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半年以上に及ぶEditorial Tourはヒゲダンとファンに何を遺したのか。

本当に、本当に、本当に
前人未到の、長い長いツアーだった。

「Official髭男dism ONE-MAN TOUR 2021-2022 Editorial」。先日、4月17日の松江市総合体育館でのツアーファイナルを持って大団円を迎えた。長大なツアーの果てに地元凱旋を果たし、松江の夜は歓喜と感動に包まれた。

遡れば去年の9月4日、横浜・みなとみらいのぴあアリーナMMより始まったこのツアー。開始前はコロナウイルスの影響による公演中止が続出するのではと懸念もされていたが、蓋を開ければ青森盛運輸アリーナでの公演中止を除くすべての日程を終了させることができた。信じられないぐらいに順調なツアーだった。

だが、もっと信じられないのは、この間に「Anarchy」「ミックスナッツ」の2曲も新曲が発表されている、ということだった。楽曲の完成度もさることながら、この過密スケジュールの中さらに新たな音を放ってくるヒゲダンのバイタリティの高さに、我々ファンは大いに驚かされたのだった。


本来ならば、メジャーデビュー後初のアルバム「Travelers」を引っ提げてのアリーナツアー「Arena Travelers」にて届けられるはずだった歌声。しかしそれは、海の向こうからもたらされた未知の脅威によって全て白紙になってしまった。ファンは、日々延期や中止がアナウンスされる中、それでも再開の日を信じ、ある者は払い戻しを受け、またある者は振替公演のためにチケットを保存し続けた。どんな選択肢を選んだファンであっても、ヒゲダンに対する愛と希望がそこには確実にあった。

その想いに応えるかのように、ヒゲダンも2度のオンラインライブ、横浜での全国ツアー再開に向けた試験的な対面ライブ、配信企画や新曲の解禁など、決して動きを止めることは無かった。特にEP「HELLO」のリリースは、暗く先の見えない世の中へ確かな希望の楔を打ち付けた。そして、あの「Editorial」が世に放たれたわけである。

一体このツアーは私たちに何を遺したのか。
その答えもまたこのアルバムの中にあると私は思う。


アルバムの2曲目に収録されているリードナンバー「アポトーシス」。リリース当時、「Editorial」というアルバムの意味と並んでファンの憶測や関心を呼んだこの曲名。改めて今、アポトーシスとはどんな意味の言葉なのか、調べてみた。

アポトーシス
Apoptosis

一部の細胞があらかじめ遺伝子で決められたメカニズムによって,なかば自殺的に脱落死する現象。アポプトーシスともいう。オタマジャクシがカエルになるときに尻尾が消失したり,脊椎動物の指の間の水掻きの発生にともないなくなるなどの現象で,プログラムされた細胞死と呼ばれる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ちなみに私は以前この曲を「藤原聡の嫁目線で歌った曲」というなかなかにエッジの効いた説を提唱しつつ紹介していた。まあ、それは一つの見方として置いておくことにする。

この曲が発表されてから散見されるのは「アポトーシスを気軽な気持ちで聴くことができない」という感想だった。確かに、それは筆者も同じ気持ちを持っている。限りなく壮大に広がっていく神聖なメロディの中で歌われる、死別や別れを優しく肯定するかのような歌詞。確かに、日常的に聴く曲ではないだろう。しかし私は今だからこそ、いつか必ずやってくる「別れ」を日常的に認識し、生きていく必要があると思っている。別れが私たちにとって、必ずしも遠く無縁の事象ではないということをこの2年、世界は嫌というほど教えた。というよりも、見せつけられた。

東日本大震災の時、ビートたけしは「2万人が死んだ1つの事件ではなく、1人が死んだ事件が2万件あった」という言葉を使い、突然の別れに直面した人々の悲しみや葛藤を肯定した。未知の脅威に直面した最初の頃、2020年初頭の私たちは日々怯えていた。いつ私たちの周囲にやってくるのか。襲ってくるのか。次は誰がそうなってしまうのか。皆さんもそうだろう。しかし、今はどうだろう。ニュースで伝えられる人々の数は、只の数字になっていっているように思う。

いつの間にか、私たちの「死ぬことへの恐怖」
「別れが来ることへの恐怖」は薄らいでいく。

恐怖。別れへの恐怖。そして、その恐怖を肯定する。事実、このアルバムを作る過程には「急激にバンド自身がメジャーな存在になっていくことへの葛藤」があったことを、藤原自身が様々な場所で語っている。守るべきもの、伝えるべきこと、そして届けるべき相手。その何もかもが揃い、満たされたヒゲダン。しかし、満たされることによる葛藤や恐怖もそこには生まれる。ファンがいなくなる恐怖。思い描くような音を作りきれない葛藤。期待に応える、期待を超えていけるかどうか分からない恐怖。

その迷いの中でたどり着いた一つの結論が
「自分たちの届けたい音楽を突き詰める」
という一本槍だった。

事実、その想いはツアーでもひしひしと感じていた。どの会場に行っても、どの公演に行っても、活き活きと自分たちの作りたいステージを作り上げるヒゲダンメンバーの姿があった。私自身、ひとつのツアーで2か所以上の公演に足を運んだのは今回が初めてだった。たとえ映像に残らないライブであっても、目の前の観衆の記憶に残すために汗をかいてステージを走り回る。そんな彼らの姿は、いつでも眩しかった。

延々と語ってしまったが、今目の前に用意されたステージを、あるいは一人一人の人生を、精一杯演じ切る。そしていつかやってくるカーテンコールと幕切れの時まで、全身全霊で生き抜く。私達一人一人の胸の奥底に眠っている確かな衝動を、Editorialは奮い立たせてくれたように思う。


実は今夜から、さいたまスーパーアリーナで収録されたEditorial Tourの公演の模様がオンライン配信されている。ツアー中に配信リリースされた曲「Anarchy」を含む豪華セットリストと、それらを最高に引き立てる空間演出が、あなたを間違いなく満足させるだろう。

どうか一人でも多くの人に、このショーを目撃してほしい。それが、次のヒゲダンの、そしてあなたの生きるための原動力になると信じているから。



おしまい。



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