おろなみん

今ここにいる君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。

おろなみん

今ここにいる君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。

マガジン

  • おきにいり

    個人的に上手く書けたと思う奴達

最近の記事

  • 固定された記事

僕の合う人に会う

「合う人に会う」 僕の好きなオードリー若林さんの著書「ナナメの夕暮れ」で書かれていた言葉である。 この言葉が僕は好きだ。何故なら、世の中は合わない人の方が多いから。 そんな中でも、僕に「合う人」がいるか。 ありがたいことにいる。 僕の「合う人」は反省会を開かなくて良い人。 僕は、基本的に気を使いながら生きている。 自分に自信がもたないから、相手を気にして生きている。 気にしすぎて毎日、一人反省会をしている。 「あの時こう返事(対応)したのは違うかったな。」 「あの発言(対

    • +13

      初めてのRAW現像

      • 27、最初の朝。

        本日、27歳になった。 27歳になることは、自分の中で少し特別なことであった。 27最初の朝。 「何事もなく目が覚めた」瞬間。 僕は会社を休んだ。 それが、今朝の話だ。 4年前、2020年の秋口、僕は1つの曲と出会った。 他人と自分を比較して、自分に絶望する毎日。 そんな毎日を少し変えてくれた、そんな曲。 それが、 「サントラ」 Creepy Nuts×菅田将暉 の曲。 サビの疾走感と歌詞が合わさって、前に少しでも進もう。と感じさせてくれる曲。 この曲の歌詞の中に、こん

        • 早く寝ないと。

          タイトル通り。早く寝ないと、いけない。何故なら、明日は月曜日。仕事が2日の休眠から起きる日である。 早く寝ないといけないのに、ぽちぽちと文章を打っている。 年始からハイペースで書き続けてきて、途中で大学時代の友達にアカウント見つかって、急遽変えたりしたり、色々あったが書き続けてきて、ネタも少なくなってきた。しかし、先週も長野旅行を言い訳にサボってしまったので、何か書かないと、このまま打ち切りになってしまうと思い、自分を奮い立たせて、無計画に書き出している。 今、何文字だろう

        • 固定された記事

        僕の合う人に会う

        マガジン

        • おきにいり
          6本

        記事

          「明石さん」と思い出話

          森見登美彦先生の新刊「シャーロック・ホームズの凱旋」をこの3連休で読破した。森見登美彦先生の作品では、「四畳半神話大系」が一番好きであり、原作もアニメも繰り返し読んで、見て、聖地巡礼まで行うぐらい好きである。初めて、下鴨神社に行った際、猫ラーメンを探したこと。下鴨納涼祭の開催案内だけ見て帰ったこと。カステラを買って、東京の下宿先に戻り一人で貪り食べたこと。全てが良い思い出である。 僕が四畳半神話大系に出会ったのは、大学3年生の時である。ちょうど、「私」と同じ学年の時期であっ

          「明石さん」と思い出話

          はたらく意味

          子供の頃から、答えの出ない問題について考えるのが好きだった。当時はよく”学校い行く意味”、”生きる意味”について考えていた。考えて、考えて、それっぽい答えを出して、寝て。起きて、やっぱり違うな。と思ってひたすらまた考える。その繰り返しだった。そして当時たどりついた答えが ”学校に行く意味” 「良い企業に入るため」 ”生きる意味” 「命を繋ぐため(子孫を残す)」 子供が考えた割には、現実的で壮大であると思う。 そして、今はどうか。 今、僕は ”働く意味” について、ひた

          はたらく意味

          ポジティブ彼氏と普通の彼女

          楽しい飲み会だった。ちょうど今、飲み会から帰ってきてアルコールで回らない頭で書いている。 今日の飲み会は楽しかった。会社の同期、別の課の先輩二人の四人での会だった。もう少し詳しく話すと、カップル一組(A:同期男、B:先輩女)、既婚男性(C)、独身彼女募集中の僕という内訳。4人掛けテーブル席につき、僕、Cさんが横並び、目の前にカップル(AとB)。少し、気まずい。幸せな人間は歓迎するが、目の前で見せつけられるのは、また別では。。。と思いながらも飲み会は始まった。 最初の方こそ

          ポジティブ彼氏と普通の彼女

          27歳と9歳の僕

          2024年2月に突入した。気づけば、1月は過ぎ去り、27歳の足音がはっきり聞こえる時期まできた。僕が小学生の時に思い描いていた人生設計では、”27歳”はターニングポイントであった。当時の僕は、”27歳の僕”に憧れていた。 27歳の僕は大人になっているだろう。 大学卒業して5年経ち、仕事も出来るようになっているだろう。 部下も抱えているだろう。 大学時代から付き合っている彼女と結婚するだろう。 何なら、子供もいるかもしれない。 きっと毎日が幸せだろう。 楽しいんだろう。 でも、

