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[理系による「カルチャー」考察] 村上春樹作品を読み終えた直後にミョーな気分になる理由

村上春樹作品を読み終えた後の、あのなんとも説明できないミョーなモヤモヤ感が出るのはなぜか?、を考察してみた。

結論から言うと、主人公に普通の人間が持ち得ている感情が一部欠如しているから、となる。

端的に言うと、主人公がサイコパスなのである。

主人公に起こる現象があまりに衝撃的に、かつ、主人公以外の人物が分かりやすいサイコパスに描かれていて気づきにくいが、冷静に読んでみると、主人公も何らかの感情が欠如している。

よって、読み出しからミョーな違和感を感じるのだが、そのままストーリーが見事に完結し、違和感が解決しない状態で作品を読み終えた達成感を得られるので、この相反する感情が同時に沸くことが良い意味でミョーなモヤモヤ感を感じさせるのであろう。

読み終えた感じはサリンジャーにも共通しており、サリンジャー作品の主人公も何らかの感情が欠如しており、上記の考察を裏付けるものとしたいが、村上春樹とアメリカ文学との関係性に関する詳細は専門家にお任せしたいです。

ちなみに、主人公における何らかの感情の欠如は、作者本人から来ているのであろう。

何かのエッセイで、
"村上は冷たいと周りからよく言われる。本人としては、自身が経験した感情と同じ感情を抱かせる事象に関しては心の底から同情できるが、そうでない場合はなんともしがたい。"
というような記事を読んだ記憶があり、かつ、
"村上さんのところ"における回答の良い意味でのズレ感、
"アンダーグラウンド"なような作品を書ける、
は、村上春樹本人もサイコパス、を裏付けるものとしたいが、作者と作品主人公との関係性に関する詳細は専門家にお任せしたいです。

上記を含め、"村上春樹の奥さんは大変だねー"、と妻に話したところ、"あなたも十分サイコパスよ"、と手痛い返しを受けるに至る。





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