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ひょうひょうと-根室本線・下金山駅

 車で走っていると、うっかり通り過ぎてしまいそうになる。富良野市街から南富良野町に入ってすぐの小駅。金山駅から見て空知川の下流にあるから「下」金山だが、滝川を起点とする根室本線を基準にするとこちらが「上」…。ううむ。なんだかややこしいけれど、うだるような暑い日も、芯まで凍るようなしばれる朝も、不思議と表情を変えないこの駅には、「ひょうひょう」という言葉がどこかはまった。  当時の東京帝国大学が付近で演習林を営むにあたって設けられた。昭和中ごろまではここを起点に専用鉄道も伸び

    • 雨に憂たえば(1)-肥薩線2024/06

       「川へいがなかや梅雨(ながし)ゃはあがらん」──。薩摩地方に伝わることわざだという。「川へい」は川で溺れた人。川で犠牲者が出なければ梅雨は明けない、という意だ。物々しいなと思いつつ、新聞か何かで読んだこの言葉を反芻しながら雨に濡れた窓ガラスを睨みつけていた。朝一番の飛行機で鹿児島空港に降り立ったにも関わらず、「雷の影響で地上係員が外に出られない」といって30分近く機内に閉じ込められた、6月下旬の朝のこと。  空港から嘉例川駅まで行き、明治末期に建てられた木造駅舎と肥薩線を

      • 街のコントラスト-根室本線・山部駅

         駅前には旅館をはじめコンビニや銀行が立ち並び、一帯で市街地を形成している。それでも、駅前で犬の散歩をしていたおじいさんにしてみれば「さみしい街だよ」。山部駅の長いホームに滑り込んだ、東鹿越行き列車に乗る客はいなかった。    そのおじいさんとは、2度お会いしたことがある。1度目は曇天の夏の日に、駅の写真を撮っていたら話しかけてくれた。「ピーカンだと芦別(岳)もくっきり見えるんだけどなあ」と指差す先には、厚い雲が空を灰色に塗り潰していた。「曇りの涼しい感じも個人的には好きです

        • 忘れ得ぬ夜空-根室本線・布部駅

           うらさみしい鉄路だった。根室本線の富良野・新得間81キロ余。2016年の台風で被害を受けてからは新得寄りがバスによる代行輸送に変わり、富良野から東鹿越までが盲腸線のような形で残された。それも、今年3月のダイヤ改正で廃止になった。間にあった小駅たちを、今、改めて思う。  「僕らがこれから暮らすところは 富良野から20キロも奥へ入った麓郷という過疎の村で…」  幼い吉岡秀隆さん演じる純がこう紹介し、とんでもない秘境を想像していたものだから、初めて訪れたときは随分あっさりしてい

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          豊かさとはなにか

           えちごトキめき鉄道の名立駅は、山間の小さな集落にある無人駅だ。1時間に1本の電車を降りると、構内で地元を旅立つ人々に向けた、たくさんの寄せ書きを見かけた。「またもどってきてね」「いっぱい勉強して帰ってきてね」「名立を忘れないでね」──。訪れたのは3月下旬、卒業シーズンだった。  何年か前の2月にも降りたことがあり、そのときはバレンタインのポップに装飾されていた。調べると、地域のボランティア団体「名立駅マイ・ステーション作戦実行委員会」が、駅舎内外の飾り付けや整備を行ってい

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          目で音で 鉄道の妙を大鐵に見た

           普通列車を乗り継ぎ、新金谷駅のホームに降り立つと、ぱっと記憶がよみがえった。大井川鐵道には何度か乗ったことがある。社名の「鐵」が旧字体なのは、常用体を使うと「金を失う」と書いてしまい縁起が悪いから…と、SLの車掌さんに教えてもらったのは中学生のときだったか。およそ10年振りの訪問は、SLではなく、当時は見向きもしなかった古い客車と、電気機関車を追いかけるためだ。  期間限定で、大井川鐵道の大井川本線に「普通客レ」が復活した。普通とは普通列車、客レとは客車列車の略。狭義の客

