創世記27:5 ~ 10★2021/03/25掲載分
デボーションガイド*ハーベストタイムより
【御言葉】創世記27:5 ~ 10
5 リベカは、イサクがその子エサウに話しているのを聞いていた。それでエサウが獲物をしとめて来るために、野に出かけたとき、
6 リベカはその子ヤコブにこう言った。「いま私は、父上が、あなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。
7 『 獲物をとって来て、私においしい料理を作り、私に食べさせてくれ。私が死ぬ前に、【主】の前でおまえを祝福したいのだ。』
8 それで今、わが子よ。私があなたに命じることを、よく聞きなさい。
9 さあ、群れのところに行って、そこから最上の子やぎ二頭を私のところに取っておいで。私はそれで父上のお好きなおいしい料理を作りましょう。
10 あなたが父上のところに持って行けば、召し上がって、死なれる前にあなたを祝福してくださるでしょう。」
《参考》
リベカの罪(1)
*リベカの策略
イサクの家庭は、分裂状態していた。
「イサクがその子(彼の子)エサウに話しているのを」(5 節)と「リベカはその子(彼女の子)ヤコブに言った」(6 節)とある。
この2 つの表現によって、両親がそれぞれ好みの子があり、父親はエサウを愛し、母親はヤコブを愛していた。イサクの言葉を聞きリベカは、策略を練った。
ヤコブをエサウに仕立てて、イサクからの祝福を得ようとする。リベカは、族長の祝福をエサウから奪おうとしたが、長子の権利と伴う族長の祝福は、法的にはすでにヤコブのものだった。(エサウは長子の権利をヤコブに売り渡していた)
リベカの罪は、長子の権利の略奪ではなく、イサクを欺こうとしたことによりリベカも罪の裁きを受けることになる。
兄のエサウの復讐を恐れヤコブは、家を出るが、これがリベカとヤコブの今生の別れになった。
*リベカの信仰の欠如
リベカはなぜ、このようなことを考えたのか。
原因は、信仰の欠如。リベカは、神からの啓示を受けていた。イサクやエサウがどのような行動を取っても神は必ず介入される。啓示によれば、弟のヤコブが長子の権利を引き継ぐ、リベカは、神の時と神の介入を待つべきだった。
このままではエサウに族長の祝福が与えられると危機感を覚え、人間的な工夫をしてしまった。それが、自分で子やぎの料理(鹿肉の味がする料理)を作って、ヤコブに運ばせるというもので、信仰の欠如という問題は、リベカだけの問題ではない。
(1)アブラハムの罪を思い出そう。12 章で、彼はききんを避さけるためにエジプトに下り、そこで、サラを自分の妻を妹だと偽った。
(2)サラの罪を思い出そう。16 章で、サラは「約束の子」の誕生が待ち切れず、女奴隷のハガルを夫に与えてしまった。
★信仰の欠如は、私たちの問題。神の時に、神の方法で、神の計画を進めなければ、永続性のある祝福は与えられない。自らの人生のタイムマネジメントを神に委ねよう。神の時を読むことのできる人は、ストレスなく神に従うことができる。
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