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atelier HIKITSUGIができるまでとこれから 〜第1章 創設者Shoの経歴〜

先日も投稿させていただいたファッションリメイクコンテストですが、ありがたいことに本当に多くの方から参加表明をいただいております!
こんなにたくさんの方にご参加いただけてスタッフ一同大変嬉しく思っております。

ということで今回は、こちらの記事でもチラッと触れましたコンテスト主催でもあるAtelier HIKITSUGIの創設者の今井翔さん(以下、sho)にお話を伺いました!

shoさんは中学生の頃から服のリメイクなどを始め、お仕事もずっとアパレル業界という経歴の持ち主です。
自身で起業されてからはエシカルファッションブランドも運営されていたとのこと。

そんなshoさんにこれまでのファッション分野でのご経験や、今話題のエシカルファッションに関する考えを独自の視点からお話しいただき、最後にAtelier HIKITSUGIの創設に至った経緯をお話しいただきました。

いつになく熱く語ってくれたshoさん。
いつもはニコニコしていて自分から多くは語らないけれど、胸の内にはこんなに熱い想いがあったんですね。
とてもたくさん語っていただいたので、今回は4章に分けてお送りさせていただきます。

それではどうぞ!

■ ファッションと古着を好きになったきっかけ

─改めまして、今回はアパレル業界での就業経験があるShoさんに、当時のお話を中心に伺っていきたいと思います。まずは、ファッションに興味を持ったのがいつ頃なのかをお聞かせいただけますか?

子どものころから芸能活動をしていて、撮影時に普段と異なった格好をすることが多かったので、その頃から「おしゃれをすることの楽しさ」を味わっていました。

本格的にファッションに凝りだしたのは高校生になって自由に使えるお金が増えてからですね。友だちと遊ぶお金を残して、あとはほぼすべて服にお金を使ってました。中学生までは昔は買えなかった好きなブランドの雑誌掲載アイテムなども買おうと思えば買える状況にはなっていましたがそうはならず。服を買うのはもっぱら古着屋さんやフリーマーケットでした。いろんなブランドの服に出会うのが楽しくて好きだったのと、ものづくりが好きだったので、ダメージがあるアイテムを自分でリペアやリメイクしてファッションを楽しんでいましたね。

特に、フリマは大好きでしたね。
出品者さんとお話しながら洋服を探すことができることのワクワク感をとても楽しんでいました。ショップの店員さんにおすすめされるよりも、実際に着ていた人に「この服はここがいいんだよ」と言われると、自分の服でもないのに愛着みたいなものが沸いてきてしまうんですよね。

このエッセンスが詰まったイベントが、MODALAVAで開催しているOpen Closet MarketOpen Closet Onlineだと思ってるので、MODALAVAのお仕事はとても楽しくやらせていただいてます。

今思うと、私物で新品の服を買った経験はゼロではないのですが、大学入学式用のスーツとか、会社に着ていくワイシャツだとか、友達のブランドを応援したいから、などなにか理由があることがほとんどですね。

─「古着を買ってリペアしながら長く着る」というスタイルはその頃から変わっていないんですね(笑)

そうですね。昨日もインスタで、リペアのビフォーアフターの様子をストーリーに載せました(笑)

あと、これも原体験といえるかもしれませんが、フリマに何度も通っているうちに気付いたことがあります。
それは、「こんなに次の持ち主を待っている服があるのなら、新しい服を作らなくていいのでは?」ということです。

僕がよく行っていたフリマでは500店舗くらいが出店していたのですが、1回の開催で少なくとも10,000枚は服が集まっていたと思います。(気になって概算したこともあるのでこの数値はそんなに間違っていないと思います。)

それで、「そんなイベントが隔月で行われてるってどういうこと?」って思ったんです。

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■ 繊維専門社を選んだ理由

─10,000枚・・・それは衝撃的ですね。そういったご経験がアパレル業界のお仕事を選んだことにもなにか影響しているんでしょうか?

そうですね。
大学を卒業後、モリリン株式会社という繊維専門商社に入社しました。繊維専門商社というのは簡単に言うと、アパレルブランドと工場の間に入って、ブランドと「どのような服を作るか」などの相談をしたり、工場の進捗管理をする企業です。
そこで、繊維や服の知識、生産管理など、アパレル業界の広範囲のことを学びました。

「新しい服は作る必要はないんじゃないか」と考えつつも、作る現場に行った理由が主に2つあります。

まず、(これは服に限ったことではないのですが)僕は「作る」という活動が好きという点が挙げられます。

そして、当時アパレル業界で挙がっていた問題のいくつかを解決するには専門商社のポジションが適しているのではないかと思ったからです。
特に僕が解決したいと思っていたのが「技術喪失」と「環境汚染」の問題です。

