見出し画像

お隣さん

 ターミナルに隣する小駅を愛でる鉄道ファンは多いと思う。「東」とか「新」とか、地名を修飾する語が頭につくだけの駅名であればなおいい。かつて、とある鉄道雑誌に「大手私鉄ターミナルのお隣さん」という連載もあった。往々にして、隣駅の市街地のはずれにあることが多いため、規模の小ささやお客の少なさと相まって、存在感が薄い。だからこそ、その”いぶし銀”に魅了される。

 こんなことを書いておいて出鼻をくじくようだが、写真の東旭川駅はターミナルの隣駅ではない(旭川駅の隣は新旭川駅)。旭川駅から石北本線に乗って3つ目にある無人駅で、旭川市街からは8キロ、車で15分ほどの場所に位置する。Googleマップを眺めていると、旭川の中心部からは少し離れた東旭川駅の一帯に、局地的に市街地が形成されているのが目についた。

 現在、札幌に次ぐ北海道第二の都市として膾炙する旭川の歴史は、実はここ東旭川から始まった。1892年に道外からの屯田兵が東旭川の一帯に入植したことが端緒で、程なく開拓は東西へと広がっていく。現在の旭川市街も、当初は近くを流れる川から取られた「忠別」という名で呼ばれ、周縁のいち地域に過ぎなかった。

 しかし、陸軍司令部が札幌から忠別地域に移転したことで、状況は一変する。忠別の人口は5年で5倍近くになり、市街地も整備された。そんな忠別の都市化に対応すべく、北海道庁はこれまでの旭川村のうち、忠別地域を旭川村として残し、現在の東旭川地域を永山村として分離したが、この改編が”発祥の地”東旭川の住人から大きな反発を招く。妥結案として道庁から「旭川発祥の地が東旭川であることを後世に残すため、神社や学校などに”旭川”という名称を使用してもいい」という公示が出された。現在も「旭川神社」や「旭川小学校」が、中心部ではなく東旭川にあるのはそのためである。

 「お隣さん」ですらない東旭川駅は、その後1922年の開業。その地の複雑な歴史とは裏腹に、ローカル線でよく見られるタブレット閉塞の名残の千鳥式ホームと、平成初期に建てられたであろう簡素な駅舎だけのシンプルな駅だ。週末に雪予報を控えた11月下旬の金曜日に訪れると、旭川市街と反対の上川方面行き列車に乗る2名の若者が。「市街地」なんてものさしで街を区切った自分を悔いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?