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心を壊してから1回忌。〜ありがとう、私のアナザースカイ・バンコク〜

こんにちは、Moanaです🌺

今日はついに過去を手放す時がきたはなし。

過去はさっさと忘れて次に進むべきなんだけど、
まあそんな簡単にできてたら悩む必要もないのです。

今日は漆黒の1年を思い切り正直に残すことにした。

次へ進む自分のためにも、そして今絶望にいる人にも。
私がnoteにいるいろいろな人たちに救われた年だったから。

過去を手放して、解放するの。


🇹🇭

私の心が壊れてから1回忌

タイから帰ってきて1年がたった。
長くて、短い1年だった。
私がタイの仕事を辞めさせられたあの夜、
りゅうちぇるが亡くなった。

彼の命日ニュースを見た時、
私の心が壊れてから1回忌だと気づいて、
そろそろ私もmove onしないと
人生崩れると危機感を感じた。

1年も同じことを悩み続けて過去に縛られた時間。
早く切り替えてどんどん進化できていれば
この同じ1年でも心も体も健康でいられたのではないかと思った。
全くもってその通り。

過去はバシバシ忘れていくことが大切!!!!

そして逞しく生きるぺこりんの強さも感じた。


実は帰国してから1年、
帰国を決めた自分を一度も許すことができなかった。

それにとにかく苦しんだ。まじで苦しかった。
帰ってこなければよかったと泣いたこともあった。
許してしまえば簡単だったけど
そんな簡単にはできない。

うまくいかなすぎてパニックになって
暴れて家具をぶっ壊したこともあった(ドン引く)
壊れていく自分への恐怖で動けなくなったこともあった。
でもタイに居続けても健康で居られなかったと思う。
地元に帰ってきたことがトリガーとなってしまうことが重なり、生き地獄の牢屋に入れられた気分だった。
(そう感じるには色々なことがあったのだけど割愛)

現状に満足できていないと過去に縋りたくなるのである。

反抗期以来の感情の制御ができない自分に
精神がボロボロだった。
もう死んだ方がいいのではないかと思った時には
ついに親を泣かせてしまった。
私軸で”自分はかわいそう”と思っていた自分に反省した。
親になったことがないからわからないけど、
自分の子供が苦しんでいる姿を見続けるのは辛いと思う。
マジで反省している。
生かされたいのちを大切にしたい。

だからこそ今後は笑って生きていくと決めた。

でもメンタル崩壊を機に失うものがなくなり、
素直に気持ちを伝えられるようになった。
めちゃくちゃひねくれていた自分と向き合えた。
これからはもっと両親といい関係を築くことができると信じている。

父が気分転換に白馬に連れて行ってくれた


自分なんか消えれば迷惑をかけないと思っていたのに、
笑顔で生きれば親孝行なんだと立ちあがろうと。

その後腎臓が突然原因不明で悪くなったのだけど
皮肉なことに死にたくなくて恐ろしい気持ちになり
What a fucking chiken野郎!と自分を情けなく思った。
死にたいだなんて決して軽い気持ちでは言わないと誓った。
(深刻だったから仕方ないと受け入れているけど)

これを経験したからこそ、
絶対に健康になるし、治る未来も見えている。
これ以上苦しい日々はもう来ない。
これからは、もっとしなやかに生きていくんだ。

たらればに侵食される毎日

人生で初めて”たられば”に支配された。
自分は幼い頃から、
一度きりの人生だからという気持ちがすごく強い。

小さい時に役所に行って「せっかくの人生なのにこの建物で座ってパソコンを打ちながら人生を終えるなんて嫌だな」と思ったことが今でも頭にこびりついている。(役所の皆さんは素晴らしいです私にはできないから)

だからタイにもひょいっと行けたのかもしれないし、
後悔しないように生きてきた自負があった。
でも年齢的に仕事も環境にも安定しなければならない、
もう失敗できない、迷惑かけれないという凝り固まったマインドにコントロールができなくなり、ここからもう出れないんだというバイアスに支配された。

転職回数が多いのも自分にとって気掛かりだった。

これは自分が勝手に思い込んだだけで
別に自由に生きたっていいのだ。

そして人と比較して、前進できていない、
素直に生きたいように生きれていない自分に焦りを感じ
地方で鬱々とした気持ちで生きていた。
自分の物事の捉え方が異常だと感じるようになり、
認知行動療法に通うことにした。
この点に関しては、自分ブラボー👏と思っている。

そんな時に、このnoteにも助けられた。
noteには本当にいろんな人がいる。
60億人みんな違ってみんないい。
いろんな意見や生き方があって当たり前なんだと気付かされた。

世界中どこにいようが、私は私でいようと感じた。

インナーチャイルドに気づく

私は田舎の超保守的な日本家庭で生まれ育った。
親や親の友達も田舎の限られたコミュニティの中で
必死に私たちを育ててくれたのを目の当たりにして育った。
子供を子供らしく自然の中で育ててくれた両親には大感謝している。