          27歳と9歳の僕

          すたーばっくす

          スタバでMac開いている”あっち側の”人間が嫌いだった。 しかし、最近これらの嫌いだったことが嫌いではなくなってきている。これ以外でも、世の中に対して勝手に憤って、メラメラ燃えていた炎が消えかけている。完全に消えてしまう前に、残しておきたい。社会に揉まれて平均化してしまう前に、尖っていた証を幾つかに分けてここに刻んでおきたい。 「スタバでMac」 僕は、カフェでPCを開いている”あっち側の”人間が嫌いだった。特に、スタバでMacを開いている人は凄く嫌いであった。カフェで

          すたーばっくす

          足りない自己肯定感

          オードリー若林さんと南海キャンディーズ山里亮太さんのユニット「たりないふたり」のライブを最近よく見ている。数多のライブの中でも「明日のたりないふたり」が一番好きである。このライブは「たりなさ」との付き合い方に一つの答えを出してくれたようで、何度見ても勇気が貰える。 僕の「たりなさ」とは何だろう。と考えてみた時、圧倒的にたりないものがあった。それは、自己肯定感。僕は、とにかく自己肯定感がたりてない。自己肯定感が異様に低いのである。この「たりなさ」と今回は向き合ってみたいと思う

          足りない自己肯定感

          ありがとう。

          25の時、人生で初めてできた彼女と別れた。初めて受ける失恋の痛みは凄まじく、誇張抜きで人生で一番泣いた。僕って、こんな涙出せるぐらい情緒が豊かなんだと、思った記憶が未だも残っている。25にもなると、悔し泣きは経験あるが、おいおい声を挙げて泣く経験は全くなかったからである。帰りの電車の中で人目を憚らず泣いたのも、今や良い思い出である。寝て起きて、次の日になっても喪失感が凄まじく、有休を取り、信頼できる人達に別れた旨と失恋の喪失感の埋めかたを相談したりもした。しかし、喪失感、時間

          ありがとう。

          実家

          僕は年に一度実家に帰省する。年に1回しか帰らないので、実家に帰るたび、様相は変化している。今年の帰省では、新しい家族が増えていた。人間の新しい家族ではない。 犬。 ペット。 飼い犬。 いろんな呼称が存在する。「犬」が新しく家族として迎え入れられてた。これは、僕にとって由々しき事態である。 何故なら、僕は「犬」が苦手だからである。 幼少期、家族で高知県に旅行に行った。あるショッピングモールに立ち寄った際、そこで土佐犬の子供バージョンと触れ合おうイベントが柵で囲まれたリングのよう

          2023年とは

          2023年の年末である。現在26歳の私であるが、年を重ねるたびに年越しの感覚が薄れている。年越しは、ただ月が跨ぐだけ。そんなドライな夢も希望もない感情しか抱けない。 ここで、1つでも年末の淡い思い出など語れれば良いのだが、生憎そんな思いではない。僕の年末は異性と過ごすわけでもなく、友達と初詣に行くわけでもなく、実家のこたつに横たわり、みかんを食べながら父親とリモコンを奪い合い「ガキ使」か「紅白」を数分おきに見て、過ごすだけ。これが、私の年末の思い出である。 2023年。私に

          美容院が得意じゃない。

          美容院が得意じゃない。 苦手ではない。得意ではないのである。 本題の「得意でじゃない」理由の説明に入る前に、僕の髪切り遍歴について語らせてください。 僕は高校まで関西の田舎に住んでいました。  小中学時代は、おじいちゃんが通っていた床屋で切ってもらっていました。 髪型はおきまりの「スポーツ刈」一択でした。 高校生になって、関西一の大都市「大阪」の高校に通うことになりました。 高校生になったし、美容院に通うかと思っていました。 しかし、通っていた高校が仏教系の男子校(

          美容院が得意じゃない。

          うさんくさい

          知り合いとご飯を食べていたら、パパ活らしき男女を見かけた。 男はおそらく50代 女はおそらく30代 男はどうやらテレビマンらしい。 取材した芸能人について自慢話をしている。 話を聞いて、地声よりワントーンほど高い声で相槌をうつ女。  全てが嘘臭く、ダサく見えた。 女の全てが嘘くさい。 男の全てがダサく感じる。 なぜ、嘘臭く感じるのだろうか。 きっと、話してる声が地声よりワントーン高く聞こえる気がするからだろう。 偏見で申し訳ない。 なぜ、ダサく感じるのだろうか? これは、

          うさんくさい

          押せないボタン

          Instagramが苦手である。Instagramをインスタと書くのが恥ずかしい。とにかく、Instagramが得意ではない。  Instagramはスマホに入っている。アカウントは持っている。ただ、投稿するのは難しい。目の前に反り立つ壁を超えた崖があるかと思うぐらい難しい。 なぜなら、Instagramがキラキラしてる人間のモノだと思っているからである。Twitterみたいに気軽に投稿しても良いものではないと感じているから。Instagramに投稿する内容は、キラキラし

          押せないボタン