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すっかり自分に溶け込んでいた大きな変化たち

深夜3時。こんな時間に起きていることは滅多にない。その上、今左手にピーチティーを持ち、右手で携帯を持ちながらこの記事を打っている。

いつもならやらないことを3つもやっている。

と、いうことはだよ?

いつも夜更かしはせず、夜に甘い飲み物を飲むこともせず、深夜に携帯を触ることもないのだ。

朝は曜日問わずたいてい6時前後には起きるし、私は睡眠不足になると一気にメンタルと体調が不安定になり、日中のパフォーマンスが落ちることを自分で知っているからこそ、睡眠時間は確保している。夜更かしは滅多にしないのだ。

ちなみに、夜に甘いものを飲み食いした時の顔と足のむくみ具合は、翌朝に鏡を見るとドン引きするレベルで顕著に現れる。深夜に携帯を触ると脳が覚醒しちゃってしばらく眠れなくなることもすでに体験済みだ。

こうして、どういう理由でその行動になっているのか説明することは出来るけれど、説明する機会なんてほぼないし、わざわざ理由を考えることすら無いことにも今気付いた。


いつもならやらないこと、今までやったことないことは意識しやすいのに、いつもやっていることや今までやってきたことには意識が向きにくい。

他にも、新しい情報には反応するのに、自分の中の当たり前にはなかなか反応しないケースが多い。


そして、「今までやったことないこと」だったはずなのに、「新しい情報」だったはずなのに、「やれる」「知ってる」に変化してしまえばもう自分の中に溶け込んで忘れてしまっていることもたくさんある。

深夜のピーチティーを飲みながら、そんなことをふと思った。

(甘い…。でも、美味しい…。)


と、美味しさを味わいながら、またひとつ、思い出したことがある。

夜に甘いものを飲んだ日には、罪悪感を抱いてしまう思考回路だったということだ。


「私はデブだ。」という呪いを、ずっと自分にかけていた。

ちなみに、「デブは女として見れない」「デブは怠け者」「デブになるやつは努力ができない」という価値観がくっついた上での『デブ』という言葉だ。

そういえば、最近自分のことを『デブ』と思うことはほとんどない。

以前は、毎日、鏡を見る度に何度も思っていたのに。

「デブな私がノースリーブを着るなんて」
「デブな私が寝転んでたら見苦しいかな…」

そんなことを本気で思って生きていたのに。

そういえば昨日は、ノースリーブを着ていたし、その格好のまま、平気でソファに寝転んでいた。


今だって、自分のことを「スタイルがいい」とは思っていない。
自分の身体に満足もしていなければ、自信があるわけでもない。

それでも、自分に向けて『デブ』というレッテルは貼らなくなっていた。『デブ』という言葉は使わないで欲しいことも周囲に伝えた。


そうか。

日常生活の中で『デブ』という単語をほとんど聞かなくなったのも大きいな。

久しぶりに、こんなにこの単語に触れたよ。


それだけ以前は日常会話の中に頻繁に出てきた言葉なのだろう。

そして私は、周囲の人達の言葉を素直に受け取りやすいのだろう。


周囲の言葉や価値観に影響されず、自分の価値観と合わないのであれば聞き流せる人もいる。

そういう人に憧れる側面もあるけれど、今の私にはなかなか難しい。

それならば、自分にとって苦しくなる言葉を使う人達とは過ごす時間を減らし、自分にとって安心出来る言葉を使う人達と過ごす時間を増やす方が心地よくいられるんだろうな。


あんなに気にしていたのに。

本当に、忘れてしまうものだなぁ。


そういえば、もうひとつ思い出した。

昨日コラボライブをしている時に

「私、2年前は事象しか書けなかったんです。心象は書けなくて。起きた出来事は詳しく書けても、そこに私の感想や考えは全然書けなかった。」

と話していたことに、実は自分自身がいちばん衝撃を受けていた。


(そうじゃん…!!!そうだったじゃん!!!!今でこそ、感情が好きとか、感情豊か、とか自分の特徴のように言ってるけど!!)


たった2年前の話だ。

当時は、身内への不満を全然言えなかったのだ。話を聞いてくれるカウンセラーさんの前ですら、私は家族や身近な人達への本音を話すことは出来なかった。

不満が言えないから、感情も結びつかない。人の感情ならいくらでも書けるのに、それを見聞きした私自身の想いは全然書き出せない。


今でこそ、こんなに感情的な文章を書き、想いを綴り、自分の本音もさらけだしているというのに。


あんなに苦手なことだったのに。

本当に、忘れてしまうものだなぁ。


そう考えていくと、

あんなに悩んでいたのに、無理だと思っていたのに、今はもうすっかり忘れてしまっていることがたくさんある。

・思い切りふざけること
・こどもみたいにはしゃぐこと
・無邪気さを出すこと
・無防備になってみること
・人に甘えてみること
・過去のトラウマの話をすること
・男性ウケが良さそうなあざとさを出すこと
・自分の弱音を吐くこと
・自撮りを人に見せること
・ステージに立つこと
・ジーンズを履くこと
・肩を出す服を着ること
・自分の用事のために土日にこどもたちを預けること
・自分の体調不良のためにこどもの習い事を休ませること
・大きな理由がなくとも、気が乗らない時に「やだ」と言ったり「やらない」と断ること
・罪悪感から選択しないこと
・体調不良じゃなくてもお昼寝をすること
・夜にZOOMをすること

などなど、書き出していくとキリが無いほどに、たくさん出てくる。


人に話そうとするだけで恥ずかしくなったり、想像するだけで怖くなったり罪悪感を感じてたのに。


音声配信でモノマネ企画に乗っかったり、シチュエーションボイスに挑戦したり、自分の想いをたくさん話してきたことでどんどんと自分の中で抑えていたものを解放することが出来た。

さらに、安心出来るコミュニティに入ることが出来、そこで自分の扉を開けてもらった感覚もある。そこで繋がった人達との出逢いや交流は、「私らしさってなんだろう」を思い出させてくれるものだった。

尊敬する大好きなメンターさんが出来たり、その方が関西から関東へ来てくれた時にもお会いすることが出来たり、そういえばいろんなことがあったんだよなぁ。

日常生活もずいぶん変わった。2年前と今とではまるで違うことがたくさんあるのだ。

他にも……。


それらの出来事や思い出すべてが、今の私を創ってくれている。

ずっと抱えてきた悩みも苦しみも恥ずかしさも、とっぱらってくれたのに。


本当に、忘れてしまうものだなぁ。



忘れてしまうくらいに、自分の中で「普通」になり、浸透しているのは喜ばしいことだ。

ただ、時折こうして思い出して、今の自分が創られるまでの過程を振り返るのも大切だ、と私は思っている。

今の自分を創る過程に関わってくれたすべての人達に、改めて感謝の気持ちもわいてくる。

(さっきあげた項目も、自分の中でじっくりとひとつひとつ振り返ってみようと思う)


人は変化していないようで意外と変化しているし、変化していないということはその人の大切にしたい価値観、もしくは抱えている課題が隠れていることが多い。


こんなことを思いながら、深夜に飲むピーチティーを最後まで美味しく飲み干して、再び眠りについた。


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