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揺るぎなきアカウント【7ー3】

都心から少し離れた閑静な住宅街。
一般的な住宅20件分ほどの敷地に、女優鈴野理沙の豪邸がある。
綺麗に揃えられた竹林に囲まれ、和と洋が混ざったモダン風に建てられた家は、これぞ女優界トップだと言わんばかりの存在感を放っている。

ほのか15歳。
これだけ広い整備された庭があるにも関わらず、隅っこの竹林の影に隠れて遊んでいた。
「はぁ、はぁ、ほのか様。またこんな所で遊んでらしたんですね。もうすぐピアノのお稽古の時間です。この広い庭の中から探すのは大変でございます・・・はぁ、はぁ」
「うふふ。だって私は、ト・ガ・メ・ナ!ですもの!うふふ」
「お待ち下さいませ!お嬢様!」
ほのかは追いかける冨美枝をからかうように走って逃げた。

冨美枝に見つからないように竹林に沿って歩いていると、出入口の門のほうから車が止まる音がした。

ほのかは、
ゴクリ・・・と生唾を飲んだ。

母が帰って来た・・・

早く部屋に戻ってボロボロの部屋着に着替えなければ、また拷問とも言える長い説教が始まってしまう。
冨美枝に用意してもらった、花柄のついた洋服なんか着てたら大変なことになる。

「お嬢様~お嬢様~」
遠くで冨美枝が呼んでいる。
足が動かない。早く部屋に戻らなければと思えば思うほど、身体が硬直して動かない。
身動き出来ずに立ったまま涙がこぼれてきた。

泣いてる場合ではない

部屋に戻らなければと思う気持ちに、身体が全力で反抗している。

本当は部屋に戻りたくない
もっと遊びたい
もっとオシャレしたい

身体がそう言っている。

「お嬢様!」
冨美枝の声にハッとして、金縛りが解けたようにその場に座りこんだ。
「大丈夫でございますか!?お嬢様っ!」
「・・・うん。お母さん・・・帰ってきた・・・」
「・・・その様でございます・・・」
冨美枝はほのかの肩を抱いて立ち上がり、倒れそうなほのかを支えながら部屋に向かって歩いた。

母が駐車場にいる合間に、ほのかと冨美枝は部屋に戻った。そして、何年も着古した部屋着に着替え、ベッドに寝転んで毛布を被った。

冨美枝は覚悟していた。今日こそは理沙に物申してやろうと。
それで首になっても構わない。ただ心配なのは、自分が理沙に楯突いたことによって、ほのかの方に火の粉が飛んでしまってはいけない。
ほのかは一緒にいる時は明るく振る舞っているが、本当は生きているのがやっとの状態。
ほのか様のためにも・・・

「ほのかーー!ほのかーーっ!」
理沙が怒鳴りながら玄関に入っていく。放り投げるように靴を脱ぎ捨て、ほのかのいる2階の部屋に上がってきた。
「ほのかっ!」
ベッドに寝ているほのかを無理矢理起こして、肩を揺らす。
「ねえ!ねえ!ほのか!お母さんは立派だよね?」
「・・・うん」
いつもこうだった。理沙は帰ってくると必ず何かをぶつけてくる。ストレスや不満、ほのかを心の捌け口にしている。
「ねえ!女優もやって主婦もやって、ドラマ、CM、ボランティア、試写会、身体一つでは足りないくらい!」
「・・・うん」
「そのお陰でほのかだって贅沢出来てるでしょ?ねえ?違うの?子供のくせにこんな広くてブランドに囲まれた部屋を用意出来る私は立派だと思わない?」
「うん・・・感謝してるよ・・・」
「感謝なんかされなくっていいのよ!バカな子ね!それが出来る私が立派だってことでしょ!こんな幸せな生活をしている子なんていないよ!」

