嗚呼、もう海外で働くのは無理なのだろうか。
おっす。Moanaです。🌺
かれこれ2年、謎の体調不良で全く物事が進まない。
それに伴う焦り、不安、日々の体調不良からタイで抑うつになり、ビザを切られ、帰国し、失業して超落ち込み、うつに悪化し、難病が発覚して闘病し、去年と今のギャップに苦しむ最近である。
嗚呼、私はもう海外で働くことは無理なのだろうか。
過去完了したはずなのに、この数ヶ月の難病闘病生活は、日本に帰ってきた苦しみも追加されて、生きる意味すらわからないような日々を過ごしていた🫠
常に私の心の中にあるのは、もう海外は無理なんだろうか。と言う気持ち。生涯通院コースの病気だから日本国内ですら移動できるかわからないような人生。
去年タイから帰国した時(9月)、謎の体調不良が続き、自己負担で健康診断をした。結果は「スーパー健康!言うことなしの百点満点!体調不良の原因はタイ!」と全項目Aで終わったのを覚えてる。
でもその半年後にはIgA腎症の初期症状が発生し、1年後の現在は腎臓の3分の1が死んでしまった。
その2ヶ月後には、全てAだった血液検査で17項目で異常が見つかった。
たった数カ月でこんなことになるのだから、毎日を笑って過ごさなければ必ず死ぬ時に後悔するよね🍀
私はもう落ち込むフェーズは超えて、全て受け入れてメンタル整ってるから引かないで欲しい。
去年9月の健康診断に安心してから就活をスタートした10月に、突然過呼吸になって頭の中が大パニックで起き上がれなくなったことがある。
本当に散々な年だった。
2019年の大殺界を皮切りに、毎年悲惨さが更新されていく。
2019年カナダで裁判
2020年新卒コロナで4000億円の赤字企業で極貧
2021年 コロナに伴い失業
2022年 ワクチン接種後から謎発熱と食中毒で落ちる
2023年 瀕死状態で帰国
2024年 腎機能低下から難病が発覚
どうしていいかわからなくて心療内科にいくのを抵抗して、これまでの人生通り、心の声を無視した根性論で、ずっと活動をした。
どうしてそんなパニック状態になったのかと言うと、現地採用の期間に自分の感情を押し殺しすぎたせいで、企業や仕事の人間関係に対する絶命的な不信感を感じてしまったから。
この世の全ての会社がブラック企業と思い込み、怖くて飛び込めなくなるほどにトラウマを抱えていた。食いしばりながら震え、歯もだいぶ削れてしまった。
休めば良かった。
短期離職ばかりだし、空白期間ができたら、もう生きていくことができないと思いこんでいた。田舎出身だから仕事に恵まれず落ちぶれる人を見て生きてきたからかもしれない。
その0か100の考え方のせいでおかしくなった。
タイで転職すればよかったと後悔したけど、結局今年になって難病が発覚したから、地元に呼び戻されたことは見えない力で守られていたのだと解釈してる🐘
嗚呼、もう海外で楽しく暮らすのは無理なのか。
タイ生活を振り返ると、毎週体調不良が重なり、コロナでも仕事を休めなかった。未経験でコンサルをしてタスクが多くて残業代はない。最低賃金だったけど、元々コロナでお金をもらえない経験をしてたから文句はなかった。1日4時間くらい無料残業をし、余裕のない上司が泣き叫んでマウスやティッシュを投げてきて、ストレスの捌け口にされる日々。
仕事終わりに「ストレスぶつけてごめん(´・ω・`)」と上司から謝られる度に気が狂い、遂に心がボッキリ折れた。理由を伝えず数日休みたいと社長に連絡した。
謝るくらいなら自分の機嫌は自分で取れよ。
日本で在宅していいから、落ち着いたら帰ってきなよと言っていただいき、社長と電話しながら日本のチケットを購入した。
次の日に電話がきて、退職させられた。
「どうせ彼氏や家族がいる他のメンバーと違って、ちょっと海外で働きたい!みたいな簡単な気持ちで来たんでしょ?そもそも最初からリスクだと思ってたし、自殺とかされたら労災認定されたくないし!」とビザ更新を断られ、退職届のPDFがチャットで届く。
こうして一時帰国用だったはずのチケットで突然タイ生活とお別れして失業して日本に帰ってきた。
泣いて電話かけてきた上司。
あなたのせいなのに!と最後まで言えなかった。優しくしすぎて、機嫌をとりすぎて私が壊れた。
