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オタクの潜在能力

『「である」ことと「する」こと』
                            〜丸山眞男〜

日本の思想

これは丸山眞男の「日本の思想」の中の権力の上に眠る者という有名な文章の一節である。
法律はただあるのでは、全く意味をなさない。
法律が意味をなすのは、適切に行使されるからである。
権力は行使することで維持されるということである。
逆に言えば、権力を維持するのは難しく、であることの権力になりがちだが、本来法律はすることによって、権力を担保されなければならない。
これから述べる機能的価値存在的価値を区別を的確に示した文章であるので、初めに引用した。
現代はこの政治や経済などの機能的価値である、つまり、することが大事であることと、文化や芸術、自然、科学などの、であることそのものに価値があるものがごっちゃになってしまっているのではないか。
政治や経済は複雑化し、専門化のものになり、閉ざされた世界の中で権威化し、逆に芸術や文化、科学研究は何かに役に立たなければ、マネタイズが難しくなっている。つまり持続できなくなっている。
これは人間にも当てはまるのではないだろうか。
個人の価値と、機能的価値は全くの別物なはずだが、ごっちゃになって生きづらさを感じている人が増えている気がする。(特に若者)
そういう人たちがスーパーや工場などで生活ギリギリで働くことになると、自動化も進まないし、その人たちの才能、創造性がなかなか発揮しずらい。
近代化し、競争が激化する社会では、新たな価値を創造することが大切だ。
機能化し、冬眠している個人の才能を目覚めさせる価値観の改革が私のおそらく一生のテーマだろう。
ジブリや鬼滅の刃、任天堂、スクエア・エニックスなどのアニメ・ゲーム文化や、食事の豊かさ、コロナ以前のインバウンドの増加など、日本はであるの資産価値がとても高い国のように思える。
であるの価値の社会的地位が高まれば、眠れるオタク(アニメ、グルメ、自然、歴史など)が目覚め、より創造性に富んだ豊かな日本になるのではないだろうか。


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