全然立派じゃない
全然幸せじゃない
こんなの望んでない

「もういいわっ!それとっ!くれぐれも色気付くんじゃないわよ!バカな男はブランド持ってるだけで寄ってくるんだからね!いいわね!」

豪華な家
高級な家具
高級食材を使った専属シェフの料理

他人から見れば贅沢と言われるかもしれないけど
私はそんなのいらない

ゆっくりと流れる時の中で
天気が良いという理由だけで
川原を散歩する
母の日傘を持ってないほうの手を握り
あてもなく歩く
ベンチに座り
母が握ったおにぎりと
甘い卵焼きを食べ
家から持ってきた水筒の麦茶を飲む
食べ終えたら
虫を追いかけ走っていく
母の目が届く範囲で
目一杯の冒険をする
調子にのり膝でも擦りむこうものなら
母が大怪我をしたかのように飛んでくる
そんなに痛くはないが
大袈裟に泣く
母はぐずる私に
晩御飯で好きな物を作ってあげると
なだめながら帰る

そんな生活が理想
普通の母親が当たり前に出来るであろうことは母には出来ない。
女優で有名になってほしいなんて思ったことは一度もない。

母が女優をやりたいだけ・・・

「理沙様・・・少しよろしいでしょうか?」
「何?夕方には空港に向かわないといけないから早くして!」
冨美枝は覚悟を決めて、鈴野理沙に話しかけた。
「お嬢様は・・・ほのかお嬢様は病気を患っております・・・」
理沙は呆れたように深いため息をついた。
「は~・・・何の病気?そんなことでいちいち報告しないで!有名な医者を家に呼ぶことだって出来るでしょ?」
「そうなんですが・・・理沙様はお気付きになりませんでしたか?」
「何が?何を偉そうに聞いてるの?」
「・・・ほのか様のお身体です」
「さっきから何?意味がわからないわ!」
冨美枝は声を震わせながら言った。
「ほのか様は摂食障害です!体重が30㎏ありません!お痩せになってることに気付かなかったでしょうか!」
「ったく・・・そんなことで・・・子供のダイエットなんか気にしていたら、ドラマの撮影に影響がでるわ!」
「ダイエットではありません!病気です!」
「うるさいわねっ!何なの?そんなの冨美枝達に任せているでしょ?なんの為に高い金を払ってあなた達を雇っているの?これ以上何を望むの?わがまま言わないで!」
冨美枝は理沙の言葉を聞くと、ほのかの闘病生活を思い出し涙がこぼれた。

ダイエット・・・
わがまま・・・
何も知らない他人ならまだしも
そうでないことを親が一番理解して
寄り添わなければいけないのに・・・
どう言えば理解してもらえるのだろう
どう説得すればほのか様を救えるのだろう

「今ほのか様に必要なのは理沙様です!私でも使用人でもお医者様でもありません!理沙様の愛情なんです!」
理沙の顔色が、みるみる真っ赤に染まっていく。唇を震わせ、歯を食い縛り、歯の隙間から泡を吹き出すと、耳を塞ぎたくなるような甲高い声で怒鳴り始めた。

「イイイイーッ!ふざけないでーーっ!私が悪いのか!こんなに子供のために家族のために休みなく働いている私が悪いって言うのかー!愛情!?冗談じゃないわよっっっ!」
「・・・でも!もう少しほのか様に・・・」
「ぅうるさぁぁぁぁぁい!!」
冨美枝も負けじと言い返すが、被せて怒鳴られる。
「はぁはぁ、分かったわっ!それなら愛情を持って我が子に叱ります!これ以上、親に迷惑かけるような、そんな我が儘は許しません!せっかく少しでも自宅でゆっくりしようと思ってたのに台無しじゃないの!出てってーっ!」
理沙は冨美枝を部屋の外に追い出した。
バタン・・・
扉を閉めても、理沙の愚痴が外まで響いた。
「う、ううっ・・・病気なのに・・・病気をしても親に迷惑と言われるなんて・・・」
冨美枝はほのかが可哀想でたまらなくなり、泣きながらその場を去った。

数時間後。理沙はほのかに声をかけることなく仕事に向かった。
冨美枝は自分の休憩室で頭を抱えて泣いていた。

何も出来なかった。
ほのか様には母親が必要。ほのかの摂食障害と向き合っているうちに、そう思うようになった。母である理沙が、ほのかと向き合うことが、どんな薬よりも治療になると。
難しいことではない、普通の親がやっているような、一緒にご飯を食べたり、散歩したり・・・。
時には症状が辛く、叫んだり八つ当たりすることもあるかもしれない。
それを大丈夫と受け止めてほしい。
私では駄目なのだ。
何故なら、

