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[理系による「文学」考察] 村上龍"愛と幻想のファシズム"(1987) ➡10代後半~20代前半向けロックヒーローアカデミア文学

1987年に単行本が発行されているのでバブル絶頂期の作品であり、村上龍的には、バブルの浮かれた雰囲気に対する違和感からの警鐘、を描いたものと思われますが、自身が初めてこれを読んだのは90年代後半なのでバブルが弾けた後になります。

その時、自身は二十歳前後であり、不景気真っ只中で、このまま不景気が加速し、作品に描かれている大恐慌・ファシズム時代にほんとになるかもしれない、と本気で信じ・ビビりまくり、その時代に備えて真剣に自己のキャリアを考えさせられ、その時代に備えて自身を鍛錬してきました。

それから20年以上経ちました、が、いつまで待ってもそんな大恐慌・ファシズムは来やしない…(いいことだけど)。ということで、個人的にこの作品は、バブルの雰囲気にうまく乗れなかったアウトローによる逆張り作品、と結論付けました。

で、今の若い世代が読むとどう感じるんだろう?、が気になり、直接聞いてみたいのですが、個人的に思うところが表題であり、その考えた理由を記載します。

90年代後半と今は時代感が異なっており(当たり前ですが)、今を表すうえで、そのころを象徴する"不景気"というワードはあまり適切ではないですが、"閉塞感"はそんなに外していないのかな、と思われます。

そんな"閉塞感"の中で、この作品の主人公の鈴原冬二は閉塞感をぶち破るヒーローとして描かれています。二十歳前後の自分からすると、鈴原冬二はまさに自身がイメージするロックヒーローであり、若さも相まって、カリスマとはこうあるべきだ!、の教科書のような感覚で興奮してこの作品を読んでました。(ヒーローを説く作品なので、ヒーローアカデミアかなと…)

が、今の年齢になると冷静に読めるようになり、再考すると、
若い世代を熱狂させ、彼ら彼女らの野望を奮起させるロック文学
となりました。

"ロック"をつけた理由は、作品を読んでるときの感情が、ロックを聴いているテンションに似ていること、つまり、"なんでもできそうな気にさせる"効能が同じであること、が理由です。かつ、"ロック"は若い時が一番楽しめることも含めて、まだピュアでエネルギーにあふれているが、それを消費させるべき方向がまだ定まっておらず、モヤモヤしている若い世代が読むべき文学かな、と思った次第です。

と書いてはみたのですが、ロックスター、なる概念が、もはや若い世代は分からないような気がして、やっぱり直接聞いてみたい…


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