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          聖地にさそわれて

           ずるずると引っ張ってここまで来てしまった。勇退を間近に控えた6月中旬、ようやくキハ85系「南紀」に乗ることができた。高山本線の「ひだ」は新型車両に置き換わってしまったが、「南紀」が走る紀勢本線の、白砂青松の車窓も魅力的だ。もっとも私は腰が重い。今回のようなきっかけがなければ自宅から数百キロも離れたローカル線なんて乗る機会がないだろうと思ったことも、その動機のひとつである。  角型ヘッドライトにコルゲートの側面というキハ85系の外観は、バブル期に登場した車両にしては大人しい

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          神々の山嶺

             ダム湖の横の、小さな集落へ向かう道を歩いていく。しばらくすると、右手の視界が開けてきた。薄暮の空を切り裂くように浮かぶ北アルプスを背に、牧歌的な白馬の町並みが広がっている。  そんな景色を見たくなって、今年のゴールデンウィークは大糸線を訪れた。松本駅から「あずさ5号」に乗る。以前乗ったときは振り子式車両のE351系だったが、新型のE353系に代わっていた。   列車は松本市街を抜けると、鹿島槍、常念などの名峰を左手に盆地を走る。晴天ではないが、霞んだ風景も清々しい。

          神々の山嶺

          吾輩は…

           思いがけない3連休だった。月曜日、普段と同じ時間に起きて、伸びをする。何気ない動作だが、妙な緊張感があった。そう、3日しかないのだ。吾輩はテツである。やるべきことは一つだろう。  どこへ行こうかと思案していたら、中高の先輩より誘いがあり、雪予報の伯備線へ繰り出すことになった。思えばちょうど10年前、中学生の時分にも同じ先輩から伯備線に誘われ、ムーンライトながらのチケットまで取ったにも関わらず、親の許しが出ずにドタキャンをしたっけ。  ティーンエイジャーというのは、往々に

          発祥の地、その未来

           「発祥の地」つながりでもう1本。北海道には「○○発祥の地」と呼ばれる史跡が多くある。先述した東旭川一帯の「旭川発祥の地」をはじめ、江差町上ノ国の「北海道発祥の地」、「教育発祥の地」(要は学校が初めて開かれた場所)なんて、小樽や士幌など、地域ごとに存在する。北海道は開拓が始まって150年ほどの土地で、古いものを受け継ぎながら、新しいものを受容する文化が根を張っているのだ。遠軽町にある「白滝発祥の地」も、そんな”発祥の地シリーズ”の一つである。  史跡といっても、石碑くらいし

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          鉄路で巡る鎌倉殿

           鉄ちゃん目線で見る「鎌倉殿の13人」は、旅に出たくなる作品だったのではないか。頼朝が最初に挙兵する伊豆には駿豆線、伊豆急行線といった観光路線が走り、源平衝突の地「石橋山」は言わずと知れた東海道線の名撮影地だ。題名にもなる鎌倉には、関東屈指のオールドタイマー・江ノ電300形が走る。    妄想が捗る。もし、平安の世に鉄道があったならば…。石橋山の戦いで援軍に向かった三浦義澄らは途中、増水した酒匂川を渡れず衣笠城に引き返す。今、東海道線が酒匂川を渡る区間には、立派なトラス橋が架

          鉄路で巡る鎌倉殿

          お隣さん

           ターミナルに隣する小駅を愛でる鉄道ファンは多いと思う。「東」とか「新」とか、地名を修飾する語が頭につくだけの駅名であればなおいい。かつて、とある鉄道雑誌に「大手私鉄ターミナルのお隣さん」という連載もあった。往々にして、隣駅の市街地のはずれにあることが多いため、規模の小ささやお客の少なさと相まって、存在感が薄い。だからこそ、その”いぶし銀”に魅了される。  こんなことを書いておいて出鼻をくじくようだが、写真の東旭川駅はターミナルの隣駅ではない(旭川駅の隣は新旭川駅)。旭川駅

          お隣さん