またタイに戻りたかったし、悪い人じゃなかったからと受け入れてしまった。すると毎日ラインがくる。取引先の写真も送られてくる。苦しかった。私だって離れたくなかった。頑張ってたから手放したくなかった。辞めさせられたくなかった。戻りたかった。
その人のせいで全てを失ったのに。
帰国して数ヶ月経ってから、自分を守るために彼女をブロックした。I needed to lose you to love me だった。(セレーナゴメス Lose you to love meより)
今でも会いたいと思う時がある。感謝の気持ちもある。でもboundaries を引く必要があった。
1年経ったからか、病気になったからなのか、もう思い出しても泣かなくなった。
当時はトラウマケアのカウンセラーの前で嗚咽して号泣して話せないほどにイカれてしまっていたから。
だから今海外に行けば、バンコクや東南アジアがトリガーになる可能性があるし、海外で何かあった時に気持ちが整っていないと対応ができないのは身に染みて感じていたから、日本しか転職活動ができなかった。
嗚呼、私はもう海外で暮らせないのだろうか。
思い出は、不思議と楽しかったことばかり思い出す。
毎朝マンゴーを食べ、在宅勤務でギリギリまで寝れた朝、屋上に行けばジムとプールがあり、仕事終わりに近くの公園で無料エアロビ、飲んだ後にノーヘルバイクでぶっ飛ばした深夜の街並み、いろんな国から来たお友達。。
その思い出の裏でずっと嘔吐、発熱、下痢、血便、咳、鼻炎、ものもらい、泣きながら残業してプレッシャーから体調が良かったことは1日もない。
それでも私が海外に執着するのは何故だろう。
難病がわかってから一番初めに泣いた理由が、嗚呼、もう日本から出られない。だった。
IgA腎症は日本が世界で一番治療が進んでいる。
それだけでとてつもなくラッキーだし、日本の素晴らしい社会保障にたくさん助けてもらった。まだタイにいたら私は腎不全で40前には死んでいただろう。
私の病気は完治しないし、明確な治療法がない。
でも早期発見なら寛解といって血尿と蛋白尿が出ない状態まで持ち込むことができるから、みんなそれに向けて頑張っている。
もう海外が無理なら、せめて日本で好きなところに住もうか。沖縄か?千葉か?東京か?。。
東京ならすぐ出れるし有名な病院も多いな。って。
何度も、何度も、思ってるんだけど。。
でも違う、Tokyoじゃない、私はBangkokが心地よい。何事もうまく進まない国だけど、自分も完璧でいる必要がない。日本と同じ単一民族国家なのにジェンダーレスでいろんな人がいる刺激的な毎日。独身の人たちの集まりですぐ友達できるし、旅行もできる。
嗚呼、もう海外は無理なのかもしれない。
私は高リスク群に属していて進行速度が高く、このままだと10年後の透析率は40%だと言われている。重症度が高いので難病申請ができる。日本にいれば治療費の少しは援助をしていただける。
予定ないけど、万が一透析になったとしても日本なら援助を受けられる。腎臓疾患を抱えた在日外国人が透析治療を求めて日本に居座るのも問題になってるほど。
そんなことを手放してまで海外に行く必要があるのか?病気を気にして生きるのか?
ここの線引きがまだできない。
でもいつまでも脳内お花畑ではやっていけない。わたしはこの病気と生涯を共にしなければならない。
嗚呼、もう無理なのか。
逆引き寄せが強い私は、タイにいる頃から透析は嫌だったから腎臓ケアと腸活に取り組んでいた。
全く無駄な時間であった。
難病とはいえど必ず発病する原因がある。
自分でたくさん調べ、同じ病気の方と繋がって思うのは、ワクチン薬害か、扁桃腺や風邪の回数が多かった人、そして腸内環境が悪くストレスを多く感じる人。
私のタイ生活は全てが当てはまる。
帰国して健康診断が良かった後から、初期症状が出るまでの間も当てはまる。
嗚呼、ますます海外は無理なのだろう。
繊細な私は海外暮らし合わないのかもしれない。
noteをパラパラ見ていたら、同じく病気でタイから帰国した人が、マレーシアでまた働くと書いてあった。
逞しくてすごいなあ。。
少し希望が見えた気がしたのに、私の職歴はボロボロだし、心も体も経済面もボロボロだし無理だろうと自分でまたネガティヴになった。
私も寛解したら行けるだろうけど、きっと心の問題が大きいのだと思う。
嗚呼…
心と身体は繋がっている。
Moana
闘病の治療費に使用させていただきます😭🙏💰