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”どん底”だった時の話

27年間生きて、生きている。そんな人にとって、短い、長いと思える人生の中で一番どん底だった時の話を残しておきたい。

2年前、2022年、社会人1年目は紛れもなく、どん底であった。それまで、無謀にも天狗になっていた、鼻っ柱をへし折られ、根こそぎ持っていかれた。

天狗になった原因は、人生が順調に見えていたからに違いないし、そうであった。研究で成果を出し、一生追いつけないと思っていた同期と同じ国際学会に出ることが決まった。査読付き論文も掲載された。初めての彼女もできた。そして。就職も上手く行った。みんなが知ってるであろう企業に入れた。人生が上手くいきすぎていた。元来、自己肯定感がとても低い、鬼低い僕であるが、この時ばかりは、思い返しても驚くほど高かった。多分、もう一生あの時の境地まで上がることはないだろうと思うほど。この時期、2021年に接してくれていた人には、うざいと思われていただろう。それぐらい、人生の絶頂だったのだ。

それが、1年経ち、2022年、社会に入学した1年目の僕を待ち受けていたのは、圧倒的な能力差であった。同期は皆、夢と実力を持ち、誰がどこから見ても優秀な人ばかり。入社後の研修で、嫌というほどその差を味わった。名前を知った同期を片っ端からググった。少しでも勝っている所を見つけて、肥大化した自己肯定感が弾けるのを防ぎたくて。そんな姑息な事をしても。無駄であった。僕と同じ実績を残した人間なんて、同期なんてゴロゴロいた。持っていた、持ち物が1年前までは光輝いていたのに、すごくガラクタに見えた。気づけば、同期と関わることを避けるようになっていた。

配属された課でも、思うように動くことができなかった。そもそも、大学時代の研究してた分野と全く違う分野に進んだので、全てが初耳の出来事であった。これが、インターンに参加していたなら話は違っただろうと、インターン生を担当した今なら分かるが、当時はインターン組でも無かったので、本当に初のことばかりであった。

「分からないことが分からない。」

これが一番の問題であった。チューターとして付いてくれた先輩上司が忙しい中、時間をとってくれて、会議を設定してくれても、何が分からないか、分からない。迷子状態だったので、何も聞けず貴重な時間を浪費する毎日、自分の能力の低さに嫌になり、さらに落ち込む。この負の永久機関のおかげで、僕の心は少しずつ壊れていった。
更に、追い打ちをかけるように世界の状況も僕の敵であった。当時は、コロナ全盛期、大テレワーク時代であったのである。一人で誰とも雑談せず過ごす毎日も心に十分影響を与えた。そして、彼女と別れた。

1年前に膨れに膨れ上がっていた自己肯定感が爆発するのは、時間の問題であった。当時の僕は、全てを失ったと思い込んでいたから。

そして、大切な新人発表の1ヶ月前に、爆発した。

出社しないとできない業務をしてたので、ほぼ誰もいないオフィスで作業していると、涙が溢れてきて、呼吸ができなくなる。まるで、誰かに首を絞められているような感触であった。その状態で2週間ほど過ごしていたが、ある日耐えきれなくなり精神科に向かった。簡単な検査(絵を見て選択する等)を行い、抗不安薬的な薬をもらった。

これが、僕の人生最大のどん底だった時の話である。この後は、少しずつ好転していくだけなので書かない。
今は、この時と比べて、驚くぐらい同期と仲が良い。(コストコに同期カップルと一緒に行くぐらい仲が良い。これが仲が良いエピソードなのかは怪しいが。。。)
仕事もこの時期と比べると、前向きにこなせている。てか、仕事に関しては、僕の聞き方が悪かったり、自責の部分しかないので、とやかく言うつもりはない。聞きたいことを整理して聞けていなかったし、背景を踏まえて説明する力も不足していた。今も出来ているかというと、怪しいが、この時期よりは出来ているはずである。
好転している事実もたくさんあるが、失った物もある。
それは、”自己肯定感”である。
元来、高い方では無かった。しかし、低すぎることも無かった。
それが、今では、何もポジティブに受け入れられない。
人は成功体験積むと、自己肯定感が上がるらしい。
では、その逆、失敗体験を積むとどうなるのか。
そも答えは、誰のどんな言葉も、ネガティブに受け入れてしまう自己肯定感どん底面倒くさ人間である。
もちろん、この自己肯定感ウルトラ爆下がり人間が発動するのは、仕事中か仕事の話題の時だけなので、そこは信じてもらいたい。
意外と、プライベートは、少し自己肯定感低めの、自信無さげだな、程度である。

長々と書いたが、何を伝えたいのかというと、
「ここまで、読んでくれてありがとうございます」
という事である。

ありがとう。

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