公務員になるのが安定コース、女は家庭に入るのが当たり前みたいな世界線で子供ながらに大人になるのが嫌だったし怖かった。
帰国してここにいるとそれをダイレクトに感じて縮こまってしまう。

だから幼い頃から日本が嫌いで(今は好き)こんな国で女として生きていくのは終わっていると思っていたし、親から敷かれたレールにも乗らなかった。
男がメインな世界だとわかっているから。

だから大学や海外に行かせてくれた母には
ものすごく感謝していたから気づかなかったけど、
今回タイから帰ってきて自分はこの地域で必死に暮らす人たちみたいにはなりたくないという感情の下に眠っていたものに気づいた。

ここの人たちや環境が悪いのではなく、
私が外に出て視野を広げてしまったことが原因でもある。
素直に申し訳なかった。
頑張ってきた親を否定するような気持ちになった。
自分が彼らと同じ運命を辿ることになるというバイアスに苦しめられ、体が悶えるほどに震えた。
親が楽しそうにしてる時を子供ながらに見たことがなかった。
地元にいるとそれを思い出してしまう。
こんなに大きいトラウマを抱えていることすら気づかなかったので地元にいるという決断をしてしまってものすごく後悔した。
生きるってなんて難しいのだろう。
でも溢れ出てきたこの感情に向き合いたい。
両親には感謝の気持ちでいっぱいだけど私は私の生き方があるんだ!とまたさらに強く思った。
まさにトリガーが地元になってしまった。
地元を好きになれないのは辛い。
去年の生活と比較して、本当に墓場だと思った。

地元はたまに帰ってくるからこそ良さに気づける。

SNS Anxietyになる

そしてインスタを見るのも辛くなった。
自分が後悔しないように生きている時はこんな気持ちはなかった。
大学の学部的にも海外移住や現地採用の確率が高く、
私は帰ってきてしまったから友人と比べてさらに表現し難い気持ちに苛まれていた。
エベレスト並みに積み上がったプライドが一気に崩れ落ちた。

他人の楽しそうな生活を見ると自分が情けなくなる。
海外の暮らしができなかった自分をさらに責める。
地方に帰ってきてしまって波に乗り遅れたと感じる。

あまりにもネガティブなので周りも離れていく。
タイにいた頃は独身やノマドの人も多くて楽しかったから気づかなかったけど帰国して、ライフステージの変化をドスンと感じている。

周りが結婚して子供を産んで家庭を優先し始め、私は病気で寝たきりで辛い時にかつていた友達すらいない。

地方って寂しいからもう二度と住みたくないなともこれもまた学び。

私は一人では生きれない、うさぎのような人間なんだと感じた。

タイにいるときは生活超大変なのに楽しそうで羨ましいと言われるたびに、「こいつら海外生活の大変さなんも分かってねーな!」と思っていたから
今はSNSを開くたびにTiny part of their lifeと言い聞かせている。

帰国後の反省と学び

アユタヤ遺跡

明らかにタイでの環境は自分にとって劣悪だったけど
自分で決めてきたからまだ帰りたくない自分がいた。
周りの優しい友達たちが早く帰らないと取り返しのつかないことになると背中を押してくれたし、仕事をやめた方がいいと言われた時にはなんだか安心した自分もいた。

そして日本に帰ればまた出国前と同じように友達がいて、楽しく暮らせるんだと他人や環境に期待をしてしまった。

ここがダメだった。
人や環境に期待するのは一番いけない。

過去楽しく暮らしていたからといって、
今その場に戻ってもその時と同じことなどない。
だからこそ
今の一瞬一瞬を感謝して今を生き抜かなければならないのだ。

自分で帰ると決め、自分で辞めると決め、自分で過去に縋らずにまた新しい環境で自分のすきなことに集中する!ときめる。

自分の人生の主役は自分なのである!!!

今地元で過ごせているこの瞬間も感謝しようと思ってる。
今後の人生でそんな時間はなかなか過ごせないだろうし。

メンタルケアについて本気で学ぶ

メンタルダウンして世界中の友達に話を聞いてもらった。
そして多くの友人たちも同じく気持ちのアップダウンはあることを知った。
圧倒的に私と違ったのはみんなうまくコントロールしていることだった。
恥ずかしいことに今までメンタルケアなんてしたことがなかった。
つらいことは耐えて乗り越えるのが当たり前、
泣いても体調崩してもできてしまうのがいけなかった。


考えすぎそうな時は掃除して気を紛らわせているよとか、
メンタルのためにジムに行っているよとか、
自分で必ず決断するようにしているよ、とか、
本当に私は27になって初めて学んだ。

