勤時や帰宅ラッシュ時の帯のように絶え間ない人の混雑はなく、電車が止まる度にひと塊の人がホームから上がってくる。
今年の梅雨は、例年より早くきて、長く続くそうだ。7月も終わりに差し掛かろうというのに、梅雨明けはまだまだ先みたいだ
【連載小説】『晴子』終
「おい、竹下!お前どこ行くんだよ?」
酔っ払ったバイト先の先輩が俺の服を掴む。
「トイレですって。」
先輩の手を振りほどこうとするが、結構力が強い。
「離してください。」
「なんだよ、俺から逃げようってか?」
「そういうわけじゃないですけど。」
なかなか手を離してくれない。そのあとも、何か言っていたが、若干呂律が回っていないその声は、意味のある言葉というよりも理解不能な鳴き声に聞こえた。