優しいほのか様は
どんなに苦しくても
私に八つ当たりしてくれない

ほのか様はおそらく部屋でゲームをしている。好きなゲームがあるらしく、集中することで迫り来る症状の恐怖を紛らわすと言っていた。
それでも、1%、いや、0.001しか紛らわせない。それでも100%よりかはいいと言っていた。
今日もあんなことがあった。乱れ狂う気持ちを抑えようとしているだろう。
こんな時に回りの人間は無力だ。
怪我なんかと違い、何か手をかけて和らげることも出来ない。だからこそ、母親の理沙様に寄り添ってもらいたい。


「ぃやぁぁぁぁぁぁ!!!!」
冨美枝のいる部屋の外から叫び声が聞こえてきた。慌てて部屋の外に飛び出す。

ガシャーーン
「ほのか様!?」
何かが倒れるような音がした。厨房から聞こえた気がしたので走って向かった。
厨房に入ると、ほのかがテーブルの上に置いてある食器などを凪払うように倒していた。

ガシャガシャーーン

「ほのか様!」
「ぃやぁぁぁ!私無理っ!死ぬ!生きてられないっ!どうしていいか分からない!死ぬ!取り返しがつかない!死ぬしかない!」
冨美枝は叫ぶほのかを抱き抱えた。見渡すと、冷蔵庫が開いていて、その回りに食べ物の容器等が散乱している。

無造作に破られたレトルトカレーの袋
粉々に散らばった茹でていないパスタの残骸
かじられた食パン一斤
かぶりついたであろうロースハムの塊
空になったマーガリンの容器とイチゴシャムの瓶
空になった炊飯器、直接ご飯をしゃもじで口に運んだのが想像できる。

これを全部・・・

「あたしもう死にたい・・・無理・・・」
「ほのか様・・・大丈夫でございます・・・」
「全然大丈夫じゃない!いい加減なこと言わないで!」
ほのかは摂食障害で激痩せし、治療を重ねてようやく食事が少しずつとれるようになった矢先、次は強烈な過食に苦しんでいた。
痩せた体からは想像できない量を食べ、パンパンに膨れた腹部を抱えるようにソファーに座った。
「・・・もうやだ・・・何もかも・・・終わりにしたい・・・」
泣きながら、時折頭を両手で押さえて左右に激しく振る。
ほのかの細い指先には、大きなタコが出来ていた。過食のあとに食べた物を全部吐き出している。その時に喉の奥に手を入れ、何度も指が歯に当たって出来た吐きダコ。冨美枝の見てない所で、いや、見つからないように何度も過食と嘔吐を繰り返しているのだ。

ほのかは急に立ち上がり、トイレに駆け込んだ。冨美枝も付いて行き、苦しそうに嘔吐するほのかの背中を擦る。

死にたい・・・
死にたい・・・
死にたい・・・

・・・

~~~~~

「さあ!第1章が終わろうとしています!序盤から圧倒的な計算力を見せ付けた日村美佳さんが、この第1章、わずかながら優勢といったところでございます!」

第1章が終わり、ターン数が表示された。

日村美佳・・・・24
神崎広太郎・・・26
近江 駿・・・・25
赤西幸男・・・・26

あの時は毎日辛くて、死ぬことばかり考えていた。
やり場がなく、摂食障害の苦しみをこのゲームにぶつけてきた。
普通の精神状態、並みの集中力ではない。

舐めてもらっては困る

今着ているダッフルコートの下には水着を着ている。ここで優勝して、このコートを脱ぎ、その痩せた体を晒す。
全国に女優鈴野理沙の娘は、監禁同様に育てられ、摂食障害になっていると周知する。
テレビを通せば、あの母でさえ見えないという訳にはいかないだろう。

そうすればこれまでに母が築き上げたイメージは崩れ落ち、女優としての鈴野理沙は死ぬ。

そして

お母さんが帰ってくる


次へ【7ー4】

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