辛いことを選択して、血反吐を吐きならがも耐え抜くを繰り返していたので心がもう限界突破した。
Take care of yourselfとよく外国人の友達が言ってくるのが
よくわかっていなかったけど、今ようやくわかるようになった。

私のSong of the year🎤

今年はマイリーサイラスのFlowersを聞いていた。
まさしく私のSong of the yearだ。

タイで遠距離をしている時もいつも聞いていた。
別に別れたわけじゃないのに。
この歌は別れたマイリーがリアムのことを書いた歌なのに。。。
答えは出ていた、だろう。

この歌はかつてのディズニーアイドル:ハンナモンタナ時代から芸歴20年のマイリーが初めてグラミーを受賞した歌でもあって幼い頃からファンだった私も嬉しかった。
グラミーの舞台でマイリーが話したスピーチが今年の私の状況にぴったりだったので抜粋して載せたい。

ある小さな男の子が綺麗なバタフライ(蝶)を親からプレゼントされたの。彼は嬉しくて嬉しくて蝶と遊んでいたのに、蝶はしばらくして飛んでいってしまった。彼は悲しかったけど、それは自然なことであり仕方ないと受け入れることにした。その瞬間、蝶が彼の鼻に飛び戻ってきて彼は喜んだ。
この歌は、私にとってのバタフライです。

マイリーサイラス@グラミー

受け入れた時に、全てが好転していく。
マイリーもマリブに立てた家が自然火災で全焼してしまって、
18から付き合っていたリアムとは離婚し、浮気もされ、
子役からのイメージが拭いきれず歌がなかなかヒットしない
そんな全てを受け入れて初めてグラミーまで辿り着いた。
感慨深い。やっぱり私のsong of the yearである。

過去に決着をつけること

GWの沖縄旅行でも感じたけど、時は進んでいるので過去に戻ったって自分が思い描いていたことがそこに存在しているとは限らない。

美しい過去は、美しい過去で終わらせることが潔いのだ。
そして美しい未来をまた想像していけばいい。

これは私にとっての今後の課題。
切り替えの遅さ世界一を受賞できるレベルだから。

帰国して友達もバンコクもそこに存在しているのに私は日本に来てしまったことや、どんどん過去になっていくことが耐えられなかった。
自分は本当に海外で一人で暮らしていたのか?思い出せないことさえある。

でもそこに戻ったって、
かつて自分が暮らしていたバンコクはもうない。

人生はこうやって流れて進んでいくもので、
それを受け入れて進んでいくんだと学んだ1年だった。

トラウマからの鬱に悩まされ、理想と現実のギャップにやられ、環境も国も何もかもが一気に変わってしまい自分の心が全く追いつかなくなったのに焦って復帰して何もかもがぐっちゃぐちゃになり、1から再スタートを切ろうとしたところで現在腎臓が悪くなってしまい急ストップ。

本当に休め!
と言われているんだと思って療養に励むことにした。

もう二度と命をぞんざいに扱わないと決めた。
生きていることは奇跡であること、生きている間は何度でもやり直せると心から思っている。

沖縄旅行で見つけた言葉に感化された


自分のこと、人生のこと、健康のこと、たくさん学んだ1年だった。

まだ問題は山積みだけど、
この1年は今後の自分にとって絶対に必要な時間だった。

大人になってからの1年はとても大きいけれど、
今年は1年ほぼ寝たきりで会いたい人にも会えない、
やりたいこともできない
急ブレーキな年で悔しくて焦りでいっぱいで、
変わりたい変えたいのに、
ここから出たいのに出れない。
そんな年だった。

強烈だよ、、全く。

20代の大切な楽しい時間をこんな苦しみで終わってしまったけど、これをさっさと経験できたことでこれからはより一層しなやかに対応していける自分も手に入れることができた。

本当に苦しくて今も苦しいけど、
さらに強く逞しく飛び立つ輝く自分が見えている。

今抱えている問題も必ずいい方向に向かうと信じている。

友達、キャリア、貯金、健康、本当にたくさんのことが一気になくなった年だったけど、その分いいことが入ってくるようにスペースができたのかなと思う。

長い人生の中でそんな年があってもいいんじゃないか、
やっとそう思えるようになりました。

ここまでくるのに1年かかった。
時間が勿体なかったな。

これからはバシバシ過去は忘れて
ドシドシいい未来を更新していこうと思う。

過去や人は変えられないけど、将来と自分の思考は変えることができる。
人生は変わりゆくもので、それを受け入れて進むものだから大丈夫。
家族と健康が何よりも大切。

2024年の学び

強烈な痛みと共に素晴らしい学びを得た日々に感謝🥲

これにて、私はタイで暮らしていたことに対する執着とそれに関連して崩していたメンタルから卒業とします。

ありがとうございました。
私のアナザースカイ・バンコク。

2024.07.19

Moana🌺


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