先にその2つの問題の原因からお話すると、ファストファッションの流行によるところが大きかったと考えています。

ファストファッションは値段が安く、オシャレな服が揃っているので利用したことがある方も多いと思います。ただ、服を安く売るということはその分安く作る必要があります。例えば、素材を安いものにして凝った作り方をしないとか、生産者さんの待遇を下げるなどの対策がとられます。
つまり、質よりも量やスピード感が求められるファッションなのです。

そんなファストファッションの流行により、一つ目の問題点「技術喪失」に拍車がかかったと思います。日本のアパレル業界の職人の技術力は世界と比べてもとても高水準だと言えますが、高い技術を用いた服を作るのは人件費や材料費が高く、コストをなるべく下げようとするファストファッションではその技術を多用できません。

すると、工場は仕事を請け負うことができず、倒産してしまいます。その結果、工場はどんどん減り、日本の技術もどんどん衰退していきます。さらに、そんな惨状を目の当たりにして「後を継ぎたい」という人が現れず、技術の継承が途絶えてしまうということが起こります。
そういった、近代合理主義の弊害によるロストテクノロジーはできるだけ減らしたいと思いました。

これを解決するには、日本の職人の優れた技術をアパレルブランドに提案し利用してもらったり、職人の優れた技術をふんだんに活用したプライベートブランドを作るなどして、技術の認知・拡散をすることが必要だと思いました。
きちんと作られた服に触れた若い方が興味を持ってくれれば、後継者を希望する人も出てくるのではないかと思ったのです。そして、この「日本の伝統技術の後継者を増やす」活動を行うには繊維商社が適しているのではないかと考えたのです。

もう一つの問題「環境汚染」は、ファストファッションで多用される安価な素材によって起こされている部分が大きいです。

例えば、服の繊維表記にあるポリエステルなどのプラスチック系化学繊維はコットンなどの天然繊維と比べると自然に還りにくく、多くの場合埋め立て処分となります。その結果、繊維の原料に使われている石油などが土地の汚染を引き起こしてしまいます。
また、日常生活でも家庭で服を洗濯をすると「マイクロファイバー」という非常に小さな繊維が水に溶けだし、海に流れ込んでしまいます。海に住む魚介類などがそれを身体に取り込み、ひいては僕たちも食事を通して繊維を体内に取り込むことに繋がります。

この環境汚染を防ぐために、エコな素材の研究や開発ができることや、アパレルブランドに対してもなるべく無害な素材を使用した製品づくりの提案がきるという点が、繊維専門商社で働くことのメリットだと考えたのです。

「技術喪失」や「環境汚染」の問題が起こった原因は、もちろん他にも色んなものがあるとは思いますが、これらが大きな影響を及ぼしたのは間違いありません。

そして、ラナプラザの事件が起こるまで、このような問題にはあまり世間の関心が向けられず、情報が広まることがほとんどありませんでした。
そういった状況の中で、アパレル業界を取り巻く問題点に配慮したモノづくりをしっかり行い、色々な問題点があるという情報の拡散もきちんとしていく。そして問題解決ができるような背景の詰まった「ストーリー」のある服を増やしていけば自然とみんなが服を大切にしてくれて、結果として服を作る量も減っていくのではないかと考えたのです。

なので、「服を作る必要はないんじゃないか」と思いつつも「服を作る仕事」を選んだわけです。

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■ 当時の業界の空気

─なるほど、一見矛盾しているように見えますが、業界に入り込むことで中から変えていこうとしていたんですね。
でも、その会社は辞めてしまったんですよね・・?

はい、仕事の内容としてはとても楽しかったですし、会社の方々もとてもいい人ばかりでした。

でも、仕事の内容と自分のやりたいことに乖離があることと、専門商社の立場では業界を変えづらい、ということに気付いてしまったんです。
もちろん面接では自分の希望をお話していましたが、必ずしもその通りにはならないのは仕方ないことですね。

それで新卒2年目の2013年の4月にエシカルファッションチーム『CLOSED CLOSET』を立ち上げ、その数か月後にモリリンを退職しました。

ラナプラザが倒壊してしまった直後にチームを立ち上げたので、まだ「エシカルファッション」という言葉は日本では広まっていない頃でしたね。

なので自分のチームを「エシカルファッションチーム」と呼ぶようになったのはごく最近です(笑)

