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素直に、無邪気に、軽やかに!

先日、こんな記事を書いた。

2024年の未来予想図として、

・魂を磨き、思考を整え、実践を積み、資金を貯めていく

・ワクワクを尊重する。そのために、不安と向き合って消していく

そんな1年になっていくのだろうと予測していた。

予測と言うよりは、「こんな1年にしていきます!」という宣言とも言える。


書き終えてから数時間経って読み返してみると、書いてる時間の内省も出来て面白い。

どんな活動をしていくのか、どんな自分になりたいのか、noteを通して鮮明にしていった感覚なのだ。

始めからこんなにまとまった考えを持って、書き始めた訳では無かった。

書いていくうちに、自分のやりたいことと、やりたい理由を、自分で把握していった。

noteを通して、自己対話しながら書き進めていったのだ。


そして、その様子が記録として残っているからこそ、自己対話の足取りまで確認することが出来る。

そう考えると、私にとってnoteというのは、自己対話の旅行記のようにも思える。………思える???

いや、もう少し「それ!!!」というドンピシャな例えに出逢うまでは、『私にとってnoteとは』の答えは保留にしておこう。

もうちょっと何かしっくりくるフレーズがあるはずだから。


そんなことを思いながら先程の記事を読み返していると、ふと書きたくなるテーマがもうひとつ浮かんできた。

それは、『私の在り方』について。

・魂を磨き、思考を整え、実践を積み、資金を貯めていく
・ワクワクを尊重する。そのために、不安と向き合って消していく

『私』の未来予想図2024年版より

これらは「私は何をしていくのか」についての話だ。

それとは別で、「私はどう在りたいのか」についても書きたいと思った。

2024年、私はどう在りたいのか。

ここでパッと浮かんだのは

【素直に、無邪気に、軽やかに!】

というフレーズだった。

パッと思いつきで浮かんだわりには「いいじゃん!!!」と思えるフレーズだ。

ホップ!ステップ!ジャンプ!!みたいなテンポの良さと明るさと軽快さを感じるし、

まさに、私が在りたい姿そのものだったからだ。


素直さも、無邪気さも、軽やかさも、今までの私にとっては『憧れ』だった。

自分は素直ではないし、無邪気ではいられないし、軽やかにも過ごせていないと思っていた。

ここでいう、素直さ、無邪気さ、軽やかさについて、もう少し詳しく書いてみる。


1つ目の『素直さ』は、辞書にも書いてある通り「ありのままで飾り気のないさま」だと思っている。

人の顔色や機嫌を伺ってから言葉を選ぶのが癖づいていた私にとって、自分の思ったことを素直に話すことはなかなかに勇気の必要なことだったし、

本当は「ちょっと嫌だなぁ…」と感じても、その場の空気を悪くしたくなくてニコニコ笑っていることも多かったから、『ありのまま』ではないことも多かった。

このような思考と行動の癖を変えていくことは、結構根気のいることでもある。

それでも、そのような癖があったことを自覚し、意識していくだけでも、今までの私とは大きな変化が起きた。

2024年は、さらに素直に、ありのままに過ごしていきたい。


2つ目の『無邪気さ』は、素直さに、可愛さも加わるようなイメージだ。

我が家の子どもたちを見ていると、自分の感情を素直に表現することが多い。

嬉しい時はとびきりの笑顔で喜び、悲しい時は抱きしめたくなるほどの切ない顔をして落ち込むこともある。

感情も表現力もとても豊かで愛おしいのだ。

私も、自分が深く関わりたいと感じている人達に対しては無邪気で在りたいと思うし、

無邪気な私を愛おしいと思ってくれる人達と繋がっていきたい。

(知らない人、関わりの薄い人達には、ずっと無邪気じゃなくてもいいのかなって思ったりもしている。)


最後、3つ目の『軽やかさ』は、エネルギーや波動の話になってくる。

重いエネルギー、低い波動で放つ言葉や、滲み出てくる表情よりも、

軽く、高くいられる時の言葉や表情を表現していきたいのだ。

これはポジティブかネガティブかの問題では無い。在り方や意識の問題と捉えている。

とは言っても、ここの領域や自分の感覚について、まだうまく言語化出来ないし、説明もできない。

ふんわり、ざっくりな表現になってしまうけど、今の話を踏まえた上での『軽やかさ』を持っていたい。


きっとここの部分は、またどんどんと変わっていくんだろうな。

いろいろ模索しながら、体験しながら、楽しんでアップデートしていきたい。

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