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自分の作品をいちいち卑下するのはもうやめにしようと思った話。

多少喋りに長けている私。

就職活動や学校生活の中で、自己紹介をするようなときはいつも先陣を切っていた。そして、後ろに続く人間に大きなインパクトを残し、その度に私はいつも”してやったり”という顔をしていた。

そんな私には「自己紹介でやる鉄板ネタ」というのがある。いつも人前で自己紹介をする際には、地元佐賀を引き合いに出して一発ウケを狙うのだ。きょうは、その手の内を読者の皆さんにも明かそうと思う。


フォーマットは単純明快である。
フリとオチという、笑いの基本を踏襲した形だ。

まず最初に「私出身が九州の佐賀県なんですけど、皆さん佐賀県ってどこにあるか知ってますか?」と聴衆に問いかけたあと、「じゃあ一応説明しますね?福岡と長崎の間にある空白地帯です」または「僻地です」と続ける。よく他県民に何にもない、と揶揄されることを逆手に取った自虐ネタである。

でも、最近これをバージョンアップさせて、「福岡と長崎の間にある”邪馬台国”です」と呼ぶように変更した(吉野ヶ里遺跡があるからね)。というのも、なんだか最近自分の中で「何にもない」と言うことに対して抵抗感を持つようになってきたのだ。先日学長賞を受賞した作品が佐賀県を舞台にしていたこともあり、その佐賀県を「何にもない」と卑下することは、つまり作品自体にも何の魅力も無い、と言っているも同じだなと思ったのだ。

事実、何にもないと言うより”邪馬台国”と言った方がウケがいい。失笑からフフッ、という小さな笑いにステップアップしたので、このバージョンアップは今のところ成功だと言える。


私もまた、いつも心のどこかで
自分のことを、というか自分の作品を卑下してきた。

これまで、自信を持って送り出した作品がどれだけあっただろうか・・・と頭の中で数えてみると、両手で数えられる程度しかなかったような気がする。いつも「こんなんで大丈夫かな」とか「誰が見てくれるんだろうな」とか、頭の片隅でちょっと心配しながら投稿したりしていたように思う。

でも、それは読者に対してあまりに失礼だろう、と最近ようやく気付いた。日々の投稿を心待ちにし、記事が更新されればすぐにスキをくださる方々に対して、自分が自信のない文章を読ませることは顔に泥を塗っているのと一緒だと思う。何より、私を学長賞に推挙してくれた先生方や応援してくれた方々に対しても、そんな態度を取っていては恥ずかしい。堂々と「俺が学長賞だ」と言えるぐらいの度量は無いのか?と怒られそうな気がする。

受賞が決まってからも、いろんな人がお祝いしてくれた。同級生、友達、先生、研究室の副手さん、バイト先の先輩方。そして、作品を読んでくれた皆が口々に、すごかった、面白かった、頑張ったね、と声を掛けてくれた。自分が思っている以上に他人は私のことを見ているし、その努力を正当に認めてくれているんだな、というのを痛切に実感した。

だからもう、自分の作品を卑下するのはやめにする。ひとつひとつの記事を待っている人に向けて、「これが自分なんだ」といつも宣言するかのように自信に満ちた文を届けていきたいな、と思うのだ。

だって、自分の作品を一番愛せるのは
自分自身だけなのだから。



おしまい。



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