─そうだったんですね。ありますよね仕事内容とやりたいことが違うことって。ラナプラザの倒壊事故も、世界中のアパレル業界で話題になっていたみたいですね。

そうですね。
当時のアパレル業界は「チャイナ+1」といって中国に加えて、東南アジアに生産拠点を構えようという施策を推進していて、あの事件は業界的にも注目するトピックでしたので、敏感に反応はしていた気がします。
ただ、その時の業界の反応として「東南アジアの建築がずさんであるということに対しての批難」という色が濃かったように感じました。
「東南アジアに拠点を移したいけど、いつ壊れるかわからない工場は利用できないよね。問題が起こって納期に間に合わせられなくなったら大変だし」という内心の人が多かったのではないでしょうか。
そういう過酷な環境で人々を働かせていることへの反省はそこまでなかったのではないかと今振り返ると思います。

業界的には、生産者の労働環境がひどいのは周知の事実だったので、感覚が麻痺してしまっていたのかもしれません。
そういったところも当時のアパレル業界に対する違和感を持つきっかけになっていました。

■ 『CLOSED CLOSET』について

─なるほど。当時の業界の雰囲気を聞く機会はなかったので、貴重なお話ですね。
それでは、ご自身で立ち上げたエシカルファッションチームではどんな活動をしていたのでしょうか?

簡単に言うと、廃棄されてしまう服の再販売をしていました。
具体的には、海外の工場に残されてしまった商品を買い取ってブランドネームを外して日本国内で再販するという事業です。もちろんブランド側とは同意の上です。

捨てられてしまう予定の服を買い取って、今で言うファッションインフルエンサーの方々に服のセレクトと、服の魅力やコーディネートに関するコメントをいただいて、その方々に憧れているフォロワーの方々にお届けするという内容でした。チャット機能なんかもつけたりして。
今で言う「D2C」や「インフルエンサーマーケティング」の先駆けのようなことをしていました。
今思うと、このサービスにも高校生時代にフリーマーケットで味わっていたワクワク感が影響していたかもしれませんね。ちなみにインスタグラムはまだありませんでした(笑)

そして、扱っていた商品に関しては、これもまたショッキングなお話になってしまいますが、例えばアパレルブランドと商社が相談して服を3,000枚工場に発注したと仮定します。
だけど、実際に作って販売してみたところ、アパレルブランドが商社にこう言うんです。

「あの服、あんまり売れてないからやっぱり1,000枚でいいや」と。

発注は3,000枚しても、一気にお店の倉庫には入らないから、何回かに分けてブランドさんが引き取るようになっているんです。でも売れ行きが悪いと発注した枚数すべてを引き取ってくれない。

そうなると今度は商社が工場にこう言うんです。

「あの服、もういらないらしいので処分しちゃって」と。

商品は海外で作ることが多いですが、日本に運んでくるとなるとお金がかかってしまいますから、とりあえずは作った商品をそのまま海外工場で保管しておくのです。
そして最終的には工場がその残った服を処分する羽目になります。

「売れるかわかるまで生産しなければいいのでは?」と思われるかもしれませんが、それでは補充が間に合わず、せっかく売れそうなのに出来上がった頃にはシーズンが過ぎてしまっていて、売上の機会損失になってしまいます。なので、売れるかはわからないけれど、生産だけはしてしまうんですね。

さらに、このストーリーで最悪なのは、その引き取らなかった2,000枚を「作らされた工場がコストを負担する」という点です。
作ってもらうだけ作ってもらっておいて、その代金をブランドも商社も支払わないということです。
誤解のないように申し上げますと、これは僕が勤めていた企業がそうだったというお話ではなく、当時のアパレル業界にそういう風習が少なからずあったというお話です。
僕が最後にそういう類の商品を引き取ったのが2018年の2月でしたので、まだ完全にはなくなってはいないと思います。

この事実を知った時は本当にショックでした。いくら何でも不誠実すぎますよね。

─そんなことになってるんですね。。。これは初めて聞いたかもしれません。とてもショックが大きくてちょっと信じがたいくらいです。

本当にそうです。想像以上に闇が深いと思います。

そういった不公平な状況にある工場の手助けという意義が『CLOSED CLOSET』にもあったと思います。

ですが、その手法だと対症療法にしかならない。
悪い部分を完全に癒すにはもっと根底の部分を変えていかなければいけないと気づきました。それでチームとしての『CLOSED CLOSET』は解散し、残った商品は僕が個人で保管しオンラインで小規模販売をしているという状況です。

■ 取材後記

アパレル業界が抱える問題から目をそらさず、改善しよう努力し続けているShoさんの姿には私たちも日々、刺激を受けています。

ではどうしてアパレル業界はそんなに悪い状態になってしまったのでしょうか?

次章では「なぜ現在のアパレル業界の空気が重くなってしまったのか」をShoさん独自の視点からお話いただきたいと思います。

乞うご期待!

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